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Blue like Blue  作者: 風炉織
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 多くの人が待ち焦がれるという夏休み。私にとってもそれはある意味で待望の長期休みであるはずだった。しかし。


「なんで塾になんて行かないといけないのか……」


 誰にともなく呟く。どうして私はこの暑い中行きたくもない所へ向かわなくてはいけないのか。

 それは休み前の期末試験の結果が物語っていた。私は、数学が苦手なのだ。前回の中間試験でも赤点ギリギリだったことから問題視されていたが、今回も成績は振るわず、遂に母からお達しが出たのだ。曰く、数学だけでも夏期講習に通えと。今まで何とか塾に通わずに来たのに、なぜ今になって……と思わなくもないが、結局自分の頑張りが足りないのが原因だと考えると文句も言えず、承諾したのだ。

 それを後悔することになるとは思ってもみなかった。まさかうちの同級生も通っているとは思わなかったのだ。それもかなりの数。結局私はほぼ学校にいる時と変わらぬ責め苦を味わわされることになったのだった。

 とはいえ長時間ある学校に比べたらその時間はまさに短く、数学の授業が終わったらすぐに帰れることから、苦痛はそれ程でも無かったのが幸いだった。


 そんな日々の帰り道。赤信号で止まったところでふと一本の電柱が目についた。正確には、電柱に貼られた一枚の広告が。それは貼られ出したところなのかまだ真新しく、色鮮やかなイラストの中心に大きな筆文字がでかでかと書かれていた。


「夏祭り……」


 時期が経つのは早い。夏休みが始まってまだそんなに経っていないと思っていたのに。

 この辺りの夏祭りはローカルでも結構有名らしく、毎年そこそこの人数が集まるという。地元民なのに何故伝聞形なのかといえば、私自身余り参加した記憶がないからだ。もしかしたら小さい頃に両親に連れられて来たことはあるかもしれないが。

 先輩は誰かと行くんだろうか、夏祭り。結局間が合わず予定を聞き出せなかった私にはわからない。わからないが……もし行くんだとしても、相手は女性で無ければいいな、と思った。思ってすぐ、疑問に思う。何故そんなことを思うんだろう?

 と、そこまで考えた所で信号が青に変わる。歩き出すと、すぐに先程まで考えていたことなんて何処かに飛んで行ってしまった。




「あー……暑い」


 夏休み残りわずかという所で、何と家のエアコンが全て故障してしまった。すぐに工事業者に修理を頼んでもらったが、やって来るまで一週間程かかるとか。その間、仕方がないので扇風機で凌ぐことにした。しかし今日は特別暑いらしく、正直焼け石に水だった。

 こんな日は、あれが食べたい。


 私が店から出ようとすると、チリンチリン、と扉にかかった鈴が鳴った。ここは昔から贔屓にしている駄菓子屋だ。この店で売られているフルーツアイスが安くて美味しいのだ。そして、これをここからすぐの休憩所で食べるのが私の夏の間の楽しみの一つだった。

 休憩所というのは木製で作られた、雨宿り用の公共スペースである。とはいえ雨を凌ぐために屋根がついているので日陰ができて涼しく、ベンチもあるので私は雨の日以外も使うことが多かった。まあ私以外の人は専らあんな所では休まないので、人がいることは稀だ。

 しかし、今日に限って男性の人影が見えることに驚いた。と同時に落胆した。折角一人で楽しみを満喫しようとしたのに、どうして先客がいるのか。

 家に帰って食べようにも、ここからは結構遠く、その間にアイスが溶け落ちる事を危惧した私は意を決して前に進んだ。大丈夫、もう一人いようと気にしなければ関係ない。速やかにアイスを食べてさっさと帰ろう。

 そう思って近づくにつれて、だんだん相手の顔が見えてくる。またもや私は驚いた。


 先輩、何でこんな所にいるんだ。しかも何故か落ち込んでる……?

 頭を俯かせてこれ見よがしに負のオーラを放っているのは、まさしく夏休みに入ってから出会っていない、先輩その人だった。


 どうしよう、と思う。この場合、見知らぬ人の方が気が楽だった。何故なら、話しかける必要がないからだ。もしくは、クラスメイトなら華麗にUターンを決める所だった。何故なら、話しかけたくないからだ。

 だがしかし、相手は常日頃よくして貰っている先輩である。普段通りであれば普通に話しかけられた。しかし今日に限っていつになく意気消沈した感じの先輩に、気安く話しかけていいものかと悩む。かといって、話しかけずその場を立ち去ろうにも、もし彼が私に気づいていたら、と思うと気が気でない。後で気まずくなるのは明白である。それに……ほとんど一ヶ月ぶりに会えたのだ。折角だから話をしたい、そう思う自分もいる。

 悩んだが、結局話しかける勇気が湧かず、アイスは諦めて帰ろうと後ずさったその時。どこからかカランコロンと空き缶が転がる音が聞こえてきて、それに反応した先輩が顔を上げた。


「あれ……。君、何でこんな所にいるの?」

「それは私も聞きたいですよ……」


 先輩に話しかけられたことで安心した私は、脱力した。そのまま、彼の手元を見る。彼は手持ち無沙汰に青いスマートフォンを弄んでいた。


「僕の方は……暇つぶし?」

「こんな暑い所でですか?」

「まあ、色々事情があってね……」


 そう笑う顔にもいつもの覇気がない。本当に一体どうしたのだろうかと心配になる。


「私はアイス、食べに来たんです」

「そうなんだ……」

「……あの、先輩。もし何かお悩みがあるなら聞きますよ?」

「え……」


 話しかけてもどことなく上の空な先輩。この空気に耐え切れず、勇気を出して声を掛けた私に彼は不思議そうな顔をした。


「……そんな変な顔してた?」

「変な顔、というか全身全霊で落ち込んでましたね」


 そう言うと先輩は「嘘、そんなつもりなかったんだけど」と体中ぺたぺた触っている。


「本当です。それで、悩みごとがあるならどうぞ」

「悩みごとっていうか……」


 そう言って少し迷う素振りを見せた後。


「もうすぐ、この辺りで夏祭りがあるの、知ってる?」

「そういえば……」


 夏祭りのポスターを見かけたことを思い出す。あれはいつのことだったか。


「うん。それにね、誘おうと思ったんだけど……断られちゃった」

「それはまた、何というか……」


 こういう時、何て返せばいいんだろう。コミュニケーション能力が欠如している私には未だにわからない。ただ、そんな私でもこの時焦って返した言葉が間違いであったことだけはわかる。


「でも、羨ましいです。誘える相手がいるなんて」


 言ってから先輩の目の見開き様を見て、またもやしまった、と思った。これで何度目だ、失敗するのは。絶対に今言うべきことじゃなかったのに。そう思えば思う程どんどん混乱し、先程の失言を取り返そうとあれこれといらぬことを言い募った気がする。


「いえっ、深い意味は無く! ただ私には今まで友人と呼べる人がいなかったものですから、誘うことも誘われることもなくてですね! 勿論夏祭りなんてそんな恐れ多い場所になんて行ったこともありませんし、何なら近場の遊園地にだって数える程しか……。だからっ、だから、その」


 だから何だと言うんだ。そこで私は一気に冷静になり、そして自分の発言を反芻して固まった。いや、本当に何を言っているんだ私は。こんなの、自らぼっちであると宣言している様なものだ。恐らく言わなくても薄々勘付かれてはいただろうが、それを自分から言うのとでは大違いである。

 こんなことを突然言われて、先輩、困るだろうな……。いやいや、呆れ果てるかもしれない。今でこそ何の反応も見られないが、だからこそ、次の先輩の言動が怖くて俯いてしまう。


「……ぷっ」


 え、と突然聞こえた吹き出し音に思わず顔を上げると、口に手を当てて必死に笑いを堪えている先輩がいた。


「あは、あはは。ごめんごめん、笑う所じゃないよね。でも可笑しくて、はは」

「……」


 笑う先輩を見て、込み上げてきたものは羞恥心。思わず顔を火照らせる私に構わず、先輩はしばらくの間、静かに笑い続けたのだった。




「……先輩、いい加減にして下さい」

「ご、ごめん。本当にごめん……ふふ」


 まだ少し笑いの残る先輩に対し、私は恥ずかしさも忘れてややうんざりしながら彼をじろりと眺め遣る。先程までの空気など、どこぞへ飛んで行ったとばかりにすっかり普段を取り戻した先輩は、謝罪を繰り返しながら、こう言った。


「ねえ、さっきの話本当?」

「……嘘に聞こえますか? 本当ですよ」

「そっか……それなら」


 突然改まった様に向き合い、やけに真剣な瞳でこちらを見る先輩に何故かどぎまぎした。そんな自分を不思議に思いながら次の言葉を待つ。


「一緒に、夏祭り、行かない?」


 その発言は私にとってはどんな爆弾よりも心臓に悪いものだった。

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