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いつだって一人だった。気づけば独りで過ごしていた。それは結局今まで変わることなく、そしてこれからも同じように続いていくのだろう。そう、半ば諦観の気持ちで生きてきた。
だから、そんな私の人生を覆す……かもしれない出来事が起こるとは思ってもみなかったのだ。
あれはいつの日だったか、確かまだ桜が散りきってはいなくて、だけどもう瑞々しい葉を大いに繁らせていた。それを私は教室の窓から眺めていたような記憶が残っている。あの時私は、恐ろしい時間の始まりを告げる鐘がどうか鳴りませんようにとか、授業はそっちのけでそんなことばかり祈っていた。こう言うとまるで私が不真面目な生徒のように聞こえるかもしれないが、しかし周囲に座る人間も皆一様にそわそわしていた。彼らの落ち着きがないということは、同じ様な思考回路を持つ人達も落ち着きがないということで、とどのつまりクラスメイト全員にその思いは共有されていたのだ。私を除いて。彼らは私にとっては処刑にも近い鐘の音を今か今かと待ち望んでいたに違いない。何故ならば彼らにとってそれは福音であるからだった。その音色が来ない様に願い続ける私は、さながら白い羊の中に紛れこんだ黒い羊、疫病神的存在であろう。
……いや、「黒」というと私にとっては役者不足になりかねない。実際のところ、彼らは私をそこまで迷惑がってはいないと思うし、というより認識さえしているかどうか怪しい。私だって特に悪者振りたい訳ではなく、身勝手に過ぎる言動は慎んできたのだ。対立する理由もない。しかし、どうしても仲間にはなりきれないから、やはり彼らと私はどこか違うのだ。それは例えるならこの窓から見える空の様な関係で。真っ白な雲を引き立てはしても、決して交わることはない。
――キーンコーンカーンコーン。
下らないことを考えている内に終了のチャイムが鳴り響いてしまった。俄にクラスがざわめき立つ。只でさえ気になる程度の潜めた声量で会話をしていたというのに、今度は取り繕う素振りも見せずに喋り始めたものだから、少々煩く感じる。授業をもう少し続けたそうな先生もこれには苦笑をして、手に持った白チョークを置いてしまった。
私としてはここはぎりぎりまで粘って欲しかった。別に勉強をしたいという訳でもなかったけれど、多少でも今からの時間が短くなれば、それに越したことはなかったからだ。
起立、礼。し終わったかし終わらないか位でもう彼らは次の行動に移りだす。クラスメイトが椅子や机を移動させているのを横目で見ながら、私は急ぐ。早くしないと間に合わない。出ていく生徒の大多数は購買のパン目当てであることが多いのだ。それらは経費削減の為なのかどうなのか、そこそこの量しかないという。よって目当てのパンどころか今日の昼食を確保するには熾烈極める戦いを繰り広げないといけないらしい。私には実のところはわからないのだが、誰かがそう言っていたのできっとそうなのだろうと思う。
かくいう私も彼らの後ろについて走る。行き先は購買部……ではなく途中で方向を変え、しばらく行ったところで立ち止まった。荒くなった息を整えながら購買の品薄を呪う。パンを売る量がもっと増えれば、弁当のない生徒があんなに急ぐこともなくなるし、彼らを隠れ蓑に使っている私も結果的にこんなに疲れなくて済むようになるはずだ。そう愚痴をつきつつ、本当の目的地へと向かった。今度は歩きながら。
両開きの錆びた戸を押し開くと、暖かいけれどまだ少し肌寒い、そんな風が肩を撫でていった。カーディガンを着て来て良かった。もう桜も散りかけだけれど、冬はしぶとく生き残っている。そんなことを思いながら、扉を出た所にある階段……階段と呼べるのか怪しい程度の段数であるが、そこの最下段に腰掛け、すぐに持ってきていた弁当を確認する。結構なスピードで駆け抜けたが、少々崩れていた程度で中身は無事だった。その事に一安心して、箸箱に手をつけかけて、……ふっと顔を上に向けた。
目の前に広がる真っ青。先程は雲もちらほら見えていたのだが、更に晴れて来たらしい。まさに快晴であるが、私はあまり嬉しくはなかった。むしろ嫌いだ。この、どこか長閑な青色が、何も考えていないような空虚さでもって、人を小馬鹿にしてくるように思える色が。よく、こうした天気は清々しい気持ちになるというが、それが私には理解出来ない。腹立たしくなるというのならわかるが。白い雲がもくもくと連なっている様子の方が、余程穏やかな気持ちになる。
大体、青は余りいい意味で使わないではないか。例えば人の顔色だとか。私の周りに広がる植物に目を向ける。君達だって、「青々した」なんて言われたくないよね。こんなに「緑々しい」のに。
そう、どうせなら緑が良かった。この低木たちの様な、立派な……。そこまで考えて、ちらりと自分の胸元を見て、こればかりはどうしようもないかと溜め息を着いた。そしてこんなことに悩むくらいならさっさと昼食を済ませてしまおうと箸箱を開けたのだ。
その時だった。
「あれ、先客がいる」
誰も来るはずのない、穴場だと思っていたこの場所に、扉の軋む音が響いた。