花冠の王
「どうして目を逸らすんだ」
「ひええ……」
私は今、とってもピンチです。
何故なら、初対面の男の先輩に腕をつかまれ、至近距離で迫られているから。誰か助けて……!
今日は私立天龍川学園高等部の入学式。
ふわふわ浮き足だった私は、これから始まる高校生活に期待しながら、式後にクラスメートと話をしながら教室へ移動しているところでした。
すると突然この人に捕まり、お姫様抱っこで、学校の敷地の端に連れてこられたのです。こんな高校デビュー聞いてないんですけどー!
「だから、どうしてこっちを見ないんだ」
「えーっと……」
めっちゃこわい。目力強い。目線を合わせられるはずがない。
連れ去られるときに、周りが「生徒会長だ!」って騒いでいたから、多分この人は、入学式で生徒会代表として挨拶していた、天龍川 春尚先輩。
ここ天龍川学園の理事長の長男で、成績優秀・運動神経抜群・容姿端麗、教師や生徒からの信頼は厚いらしい。更に、めちゃくちゃモテるのに、幼い頃から一人の女の子を一途に想い続けているという。あだ名は「学園の王」。ちなみにこれらは全て、初等部・中等部からの持ち上がりのクラスの女子たち情報。
少女マンガのヒーローも真っ青な設定の有名人が、私に何の用なのよぅ。あ、夢かな? ずいぶん乙女チックな内容だけど、夢なら何が起きてもおかしくないものね! よーし、じゃあもう起きよう。目をつぶって、もう一度開いて……さっきよりももっと険しい顔とこんにちは。うん、こわい! 現実こわい!
「怒っているのか? 突然ここに連れてきたから。後で教室まで送るから、機嫌を直してくれ」
「怒っているわけでは……」
いやいやいや。怒る以前の問題ですよ。そもそも何でここに連れてきたんですか? 先輩が私に何か用があるんじゃないんですか? 早く済ませてくださいよー。なーんて、この迫力の前で、言えるわけないですよねー!
はあ、せっかくここは「はなちゃん」と花冠を作った楽しい思い出の場所なのに……。私は足元の草花を見て、こっそりため息をついた。あ、上履きのままなんだった……。
小学校に上がるまでこの近くに住んでいて、お父さんが天龍川学園の中等部で数学の先生を勤めていたことから、幼稚園帰りにお母さんと時々ここに寄っていたのよね。
植物を愛するお母さんの影響で野原で遊ぶことが大好きだった私は、カラスノエンドウで作った笛をピーピー鳴らしたり、花冠を作ってお姫様ごっこしたり、楽しかったことしか覚えていない。
「はなちゃん」と会ったのは、お母さんがお父さんに届け物があるからって一人で遊んでいたときだったっけ。近くに学校の事務室があって危険なこともないから、お母さんは動いちゃダメよって言って離れたんだ。
夢中で花冠を作っていたら、いい天気なのに手元が陰った。不思議に思って顔を上げると、ボブカットの髪に大きな瞳が印象的な色白美少女が立っていて。あまりにもかわいかったから、天使だと思った。うん、本気で思った。名前を聞いたら、ちっちゃな声で「は……な……」だって。名前もかわいい!
何だか悲しそうな「はなちゃん」を元気付けようと花冠を作ってあげたら、「王様の冠?」と嬉しそう。天使のわっかのつもりだったんだけどな、でも「はなちゃん」が嬉しそうなら何でもいいや! しばらく花冠の作り方を教えてあげたり、お話をしていた私たちだったけど、お母さんが戻ってきたのでさよならしたのでした。
「……もしかして、俺のこと、覚えていないのか?」
「へ?」
すっかり思い出に浸っていた私は、小さく震える声に、思わず天龍川先輩を見上げた。そこにはぐしゃりと歪んだ顔が。ええっ、何で泣きそうなの?! 泣きたいのはこっちのほう……ってあれ、この顔、どことなく見覚えがある、ような。
勢いがなくなった天龍川先輩を改めて観察してみる。180センチは越える背の高さ、ほどよく鍛え上げられた体格、固そうな黒髪の短髪、涼やかな目元、スポーツ焼けなのか小麦色の肌。うーん、こんなイケメン知り合いにいたかな?
「俺は十一年前から一日も忘れたことがなかった。『はっぱちゃん』のことも、花冠のことも」
「えっ、どうして私のあだ名……」
私の名前は三島 葉子。幼稚園のときに自分の名前が葉っぱと同じだと知ってから、「はっぱちゃん」と名乗っていた。今は友達から「葉子」とか「葉ちゃん」とか、呼ばれている。さすがに「はっぱちゃん」はちょっと恥ずかしいしね。ってそれはともかく!
動揺する私に、天龍川先輩はぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「ここで、お母さんから教えてもらった花冠だって、俺の頭に乗せてくれて。初等部に入り、跡取りとして帝王学を学び始め、天龍川の名に恥じぬよう振る舞わなければと気を張っていた俺に、『元気になるおまじない』と、しろつめ草の白い花をベースに、たんぽぽの花を四個、オオイヌノフグリの小さな青い花を散りばめて、特別な冠だって」
「えーーーー!! もしかして『はなちゃん』?! 名前違うじゃないですか!!」
恐怖よりも驚きが上回ってしまい、思わず天龍川先輩に詰め寄ってしまった。
「はっぱちゃんから名前を聞かれて、『はるなお』と答えたんだが、その頃の俺は引っ込み思案で小声だったから、部分的に聞き取ったんだろう。かわいい名前だと嬉しそうに笑うはっぱちゃんを見ていたら、訂正する気にならなかった」
「『は(る)な(お)』、で、『はな』ちゃん……あ、はは……そう、でしたか……」
年下のかわいい天使「はなちゃん」は、年上のイケメン生徒会長「天龍川 春尚先輩」だったなんて。十年以上歳月が経つと、こんなにも劇的に変わるのね……もう笑うしかないよね……。
口角がヒクヒクとひきつる私を見て、何故か天龍川先輩の表情がふんわり綻んだ。さっきまでこわかったのに、イケメンの笑顔は破壊力が大きいな。うぐぐ、胸が苦しい。いやいやこれは決してそういう何というか甘酸っぱいものじゃなくて、驚きで心臓がバクバク音を立てているだけ。それだけだから!
「はっぱちゃんは全然変わってないな。安心した。まさか高校で出会えると思わなくて、嬉しくて早くここに連れてきたかったんだ。突然すまなかった」
「幼稚園の頃から変わらないと言われても複雑ですが……私のほうこそ、ごめんなさい。言われるまで気付かなくて」
「いやいいんだ。ここにまたはっぱちゃんと来れたから」
「あの、もう高校生なので、そのあだ名はちょっと……本名は『三島 葉子』と言いますので、名字でぜひ……」
辺りを見回しながら懐かしそうに目を細める天龍川先輩に、遠回しにあだ名呼びを控えてもらうように伝えた。「学園の王」と呼ばれる人と親しい交流は、新入生には荷が重すぎるもの。それなのに。
「わかった。じゃあ葉子、そろそろ教室に戻ろう。しっかり掴まって」
「へ? 葉子って……きゃあ! せ、先輩、私歩きますから!」
「上履きが汚れるだろう。なあ、また花冠、作ってくれるか?」
「何でも作りますから、下ろしてっ……!」
「葉子は小さくて軽いな。本当に昔と変わってなくて……ヤバい、かわいすぎる」
「!!」
またもや抱き上げられた私は、天龍川先輩とぐっと距離が近くなった。彼の甘い声と眼差しに、真っ赤な頬を見られないよう両手で顔を押さえることしかできなかったのでした……。
この後、天龍川先輩のあだ名が「学園の王」から「花冠の王」に変わったのは、私のせいなんでしょうか?! 誰か教えて!!