2-2、揺れる心/決意の変身
今回は後編です!!
「……な、なに?」
犬か何かの胴体にヤマタノオロチをくっつけたような怪物が突然、中庭に現れて雄叫びをあげる。
射水がそのことを理解するのに、暫く時間がかかった。
『グギャァァァァッッッッ!!!!』
名状しがたい、ただただ聞くものを苦しめる咆哮が轟く。さっきまで昼休みの喧騒で賑わっていた中庭には、今は生徒たちの阿鼻叫喚に満ちていた。
『奈落の使徒……いずれ来るとは思っていたが、昨日の今日かよ!!』
「な、なんで私は平気なの?」
『たぶん、私のブレスレッドを付けてるから、多少のことなら問題ないんだと思う』
怪物――ヒューポースの絶叫の中、アルタイスが声を張り上げる。
確かに今、射水は他の生徒たちと違い、ある程度の行動は可能だが、全く問題がないわけではない。
「こ、こうなったらとりあえず私一人でやるしかないみたいね!!」
ヒューポースを前に、射水が右手を高く掲げる。
しかし何も起きない。
「えっと、確か……わ、我が身に纏え、原初の世界の星辰よ!! だったかしら?」
射水が叫ぶ。
しかし、やはり何も起きない。
中庭に一人、倒れずに声を張り上げる射水の存在をヒューポースが認知する。
無数の蛇の瞳がギロリ、と射水を睨み付ける。そして、
『ギャァァァァッッッッ!!!!』
「きゃぁぁぁっ!!」
射水目掛けて駆け出してくる。射水は当然、全力疾走で逃げる。
いくら射水が、戦う気でいるとは言っても、変身ができないのであれば普通の中学生である。というか、変身できたとしても、八岐大蛇のような怪物が現れたら純粋に怖い。
「ね、ねぇ!! アルタイス、アンカー。私、なんで変身できないの? 気合いの問題? それとも、変身の台詞を叫んだとき、ちょっと恥ずかしいなって思っちゃったから?」
『イズミ、恥ずかしかったの?』
「正直……ちょっと、照れくさかったわね…………」
ちょっと照れくさかったらしい。
『たぶん、プリミティブは今、俺たちが使える星辰っつう、――変身のために必要な星の力が弱いんだ。俺やアルタイスがプリミティブに慣れてないのもあって、射水と頼火が同時にその場にいて、相乗効果で星辰を増幅させないとダメなんだと思う』
「えっと、それって要するに、私一人じゃ変身できないってこと?」
『まぁ、そうなるな』
射水に持たれたブレスレッド状態のアンカーが冷静に分析する。
射水は、背後に迫るヒューポースをチラっと横目で見ながた。腹を空かした獣のごとく、爛々と滾った蛇の瞳が射水を狙う。
再び、一瞬だけだが怪物と目があった。射水の眼には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「そういうことは先に言ってーっ!!!!」
心の底から叫びながら、とりあえず人気のあまりないグラウンドのほうへと逃げていった。
■■
「はぁ、はぁ……。私、運動苦手なのよ……」
こんなに走ったのなんて、この前のスポーツテスト以来じゃないかしら。
火事場のバカ力、なんて言葉の通り、人間、ほんとの死に直面したら実力以上の力がでるらしく、あんな大きな怪物に追いかけられたのに、私はどうにか、まだ食べられてはいない(あの怪物が私を捕食目的で追いかけてるのかはわからないけど)。
だけど、もう限界。
体中が熱いし、息もだいぶ切れ切れになって、膝はがたがたと震えている。
そんな状態で、前には怪物、後ろには運動場の端のフェンス。
「ぜ、絶体絶命……って、感じ、ね……」
『おい、アルタイス。射水を連れて逃げろ』
『アンカー?』
地面に倒れこんだ私の前に、アンカーが元の、赤い鳥の姿になって立ちはだかる。
『ここで全員やられるくらいなら、お前らだけでも逃げたほうが得だろ』
「そういう問題じゃないわ!! 言っておくけど、私は絶対、アンカーだけ残して逃げるのなんてごめんよ」
怪物は、もう私たちに逃げ場がないとわかって、じりじりと間を詰めて来る。この状態で、私たちができることは、たぶんほとんどない。
『じゃあ、ここで死ぬ気か?』
「それは……」
荒い語気に、私は思わず怯んだ。
確かに、この状況ではアンカーの言うことのほうが正しいんだと思う。変身できなければ、今の私にできることなんてなにもない。この世界じゃ完全な力を使えないといっても、この状況ならアンカーのほうが私よりもよほど役に立つのも間違いない。
『射水。お前は優しい。けど、生きていると、優しい奴に対して厳しい場合もあるんだ。覚えておけ』
「…………」
その言葉を言った時のアンカーは、顔は見えなかったけれど、とても寂しそうだった。
言葉は荒く、大きな、叱りつけるような声なのに、とても悲しそうで、そして悔しそうだった。
『まぁ、安心しろ。一応、倒すつもりで戦いはするさ』
アンカーの背中が、私の体から遠ざかる。思わず手を伸ばそうとして、自分の手が震えていることに気が付く。
怖い。ただただ怖い。
昨日は、勢いで戦ったけれど、今になって、どれだけそれが危険なことだったのかを痛感した。
アンカーが死ぬのは嫌だ。アルタイスたちが、この世界でやるべきことを、助けてあげたい。
そう思うのに、体が動かない。恐怖が体を縛って、私になにもさせてくれない。
『さぁ、行くぞデカブツ!!』
アンカーが怪物に向かって飛んでいく。その翼からは炎が噴き出て、CDくらいの大きさの円盤をいくつも生み出して、怪物めがけて飛ばした。
目標が大きいだけあって、円盤はすべて命中した。怪物の体のあちこちを切り裂き、きずがはいったところからは僅かだが火がついて燃えている。
動物が本能で火を怖がるのは、この怪物も例外じゃないのか、大きな体が少しだけ私たちから離れた。
だけど、たぶんこの状態もそう長くは続かない。
『さぁ、今のうちに逃げ……』
アンカーが私たちに、さっきと同じことを言おうとしたときだった。
「逃げて、それからどうするつもり?」
その言葉を遮って、鴻さんがその場にいた。
アンカーの横に立って、呆れたような顔で、倒れている私を見ている。
その声が、その存在が――私には、とても格好よく映った。
「お、鴻さん、なんでここに?」
「そりゃ、学校でこんなことが起きてるんだったら、普通気づくでしょ」
「そういう意味じゃなくて……」
私と一緒には戦えないんじゃなかったの?
そんな一言を言おうとしたけど、それより先に鴻さんが言った。
「それと、私、決めたから」
「な、なにを?」
私のいろんな疑問を無視して、鴻さんはきりっとした無表情で、はっきりとした気持ちのいい声で言った。
「あんたや、アンカーたちと一緒に戦うってこと」
その言葉に、私は思わず耳を疑った。
だけど、次の瞬間、胸のそこから嬉しさと頼もしさがこみ上げてきた。
その言葉を聞いただけで、体が羽のように軽くなったような気がした。
「それとも何? もう他の相方とか見つかってる感じ?」
「ううん。そんなことないわ」
「言っておくけど、私はただ、こいつらが気に食わないから戦うだけよ」
それは、なんとなく私にもわかった。
私も正直、なんで鴻さんが急に、私と一緒に戦うと言ってくれたのかはわからない。だけど、私が「鴻さんと戦いたい理由」と、鴻さんが「私と一緒に戦うと言ってくれた理由」が違うってことだけはわかった。
だから私は、
「ええ、わかったわ」
今は、お互いの理由なんて、気にしないことにした。
一緒に戦うと言ってくれた彼女の言葉が、ただただ嬉しかった。そして、頼もしかった。その存在が、私に勇気をくれた。
『てか、おい、頼火!! 射水!! あんまのんびり話してる時間はないぞ!!』
ズシン、と地響きがして、私たちの足元を揺らす。
先ほどまで、体のあちこちでボヤを起こしていた怪物が、消火を済ませおわったみたい。
「あ、そういやいたわね、このデカブツ」
「…………そう、ね」
「ほら、立てる?」
ずっとしゃがみこんだままの私に、鴻さんが左手を差し出してくれた。
私はその手を掴んで、立ち上がる。自分でも驚くほど、私の体は簡単に起き上がった。
「ありがとう、鴻さん」
「別に。さっきも言ったけど、私は私の理由で、こいつらと戦うだけよ。お礼を言ってもらうようなことじゃないわ」
「でも、鴻さんが来てくれて、私、すっごく心強いわ。さっきまでは、すごく怖かったし……鴻さんを誘っておいて無責任かもしれないけれど、正直、こんな相手と戦うことなんて考えられなかった。でも今は――」
「今は?」
手の震えも、いつのまにか消えている。
「どんな相手がやってきたって戦える。そんな気持ちよ」
怪物に怯えて泣いていたさっきの私はもういない。
次は私が、鴻さんの勇気に応えなければいけないと、強く思った。
■■
二人が高く手を掲げる。二人の決意に呼応するように、その上空にステラ・リングが現れる。
「「我が身に宿れ、原初の世界の星辰よ」」
二人がリングを高く掲げる。二人の司る星座とともに、赤と青の光が二人の体を包み込んでいく。
「空に輝け勇気の火よ」
「大地を満たせ慈愛の水よ」
「邪悪を払う情熱の翼!! フェニックス・ブレイズ」
「命を守る悠久の大河!! ドラゴン・ストリーム」
光が晴れ、変身を終えた二人が勢いよく名乗りを上げる。
それと同時、ヒューポースが二人めがけて襲い掛かってきた。
蛇の牙が、二人を丸のみにしようと襲い掛かってくる。頼火は地面を勢いよく蹴って高く飛びあがると、ヒューポースの無数の蛇の頭を飛び移りながら、その背中へと飛び乗った。
「ハァァァッッ!!」
固く握られた右こぶしがヒューポースの背中に振り下ろされる。その一撃はヒューポースの体ごと、運動場の地面を数mほど陥没させた。
『グギャァァァァァァァァ!!!!』
ヒューポースが激痛をあげる。その声量は先ほどまでの比ではなく、黒板を爪で引っ搔いた音を巨大なスピーカーで流しているような、ただただ不快なだけの音となり、頼火と射水を苦しめる。
「アクアシールド!!」
射水が、頼火に向かって右手を伸ばす。青い光が頼火に向かって飛んでいき、頼火の頭だけを覆うような光の球体を生み出した。
「あ、楽になった」
『アルタイスの防壁の効果だ。さぁ頼火、今のうちにたたみかけろ!!』
ブレスレッドからアンカーが叫ぶ。
「言われなくてもわかってるわよ。私たちは大丈夫でも、こんな騒音いつまでも放っておいたらヤバいことになるからね」
頼火がヒューポースの背中から跳びおりる。
地面に沈み、苦しんでいるヒューポースの、頭の一つを両手で掴んで、その場でぐるぐると回り続ける。あまりの勢いに、その場に小さな砂嵐が起こる。
「とりあえず真上にぶん投げるから、あとは……その、なんとかして!!」
「ちょ、なんとかって鴻さん!?」
急に振られて困惑している射水を無視して、頼火は勢いよくヒューポースを、ハンマー投げのようなフォームで真上に投げ上げる。それを見つめながら射水は、
「ね、ねぇアルタイス。こういう場合、どうしたらいいのかしら?」
ゆっくりと絶叫のノイズが遠のいていくなかで、あたふたとしながら腕のアルタイスに縋りついていた。
『スターフォース・ドラゴン!! って勢いよく叫んで!!』
「え、えっと……スターフォース、ドラゴン!!』
叫びに答えるように、射水の体から青い光の柱が吹き上がり、巨大な青い光のドラゴンが、射水を囲んでとぐろをまく形で現れた。
「で、次は?」
『これを、なんか必殺技っぽいことを叫んで、この龍をあの怪物に飛ばすの』
「ひ、必殺技っぽいこと?」
『ほら、なんとかアタック、とかなんとかストライク、みたいな』
「それ、叫ばないとダメなのかしら?」
『叫ばないとダメなの』
叫ばないとダメらしい。
困惑する射水がふと空を見上げると、上がるところまで上がり切ったヒューポースが、ゆっくりと落下を始めていた。
「えっと、じゃあ――ストリーム・ストライク!!」
叫びながら、射水がその場で、ヒューポースめがけて回し蹴りのアクションを取る。
その回し蹴りに合わせて、光の龍がヒューポースめがけて飛んでいく。勢いよく進む龍がヒューポースの体を完全に飲み込まれ、黒い粒子となって消えていった。
「ど、どうにかうまくいったみたい……」
ヒューポースが消えたのを見て緊張がとけたのか、射水はその場にへたり込んだ。
「えっと、その……大丈夫?」
射水のもとに頼火が駆け寄ってくる。
「まぁ、どうにか……」
多少よろめきながらも自力で起き上がった射水は、頼火を見つめて笑う。
「何がおかしいのよ?」
「おかしいわけじゃないわ。ただ、嬉しいの。これからよろしくね、鴻さん」
きらきらとした裏表の感じ取れない笑顔で射水は頼火に握手を求める。
「ええ。そうね……。それより、早く戻らないと、午後の授業が始まるわよ」
しかしその手を取ることなく、頼火は変身を解いて校舎のほうへ歩き出した。
頼火は射水の笑顔が、眩しく思えた。
(学校にまであいつらが現れて、その勢いで言ったけど……。本当に、これでよかったのかな?)
頼火の中には、まだ自分の決断に対する不安が渦巻いていた。