1-2、動き出した運命/初変身
「何よ、アンタ?」
黒のドレスを身に纏い、狼のような形の仮面をつけた女性。声だけ聞けば、女性というより私たちと近いか、少し上くらいかもしれない。アンカーたちのときのような不格好な着地じゃなく、悠然と地面に降り立って、私たち――正確にはアンカーとアルタイスを見つめている。
「初めまして。私の名はテリオン。偉大なるダークネビュラの王の忠実なるしもべにして、奈落の使徒が一人」
『奈落の使徒……』
『チッ、もう嗅ぎ付けてきやがったか』
「さぁ、コロナ・ジュエルについて知っていることを話してもらおうかしら?」
奈落の使徒? コロナ・ジュエル? 一体なんのこと? 何が起こってるの?
『イズミ、小娘。お前らには関係ないことだ。とっとと忘れてこの道を引き返すんだな』
アンカーはそう言うなり、テリオンと名乗った相手に真っ直ぐに飛び込んでいった。これだけでも信じられない光景だけど、さらに驚いたことには、アンカーの体はまるでたき火をしてるみたいに燃えさかっていて、そのままテリオンの目の前で大きな爆発を引き起こした。
「え……どうなったの?」
爆風が起こした煙が周囲を覆って、テリオンとアンカーの姿が見えなくなった。煙が晴れると、そこには、首根っこを掴まれた状態で苦しんでいるアンカーの姿があった。
「どうやら、プリミティブではお前たちは従来の力をほとんど使えないようね。まぁ、当然といえば当然のことだけれど」
『ぐ、クソ……』
テリオンの後ろに四つの紫色の光弾が生まれる。そのすべてが、アンカーに向かって飛んでいく。
『アンカーッ!!』
アルタイスが叫ぶと同時、アンカーの体を包むように水色のシールドのようなものが展開される。だけどそれも、光弾一発、二発が当たっただけでぼろぼろになって砕け散った。残りの二発の光弾がアンカーの体をさらに傷つける。
さらにアルタイスも、たった一回、あのシールドみたいなのを作っただけで、エネルギーを全部使いきったみたいに、力なく地面に伏せっていた。
「コロナ・ジュエルの情報を吐かせるのには、一人いれば十分よ。さようなら、アストラルの勇者」
再び光弾が生み出される。
そしてアンカーに向かって放たれる。その瞬間、
「うらぁぁぁぁッッ!!」
私は、テリオンめがけて走り出していた。
無我夢中でタックルを仕掛け、そのままアンカーの体を奪い取って……勢いよく地面に転がった。制服も鞄も全部びしょびしょだし、思いっきり仰向けに落ちたから背中とかもかなり痛い。
「大丈夫、アンカー?」
『お前、なにやってんだよ小娘!! 逃げろっつっただろうが』
「うるさいわね。アンタが逃げろって言うのは勝手だけど、私が逃げないのも私の勝手でしょう!!」
アンカーの声には、怒気が混じっている。コイツは口は悪いけど、悪い奴じゃないと思った。アンカーの言葉は、今日初めてあった私のことを真剣に心配して、だから怒ってくれているんだって、そう感じさせるような声だった。
『死にたいのかお前!!』
「死にたくなんかないわよ。正直自分でも、何やってんだろ私、って呆れてるくらい」
『だったら……』
「だけどね、なんか嫌なのよ!! うまく言えないけど、嫌なの!! ここでアンタたちを見捨てて逃げるのが。それは、私もアイツもたぶん一緒よ!!」
ふと見れば、アイツも、両手を広げてアルタイスを庇うように立っていた。さっきの光弾の威力を見れば、そんなことしても一緒に吹き飛ばされるのがオチだってわかるはずなのに。
「無駄なことが好きなのね。この世界の人間たちは。あなたたちには何も関係ないことでしょう。そんな相手を命がけで守って、いったい何になるっていうの?」
私たちを見まわして、テリオンは言う。顔は仮面に隠れて見えないけれど、あざけるような、それでいて可哀想なものを見ているような、そんな声だ。
「無駄なんかじゃないわ」
龍波が叫んだ。
「確かに私たちは、この二人のことを何も知らないし、あなたがなんで二人にこんなひどいことをするのかも知らないわ。けれど、理由を知らなくても、私たちに関係なくても、この二人を見捨てて逃げる理由にはならないわ!!」
「そういう台詞は力のある者が言うのだったら格好いいのかもしれないけど、あなたたちがやってもただの犬死によ。終わってから結果だけを見れば、ここで死ぬのが二人増えるだけだもの」
テリオンがパチン、と指を弾く。さっきよりさらに多くの光弾が、私たちの周囲に降って来た。その速さは、わからないけどすごく速い。一瞬で、私と龍波の周囲にいくつもの穴ができていた。
当てるつもりのない攻撃だったんだろう。それだけでも、これが生身の人間に当たったらどうなるかは簡単に想像がつく。
「私はね、無駄なことが嫌いなの。この世界の人間を殺したって、あの方は喜んでくれない。だから、アンカーとアルタイスの二人を渡しなさい。そうすれば、見逃してあげるわよ?」
テリオンの提案に、だけど私たちは、
「「絶対に嫌!!」」
同時に、そう叫んでいた。
その瞬間、アンカーとアルタイスの体が光を放った。
■■
「え……?」
「な、何が起こってるの?」
頼火も射水も、突然のことで、何が起こったのかがわからなかった。
赤い光が頼火を、青い光が射水を包み、やがて二人の体の中に入っていったかと思うと、その目の前に赤と青のリングが現れた。
リングにはグリップがついており、頼火のものには燃えるような炎の紋様が刻まれ、グリップの上には金色の鳥の姿をした宝石がはめ込まれている。射水の青いリングには、波うつような水色の紋様が刻まれており、グリップの上には銀色の龍の姿をした宝石がはめ込まれていた。
『これはまさか……ステラ・リング?』
『イズミたちが、星に選ばれた、ってこと?』
アンカーたちも、この光景に驚いているようである。
『おい、それを掴め。そして掲げろ!!』
アンカーが叫ぶ。頼火と射水は言われたままに、そのリングを掴んで高く掲げた。
「「我が身に宿れ、原初の世界の星辰よ」」
高く掲げられたリングが赤と青に光ると共に、二人が叫ぶ。そして、二人の体の前にはそれぞれ赤と青の球体が現れる。頼火の前に現れた球体はほうおう座、射水の前に現れた球体はりゅう座を形作り、二人の体を変化させていく。
「空に輝け勇気の火よ」
「大地を満たせ慈愛の水よ」
頼火の姿は、紅色の、前側の開いたノースリーブの上着を羽織り、制服のスカートは上着と同じ色の紅色のズボンへと変わっていた。左手には、鳥の嘴と翼の形のチャームのオレンジ色のリング状のブレスレットがある。そして髪の色は燃えるようなオレンジ色になり、左目から頬にかけて赤い鳥の紋様が浮かび上がっている。
射水の姿は、淡い水色を基調としたワンピースタイプの服装に、青色のスパッツ。さらに濃い青色のブーツを履いた姿へと変わっていた。左手には龍のチャームをつけた青いリング状のブレスレットをつけ、髪の色は海のように青い色へと変わり、右目から頬にかけて東洋的な龍の紋様が浮かび上がっている。
「邪悪を払う情熱の翼!! フェニックス・ブレイズ」
「心を守る悠久の大河!! ドラゴン・ストリーム」
姿が変わり、歌舞伎の見えのように名乗りを上げる二人。
「「って、え……?」」
そしてそのすぐあとに、自分たちの現状に困惑する。そしてそれは、テリオンも同じのようだ。
「姿が変わった? いや、アストラルの連中と融合したのかしら?」
頼火と射水を暫く観察してから、テリオンは見下すように二人のほうを見た。そして、右手を高く掲げて叫んだ。
「奈落に呑まれし星屑よ。黒き光にて蘇れ」
テリオンの叫びとともに、空に黒い渦が現れる。その中から絶叫とともに地面に、巨大な二足歩行の牛のような怪物が降り立った 。
「その力、試させてもらうわよ。さぁ、行きなさい。サーベルス」
荒い息をあげながら、サーベルスと呼ばれた巨大な牛が頼火と射水に突進していった。
「え、ちょ、ちょっと待っ……」
重量は優に300㎏はあるであろう巨体が、車と同じくらいの速さで突進してきたのである。射水はとっさに地面を蹴って横に避けたが、状況を理解できていなかった頼火は反応することができず、タックルをまともに喰らって近くの電信柱に叩きつけられた。
「鴻さん!!」
射水が叫ぶ。叩きつけられた頼火は、ばたんと地面にうつ伏せになりながら、
「いったぁいッ!!」
と、なんとも間抜けな声をあげた。確かに頼火の体には今、サーベルスにタックルされた痛みと電信柱に叩きつけられた痛みが存在する。しかし、生身の人間であれば、それだけのことをされて「痛い」の一言で済むなどあり得ない。事実、頼火もそれで済んでいる自分に気づいた。
「鴻さん、もう一回来るわ!!」
「え? って、またかッ!!」
ややあって起き上がった頼火に向かってサーベルスが二度目のタックルを仕掛けてきていた。
「いいかげんに、しなさいッ!!」
反射的に、頼火の右手の拳が飛ぶ。
その一撃はサーベルスの顔面に直撃し、その巨体を大きく後ろへ吹き飛ばした。
「って、へ……嘘?」
自分の起こしたことが自分で信じられないのか、頼火は暫く右肩を回したり手のあたりをぼんやり眺めたりしながら、改めて吹き飛ばしたサーベルスの方向を見る。
「こ、これ……私がやったの?」
『ああ。これが星に選ばれた者の力だ』
頼火の、独り言のような疑問にアンカーが答えた。その声は、頼火の右手のブレスレットから発せられていた。
『今のお前は、身体能力が生身の人間の何倍にもなってる。加えて、俺の力を使うこともできるはずだ』
「あ、アンカーの力って、さっきみたいに火を出したりするのとか?」
『ああ、できるはずだ』
「ど、どうやるの?」
『どうやるの、って。そうだな……気合いと根性、ってところか?』
「え、えっと……根性ぉぉぉぉっっっっ!!」
「と、とりあえず叫ぶのね」
苦笑いを浮かべている射水を気にせず、頼火が叫ぶ。それなりに気合いを込めて。
しかし、火は出てこない。
「出ないじゃないの、どうなってんのよ、焼き鳥!!」
『誰が焼き鳥だッ!!』
「行きなさい、サーベルス」
夫婦漫才のような会話を繰り広げる頼火とアンカーを無視して、テリオンがサーベルスに命じる。
命令に従って三度、タックルを仕掛けられた。ただし今度はその途中で、サーベルスの両手が牛の頭の形へと変化した。三つの牛の頭と、六本の牛の角が頼火目掛けて飛びかかってくる。
「頭が三つだから、威力もさっきの三倍よ!!」
「どんな理屈だっ!!」
テリオンの言葉に突っ込んでいるうちに、サーベルスの体はもう頼火の眼前に迫っていた。
ドン、と激しい音が響き、サーベルスのタックルが止まる。ただしそれは頼火に激突した音ではない。
「大丈夫、鴻さん?」
頼火の前に射水が立ち、射水の前に生み出された、青い光を放つ四角いシールドがサーベルスのタックルを止めた音だ。
シールドそのものは先ほどアルタイスがアンカーを守るために出したものと同じだが、大きさは先ほどよりも大きく、そして丈夫だった。サーベルスのタックルを受けてもびくともしていない。
「ねぇアンタ。それ、どうやって出したの?」
「え? えっとその、私もよくわからないの。無我夢中で、とにかく鴻さんを守らなきゃ、って思って力を込めたら……なんか出た、って感じかしら?」
『どうやらイズミには才能があるみたいだな。お前と違って』
「うっさいわねこの焼き鳥!!」
『だから、焼き鳥っつうんじゃねぇッ!! 俺にはアンカーっつう名前があるって言ってんだろ』
「じゃああたしもよ!! 小娘じゃなくて、鴻頼火って名前があるの!!」
『初耳だぞ、それ』
「二人とも、次が来るわ」
射水の叫びとともに再び轟音が響く。二度目のタックルを受けても、しかし射水の生み出したバリアには傷一つついていない。
「ねえ、龍波。あのウシ頭の攻撃、あと一回くらいは耐えれそう?」
「たぶん、大丈夫だと思うけど……」
「じゃあ、その間に私がウシ頭の背後に回り込む」
頼火の言葉は、必要なことしか言わないぶっきら棒なものだった。
しかし射水はその言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべながら、
「うん。任せて!!」
そう答えた。
話している間にサーベルスは助走を十分に取りながら、射水の作ったバリアへとタックルを仕掛ける。今度はさすがに、その端にわずかに亀裂を作りはしたが、しかしそれ止まりだった。
そして。
「背中ががら空きよ、ウシ頭!!」
背後に回り込んだ頼火が、その右こぶしを固く握る。サーベルスの前にはバリアがあり、左右はブロック塀。逃げ場はなかった。
「火とかが出せないなら、とりあえずブン殴るッッッッ!!!!」
今度は、頼火が勢いよく助走をつけながらサーベルスに跳びかかり、その顔面にめがけて勢いよく右こぶしを叩きつける。クリーンヒットした巨体は背後のシールドに叩きつけられ、そして地面に倒れた。
「これで……終わった、のかしら?」
頼火の呟きに答えるように、サーベルスの体が黒い粒子となって段々と消滅していく。
「なるほど。サーベルスを倒すってことは、そこそこやるみたいね」
「次は、アンタが相手?」
配下がやられてもなお、余裕の笑みを浮かべるテリオンを睨みつけながら、頼火は拳を握る。
しかしテリオンはどこ吹く風で、戦おうという意気はまるでなかった。
「今日は、このまま帰ることにするわ。あなたたちが何なのか、興味もあるしね」
パチン、とテリオンが指を弾くと、その後ろに黒い渦が現れる。テリオンは悠然とその中へ進んでいき、やがて渦ごとこの場から消えた。
「な、なんだったの?」
「わからないけど……これで終わった、って感じじゃなさそうだったわね。彼女、また来るような気がするわ」
疑問符を浮かべる頼火と射水に、二人のブレスレットから声がした。アンカーとアルタイスだ。
『ライカ、イズミ。お前たちに頼むが筋違いなのは百も承知だ。だが、頼む。俺たちと一緒に奴らと――奈落の使徒と戦ってくれ』
『私たちには、この世界でやらなきゃいけないことがあるの。だけど、この世界じゃ私たちは本来の力を出せない。イズミたちの協力が必要なの!!』
「イズミたち……ってことは」
頼火が、ゆっくりと射水のほうを向く。そこにいる射水は満面の笑みを浮かべていた。
事情が呑み込めていないのは射水も同じだが、射水は頼火と違って前向きだった。
「私も、まだ全部はわからないけれど、私たちは運命共同体、ってことみたいね。これからよろしくね、鴻さん」
射水がすっと右手を差し出して握手を求めてきた。その声は、一緒に帰ろうと誘って来たときと同じような気安さだった。
頼火は射水の、一切の含みがない純粋な笑顔を直視できなかった。視線を落とし、小さな声でポツリと呟く。
「よりによって、こいつとか」
しかしその声は射水には届くことはなかった。
空は依然として灰色で、雨はまだ止んでいなかった。差し出された手に背を向けながら、頼火は地面に落ちた射水の傘を拾って放り投げる。
「さっさと帰らないと風邪ひくわよ」
その日。そのまま、二人の手が交わることはなかった。