無口な理由
出来心なんだ、反省はしている…。
「城之内華耶、お前との婚約、破棄させてもらう」
放課後のサロン、ほとんどの生徒が帰宅し始めたとは言え、それなりの人間がいる中、私の婚約者の東條蒼羅様が発言されました。
えぇ、結構な大声で、ですわ。
あ、初めまして。
私、神住学園高等部二年、城之内華耶と申します。
ここ、神住学園には各界の財閥子息・子女、著名な方の子息・子女が数多く通って見えられます。
なので、今私がいるようなサロンと呼ばれる、まぁ平たく言えばティールームでしょうか? が学年別に誂えられ、学園への寄付金額や成績などを考慮して選抜された方々が交流のために使われております。
手前味噌ではありますが、我が家、城之内家も財閥の一つに数えられている名家。
日本有数の大手企業を幾つも手掛けております。
「お前の性格には愛想が尽きた! 身勝手な振る舞いにも我慢できん!」
そうそう、私の目の前で険しい表情をして怒鳴りたてている東條蒼羅様も、東條グループ総裁のお孫様でございます。
先の彼の言葉でお解りかとは思いますが、私達は婚約者…でした。と言った方がよろしいかしら?
ですが、私達の婚約は親同士、ひいては家同士の契約ですので、蒼羅様お一人の判断では破棄は出来かねます。
私は父から何も聞いていないので、きっと蒼羅様の独断でしょうね。
「っ! 華耶! 聞いているのかっ! 何とか言ったらどうなんだ!」
あらあら、全く、人が考えているというのに、少しは静かに待っていられないのかしら?
まぁ、蒼羅様が最初に叫んでから、私一言も喋っておりませんし、何なら蒼羅様を見たまま何の反応も返していませんから、当然の反応ですわね。
「お前は昔からそうだ。俺が自ら話しかけてやってもろくに返事をしないし、自分の意見というものがないのか!? いつでも黙ってやり過ごせば良いとでも思っているのかっ!」
蒼羅様がヒートアップされてますわね。
それに、周囲の方々も言葉を発しない私にざわざわしてきてしまいましたわ。
どうしましょうか。
いえね、別に婚約破棄は私も大歓迎ですのよ?
だって蒼羅様って自分以外を見下す傾向にありますし、お家の偉業は蒼羅様のお父様やお祖父様方のものですのに、まるで自分が偉いとでも言っているかのようなんです。選民意識がお強いのよね。
今どき庶民イコール貧乏とか、あるわけないというのに…。
あと、ちょっとナルシストですし。自分が格好良い、自分より優れている者は居ない。と常々溢されているの、知ってますのよ?
だからなのか、目上の方を敬うということも一切ありません。
それを周囲の方々は、堂々としていらっしゃる。とか、ハッキリと物事を仰られていて格好良い。とか言っているらしいですが……自信過剰の俺様だと思いますわ。
まさに虎の威を借る狐。家の威光を笠に傍若無人な振る舞い。
威風堂々という熟語に謝っていただきたいですわね。
さて、そんなことをつらつら考えている間にも、蒼羅様は怒鳴るのをお止めになりません。
段々ただの悪口になっていますわ。しかも低レベル。
「何の騒ぎだ?」
表情を動かさずに、内心呆れ…ごほん。困っているところに、よく通る低い声が響きました。
ちらと視線を向ければ、サロンの入り口からこちらに向かって来られる男子生徒。
その方はまっすぐ私の元まで来られると、私の目を覗き込むように少し屈まれ、どうした? と柔らかい声音で囁かれました。
「なんだ貴様は! 関係のない奴は引っ込んでいろっ!」
「一人の女子生徒を大勢の面前で詰っているのを、知らぬ振りをしろと?」
私を庇うように一歩前に出られたのは、アーシェ・玖静様。
日系クォーター‐に、なるのかしら?‐で、お祖父様がフランス人、お祖母様がイギリス人。
つまり仏英ハーフのお父様、お母様が純日本人。という少し混ざりすぎな混血者様ですわ。国籍は確か……イギリスだったかと。
お顔立ちはお父様寄りの彫りの深さで、二重の目は少しつり上がりぎみで切れ長。
その目で睨まれたら恐いですわよね。蒼羅様ったら肩が跳ねましたわ。
身長も高く上背もありますから、見下ろされて威圧感もありますものね。
蒼羅様、なんだか震えていません? 気のせいかしら?
何だか少し、すこぉーしだけ、蒼羅様が不憫に思えたので、アーシェ様の袖口をツイツイ、とひっぱって、そのお顔を私に向けさせましょう。
「ん、どうした? ……そうだな」
「なっ、なんだ! 何を言った!?」
屈むアーシェ様のお耳にひそひそ。つま先立ちしないとお耳にすら届かないとは…私168センチありますのに!
アーシェ様に耳打ちしたのは、とりあえず人の居ない場所へ移動しましょうとだけ。
さすがにこんな衆人環視の中、何時までも黙っていては始まりませんし、終わりが見えませんもの。
場所を移して。
此方は学園の生徒ならば誰でも使用できるプライベートルームですわ。
主に婚約者同士や親しい友人同士、たまに仕事の打ち合わせなどに使用される、防音完備の小部屋です。
まぁ、小部屋と言いながら八畳以上ありますけれど。
受付で予約はないが使えるか問い合わせた所、今日は空きがあるとのこと。
私とアーシェ様、蒼羅様の名前を記入して鍵を受け取り、部屋へ落ち着く。
「おい、貴様は誰だ! 華耶とはどういう関係だ!」
「相手の名を訊ねる前に、自己紹介くらいしたらどうだ。…俺はアーシェ・玖静、高等部一年だ」
「一年!? ふ、ふんっ! 玖静など聞いたことがない。やはり庶民は礼儀がなっていないなっ! 歳上にタメ口など使うなんて!」
蒼羅様、アーシェ様が年下だと判った瞬間に見下した態度を取り出しましたわ。
声が若干震えておりますが。
そして礼儀が云々(うんぬん)は蒼羅様には言われたくないと思いますわ。アーシェ様、目付きが更に険しくなっておりますよ?
「っ! …で、貴様は華耶とどういう関係なんだ。そもそも、俺は華耶と話をしていたんだ、部外者が口を挟むな」
「話をしていた? あんな大勢の前で、華耶嬢を詰って貶めていただけじゃないか。華耶嬢が反論しないのを良いことに、見世物のようなことを…あんた、華耶嬢の婚約者なんだろ? 信じられん」
ソファに対面で座りながら、身を乗り出して怒鳴る蒼羅様。
背をソファに沈めるようにゆったり座り、落ち着いた声音のアーシェ様。
どちらが歳上か、疑いたくなるわね。
私? アーシェ様の隣に、一人分間を空けて座っておりますわ。
……さて。どうしましょうか。
私が悩んでいるのを感じたのでしょう。アーシェ様が、言ってもいいか? と訊ねてこられました。
……そうですね、丸投げになりますが、お任せいたしましょう。
こくりと頷き、ついでにちょっとひそひそ。
「な、なんだ!? 何を言ってるんだ!」
「華耶嬢は、あんたが苦手なんだよ。だから喋らない…喋れない」
「なっ! なっ! ~~~!! 馬鹿にするのかっ、この俺を!!」
見当違いなことを怒鳴る蒼羅様。
一回一回怒鳴らなければ喋れないのでしょうか?
アーシェ様が今言ってくださったのですが、私、喋れないのです。
え? アーシェ様にはひそひそ話をしている?
ええっと、何と言えば良いのかしら?
両親と、家で働いてくださっている使用人、それとアーシェ様ご一家に対しては、喋ることが出来ますの。
でも、それ以外の方に話そうとすると、喉がひきつれたように痙攣して、声が出せなくなるのです。
あれは、私が三歳の時でした。
両親から、婚約者だと蒼羅様を紹介された席です。
「じょうのうちかやでしゅ。よろちくおねがいちましゅ」
舌足らずだった私は、さ行とら行が言えなくて挨拶ひとつまともに言えません。
両親や使用人達は、まだ幼いのだから。と微笑ましく思っていたみたいです。が、蒼羅様は違いました。
「ふんっ! キサマ、自分のなまえもハッキリ言えないのか!? マヌケだなっ!」
「ち、ちがうもんっ! かやまにゅけじゃにゃいもんっ」
蒼羅様も三歳でしたし、あの程度の暴言は暴言とも言えなかったのでしょう。
その場にいた大人達は蒼羅様を止めも、諫めもされませんでした。
それから蒼羅様とは、婚約者ということと、歳が同じということもあり、度々お互いの家を行き来するように両親が取り計らいました。
政略結婚だとしても、交流をすれば仲良くなるだろう。と考えたのでしょうね。
ですか、蒼羅様からの暴言は一向に止まることはなく、それどころか、大人が居ない場所では段々とエスカレートするようになりました。
私の方も、舌足らずな喋り方が一向に治らず、どんなにがんばってもゆっくりと喋るようにしても、無理でした。
そんな生活が続き、一年が過ぎた頃です。
「華耶様、東條様がお見えになりました」
「は、…?…っ、っ…」
「華耶様? ……っ、華耶様!」
使用人に返事をしようとしたら、喉の奥がきゅうっと引き絞られたようになり、息が出来なくなりました。
直ぐにお医者様に見ていただけたので、大事には至りませんでしたが、それ以降、蒼羅様や、初対面の方と会うときに息苦しくなり、悪寒を感じ鳥肌が立って震えるようになりました。
特に酷いのが蒼羅様とお会いする時です。
両親も本格的に可笑しいと感じ、心療内科のお医者様に見ていただきました。
…結果は、対人恐怖症。
お医者様相手だと解っているのに声が出せない私の、筆談での、支離滅裂な言葉を根気よく聞き出し、下された結果です。
「お嬢様は人より舌が短く、上手く動かすことが出来ない。なので、『さ』や『な』、『ら』といった舌を大きく動かして発音する言葉が上手く言えないのです。そしてそれが気付かぬうちにコンプレックスになり、それを他者にからかわれ否定され続け、心的外傷になったのでしょう」
お医者様に言われて初めて、納得いたしましたわ。
両親にも誰にも打ち明けられなかった悩み。何故皆が出来ることが私だけ出来ないのか。常に周りの反応を伺っていましたもの。
両親や、使用人達はお医者様の言葉を聞き、私をありのまま受け入れてくださいました。
呂律が回らず泣きたくなる時も、ゆっくりでいいと、大丈夫だと頭を、背中を温かく撫でてくれました。
「……華耶嬢は人一倍努力しているし、我慢している。それを知りもせずに、知ろうともせずに詰ってばかりのあんたに、心を許すわけないだろう。あんたに会うと、何時も具合が悪くなると華耶嬢の侍女が悲しそうだ」
「そ……そう、なのか…」
アーシェ様の説明を聞いて、蒼羅様は肩を落とされました。いったいどういう説明をされたのかしら?
自分の考えに没頭してしまうのは、私の悪い癖ね。
蒼羅様はふらりと立ち上がったかと思えば、フラフラと部屋から出ていかれてしまいましたわ。
「……アーシェしゃま? 蒼羅しゃまはどうしゃれたの?」
「さぁ? 結局、謝罪すらしなかったな、アイツ」
二人きりになりましたので、私声を出しました。やはり上手く舌が回りません。
「華耶嬢、ひとつ聞いてもいいか?」
「ええ。なんでちょう?」
「何故、トラウマの原因のアイツと婚約者のままなんだ? それに、何故俺には平気で喋ることが出来るんだ?」
あらあら、アーシェ様、二つ聞いてますわよ?
「アーシェしゃまは、私のはにゃちかたを可愛いと言ってくれまちた。出会った時から…今も、蒼羅しゃまのように笑いもからかいもちまちぇんもの」
「そうか」
「しょれかりゃ、婚約はお家の契約でしゅので、両親が解消をもうちでても、東條家が首を縦に振りゃにゃいにょでしゅ」
私のトラウマが判って直ぐ、両親は婚約解消をと東條へ申し出ましたが、たかが子供の、しかも心の病なんて直ぐに治るから。とあちらが頑として受け入れなかったのです。
東條にとって、城之内との繋がりは切なるものなのでしょう。
城之内的にも繋がりがなくなるのは痛いのです。
「しぇめちぇ、東條とどぉちょおの婚約者を見ちゅけにゃけりぇば……」
ため息を吐いて呟いた私に、アーシェ様は何か考えるように目を閉じ、直ぐに開くと、少し待っててね。と微笑みました。
「城之内華耶さん、僕と結婚していただけますか?」
「………ふぇ?」
一ヶ月後。
アーシェ様がご両親と共に我が家に来られ、挨拶が終わった瞬間に私の前に跪き、私の手を取り言い放った。
吃驚してわざとらしいくらいの瞬きしてしまいましたわ。
アーシェ様は私を見つめたままニッコリ笑顔。
周りを見渡せば、アーシェ様のお父様がぴらりと紙を取りだし、私のお父様へ。
「東條から婚約解消の書類を貰ってきたよ。勿論、華耶嬢への慰謝料その他諸々しっかり頂いたからね」
「私達は玖静だけれど、アーシェは本家からも期待されていてね~、将来はカーヴァイル家の養子に決まっているの。だから東條何かよりもお買い得よ~。
私も華耶ちゃんみたいな可愛い子が娘になるのは大賛成~。御義母様だって気に入るわよ絶対!」
「カーヴァイル家…イギリスの…大貴族、御三家と言われる……」
「本家っていっても、あちらもちゃんと跡取りはいるから、補佐役に欲しいらしいわ~」
私と両親は固まりましたわ。
色々展開飛ばしてません? 当事者がなにも知らないのに、当事者に有利な感じで事が収まってしまってますわ。
……アーシェ様のお母様が言った台詞に色々物申したいのですが、私の前でじっとして待っているアーシェ様が無視できません。
「華耶嬢、返事」
「ぁ、ぅ……お、おねがいちまちゅ!」
キメられない私の舌が憎いですわ!
対人恐怖症はこんなんじゃない。と思いつつ……
軽く読み飛ばして、深く考えないでください。