*3*無理な宿題
ていうか、今とてつもなくすごい話をしていると思うんだけど。
俺の気のせいだろうか。
ていうか、この子笑顔でなんかすごいことサラっと言ってないか?
ていうか、ていうかばっかだな俺。
落ち着け、落ち着くんだ…。
無理だ…。
理解できないぞ。
ただ分かっているのは、その「わからないの」って言った時の彼女の笑顔が俺の中で何かを壊したような気持ちになったことだ。
どういう意味かと言われてもわからない。
なんて顔で笑うんだ、君は。
泣きそうなのに、悲しそうなのに、でも、心のそこから笑っているのが伝わる。
俺はこんな笑い方を知っている。
…知っていた。
でも、無意識に記憶に蓋をする。それがこの数年で身に付いたことだ。
俺はそっと桜の木を仰ぎみて、もう一度、彼女を見た。
「とにかく、ここにいるのは危険だとおもうよ」
何とか自分のペースを取り戻そうとしてみる。
でも、それもむなしい抵抗で、すぐに次の彼女の言葉にわずかに回復した思考回路は再び分断されることになる。
「でも、私ここから動けないみたい」
「……はい?」
声が裏返ってしまった。
「何度か歩いて向こうの道のほうにいってみようとしたんだけど、進まないの、ほら」
ほら、といいながら彼女は歩いて見せた。
だが、俺にはその場で足踏みをしているようにしか見えない。
コントか?
「…歩いてるの?」
「うん、むっちゃ普通に歩いてる」
「…足踏みしてるよね」
「だよね〜やっぱそう見える?あはは」
「いや、あはは、じゃなくて…」
「なんか、お兄さん面白いね、あははは」
「いや、面白いこと何にも言ってないんですけど…」
「あははははは」
「いや、だから笑うところじゃないし!」
いくら何をいっても、彼女はケタケタと笑うだけで、俺は何を言っても無駄のような気がして、天を仰いだ。
小さくため息すら漏れる。すると、ぴたりと彼女の笑い声が止まった。
「あ、子猫返すね、はい」
彼女は唐突に子猫をこちらに差し出す。
「え、返されても…」
そのとき、彼女の小指がそっと彼の腕に触れる。
あ、触れるじゃん。
不思議とそんなことを考えた。
幽霊説を信じたわけではないのに。何故だろう。
そう首をかしげていると、不意に彼女がひらひらと手を振った。
「私そろそろ時間みたい」
「…時間?」
「うん、なんか、なんとなくわかるんだよね〜、時間がくるの」
突然すぎて、展開についていけない俺を尻目に、彼女は笑顔でさっさと話を進めていく。
「なんの?」
「ん〜?消える時間?」
…だからどうしてそう、さらりと笑顔ですごいことを言うんだ…。
頭が追いつかん。
というか、そもそも消えるってなんなんだ。
「あ、そうそう、その子猫の名前、決まったら教えてね」
「…え?飼うなんていってないし!」
「だめ、飼ってあげてね。かわいそうだもの!じゃあ、おやすみなさい」
「かわいそうなら、君が飼えば…って、おやすみ?」
条件反射でそう返事はしたものの、怪訝な顔は隠せない。
子猫を腕に抱きながら彼女を見つめ返すと、彼女は笑顔のまま手を振りながら、そっと姿を消した。
「……!」
そう、本当に、だんだんと彼女の姿だけが薄くなって、後ろの桜の木が見えてきたかと思うと、そこに彼女の姿は跡形もなくなっていた…。
どのくらい呆然としていたんだろう。
彼女のいたはずの場所をじっと、眺めていた。
いや、放心していた。
理解不能だった。
「……おいおいおいおい。嘘だろう…ほんとに消えたよ…」
口から思わず独り言が飛び出るほどに。
早春の冷たい風が、取り残された彼の頬と、まだ蕾の桜の木の枝を撫でていった。