*25*約束
『何度も言うようだけども…』
電話の向こうから親友のため息まじりの声が聞こえる。
その声がかろうじて俺をつなぎ止めている。携帯を耳に当てているのがせいっぱいだった。
『俺、明日、仕事。朝早いわけ!…て聞いてんのかよっ、おい、新!?』
彼は語尾を荒げるも、それは睡眠妨害に対する苛立ちではなく、電話をかけてきたくせにひたすら黙秘し続ける親友を心配してのことであることは俺には分かっている。
『おーい。切るぞー俺は寝てしまうぞー。3秒以内に返事をせい』
困り果てた純のため息が、携帯から真っ暗な俺の部屋に響き渡った。
『霊媒師やり始めて、失敗して詐欺扱いされてパクられでもしたのか?ん?』
そんな適当なことを言い出す純に、思わず突っ込む。
「……あほか」
『あほ!?おまっ…俺のまじめな心配をあほ呼ばわりとは、何様だ!』
心配に真面目と不真面目がある時点でどうかと思う。
俺はそんなことを思いながら、この親友のペースに乗せられ、少し自分を取り戻しつつあるのが悔しくもあり、有り難くもあった。
冷静になって考えてみようと思えてきた。
「純…」
『ん?』
やっと話す気になったか、と言いたげな返事に俺はふっと笑みがこぼれる。
「寝ろ」
なんだとーっ!と絶叫する彼の電話を一方的に俺は切った。
悔しいので礼など言ってやる気はさらさら無かった。
きっと純は、今頃あーだこーだと独り言を呟きながら、それでもあっという間に寝ているのだろう。
でも何となく、純には伝わっている気がした。
もう、大丈夫だと、あとは一人でやれると。
◇◆◇◆◇
電話を切った俺は、ゆっくりと立ち上がって台所へ向かい、冷蔵庫からウイスキーを取り出した。グラスに氷を入れると、カランといういい音が部屋に響き渡る。
よいしょ、とため息まじりに呟きながら、再び床の上に腰をおろした。
やっと落ち着いてきた。
冷静に考えてみよう。
昨日まで、触れることが出来ていた彼女に、どうして急に触れることが出来なくなってしまったのか。俺の声は届いているのに、ミオの声は俺には聞こえないのはどうしてなのか。
どこかに原因があるはずだ。
今日から異変が起きたのだから、きっと原因は昨日に隠されているに違いない。
だったら考えるまでも無い。昨日起きた異変。
それはミオのあの様子を思い出せば、火を見るよりも明らかだ。
「……記憶か」
ミオは確実にあの時、激しい動揺から察するに、“あの名前”を聞いて何かを思い出したのだ。
そういえば、以前にもどんなに懸命に歩いても歩いても離れることの出来なかった桜の木から、2歩ほど歩くことができたことがあった。
それも、思い起こせば、背比べをしたりしている間に何かを思い出したといっていた頃じゃなかっただろうか。
そして、それを思い出したゆえに、桜の木のまるで呪縛のようなものが少し緩んだのだ、と言えないだろうか。
そこまで考えて俺ははっとした。
以前、一瞬だけミオの体を俺の手が通り抜けたことが前にもあったではないか。
そうたしか……妹だ!
あの時、ミオは妹がいると言っていた。そう言って泣き崩れたミオを支えようと手を伸ばした時に、俺の手がミオを通り抜けたはず。
あの時も、『記憶』。
もしかして『記憶』を手に入れる代わりに、ミオはこちらの世界から徐々に遠ざかっていってるのではないだろうか。
もし、そうだとしたら……最終的に全部思い出したら。
ミオは消えるかもしれない────。
自分の出した結論に、俺は胸を締め付けられる。
ミオに会えなくなる。
二度と。
でも、同時に思うんだ。
ミオにとって、このままあの桜の木の下にい続けることが、いいとはとても思えない。あんな寂しいところに、毎晩毎晩、ミオだって居たいと思っているわけがない。
第一、泣きながら、顔を真っ青にさせて、あの木の下に現れた日だってあった。それもあの日はたまたま俺が居合わせただけで、俺の知らない間に何度も同じことがあったのかもしれない。
あの暗い桜の木の下で、どれだけの時間を一人で彼女は過ごしてきたのだろう。
何を思って、あの木を一人で眺めていたのだろう。
やりきれない気持ちでグラスを口へと運ぶと、再び氷が鳴いた。
目を窓の方へ泳がすと、カーテンの隙間から、月俺かりが暗い部屋へさしこんでいた。
やはり、ここに彼女のいるべき場所はないのだろう。
いてはいけないのかもしれない。
それが自然のことなのかもしれない。
知らないうちに溢れた涙が、俺の頬を伝ってぽたりと床に落ちた。
今度は…俺が、自分で、手を離すのか…。
あの時は、突然に愛する人を奪われた。でも今度は、自分で愛する人の手を永遠に離すことになるのか。
手を離す気になれるだろうか……。
再び愛する人を失うことに、自分は耐えられるだろうか……。
俺は深く深くため息をついた。
まだ、覚悟ができていない。
ミオに笑顔で会うことが出来ない。
その自信がない。
それでも、ミオを愛する気持ちはこれっぽちも薄れていないのも確かだった。
どうして、君に会ったのだろう。
どうして、君だったのだろう。
君に出会えたことに意味があるなら、俺はそれを果たそう。
都合の悪い現実を見てみぬふりをして、辛いことを忘れたふりをしていても仕方ない。
全部受け止めて、その上で、しっかり前へ進んで行こう。
そこに、俺と君が共に歩む道が無いとしても。
もしかしたら、ミオは俺にこれを教えるために俺の前に現れたのかな。
“いつまでそうやって逃げてるつもり?”
そう“君”が言ってるって、伝えに俺の前に現れたのかな。
俺の脳裏に一瞬懐かしい笑顔が浮かんだ。
「美生…君か?」
自然に笑みがこぼれた。それが本当に不思議だった。
だって、“君”ならそうしそうだなって思ったんだ。
そうだな。
ちゃんと前に進まないとな。
俺は生きてるんだから。
これからも生きていけるんだから。
“君たち”を愛した自分を誇りに思いながら、これからを懸命に生きていこう。
やることは決まった。
俺はぐっと唇をかみ締めた。
そして、俺は明日からそれを行動に移すために、その日は早々に床につくことにしたのだった。




