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24/33

*24*伸ばした手のゆくえ

 その日も、雲は多かったが綺麗な月が川沿いの桜を照らしていた。 

 仕事が休みである今日も俺は川原に向かう。が、その足取りは重い。


 ミオは、“武山優希”の名前を聞いた時だけ過敏に反応した。

 料理部や後輩の名前ではなく。

 

 そして、“交通事故”にも動揺していた。

 


 それはミオの真実にかなり近づいている証拠に感じられた。

 いや、もう俺の中ではミオと“武山優希”が一本の線で繋がっていた。

 おそらく、ミオが“武山優希”なのだろう。

 

 


 しかし、俺の脳裏を昨夜のミオの悲痛な表情がずっと頭から離れないでいた。

 このまま彼女の素性を突き止めるようなことをしても大丈夫なのだろうか。

 このまま彼女がすべてを思い出すことが、いったいどういう結果をもたらすのだろうか。

 

 …そう、すべてを思い出したら。

 確実に何かが変わるのだろう。

 一瞬、俺の中に不安がよぎる。

 その不安を吹っ切るように、俺は頭を振った。

 

 考えながら歩いているうちに、大きな桜の木にたどり着いていた。

 何度見てもその幹の太さ、枝の広がり、大きな根、そのすべてに圧倒される。

 神々しい、という言葉が俺はぴったりだと思った。

 

 その桜の木の下に現れる少女。

 晴れた日の、決まった時間に、俺に笑顔をふりまく少女。

 そして、俺はこの桜木の下に現れる少女に思いを馳せた。


 晴れた日の、決まった時間に、俺に笑顔をふりまく少女。

 俺が今、誰よりも大切に想う、たった一人の少女───。





 俺は、はっとした。

 どうやら0時をいつのまにか回ったらしい。考え事に集中しすぎて、ミオが来たことにも気がつかないとは…。

 俺は自然にふっと笑顔がこぼれる自分を自覚しながら、ただいま、と隣に立つミオに優しく抱き寄せようと手を伸ばした。

 が、俺の手は数秒後ぴたりと止まる事になる。 

「……どうした?」

 ミオは笑顔で口をパクパクと動かすも、彼女の可愛いらしい声が聞こえてこない。

 ミオは何?というように唇を動かし、首をかしげた。

 やはり声は聞こえてこない。

「ミオ、声どうしたの?」

 俺はミオの顔をまじまじと見つめながら、問いかける。

 ミオは眉間に寄せながら、口を動かした。 

 どうやら、彼女は普通に話しているつもりのようだ。

 だが、俺の耳にはその声は届いていない。

 俺の声は彼女に聞こえているようで、彼女は何がおかしいのか分かっていないようだった。

 

 どういうことだ?

 なぜ、突然こんなことになったんだ。

 だって、昨日までちゃんとミオの声は聞こえていたじゃないか。

 

 俺は愕然としながら、ミオの顔を見つめていた。

 心配そうに彼女は俺を見つめ返している。

「ミオ…」

 俺は、ごくん、と無意識に生唾を飲んだ。

 名前を呼ばれたミオは、きょとんとして俺の次の言葉を待っている。

「ミオは今普通に話しているんだよね?」

 え?とミオの口が動いた。

 彼女の声は聞こえないが、そう言ったのは分かった。

「ミオには俺の声は聞こえてるんだろう?」

 ミオはこくんと頷く。

「俺に、ミオの声は聞こえない」

 その瞬間、ミオの表情が文字通り固まった。 

「ミオ…」

 俺の呼びかけに、不安げな顔を向ける。

「原因は思い当たらないよね?」

 再び頷く彼女は、今にも泣きそうだ。

 きっと彼女にもどうしてこのようになったのかわからないのだ。


 わけが分からない。  

 理由も原因も、……現状すらも。

 やるせない気持ちで俺はそっとミオを抱きしめようとした。

 

 



 ―――え?




 

 今度は俺が固まる番だった。

 俺が伸ばした手が、ミオの体を通過したのだ。

 そう、確かに通過した。

 ……嘘だろう?

 俺は、ぐっと唇をきつく結んだ。


 信じたくない。

 受け入れたくない。

 

 意を決したように俺は、もう一度ミオの肩に手を伸ばす。

 おそるおそる…手を伸ばす。

 しかし、震える俺の手が、再び彼女の柔らかな肩の温もりを感じることはなかった。

  


 俺は切り刻まれるような胸の痛みを感じた。

 

 もう、君に触れることはできないのだろうか。

 もう、君の体温を感じることはできないのだろうか。

 もう、君の鼓動を自分の鼓動に重ねることはできないのだろうか。

 

「ミオ…」

 

 俺は震える声で、ミオに呼びかけた。

 潤んだ瞳から涙がこぼれていた。

 ふと、見ると彼女の手が俺の胸にそっと触れていた。

 いや、正確には触れているように見えていた。

 俺にはその感覚は伝わらなかったので、彼女が俺の左胸に手を当てていることにすら気がついていなかったのだ。

 そして、そこからミオ自身も悟ったようだった。 

「…触れないんだ。君を抱きしめられない」

 自分の口からでた言葉に、現実に起こっていることを再確認させられる。

 ミオの頬を綺麗な涙の雫がつたっているのに、それを拭ってやることも…

 頬を両手で包み込んで、おでこをくっつけて笑いあうことも…

 何よりも…君の可愛い笑い声が聞けない。

 

 どうしてなんだ。

 なんでなんだ。

 俺たちは多くのことは望んでないだろう。 

 一緒に居る時間が欲しい。

 それだけじゃないか。


 俺は好きな人と一緒にいたいだけなんだよ。 

 声が聞きたい。

 抱きしめたい。

 普通のことじゃないのか。

 それすら、俺たちには許されないのか。


 

「ミオ…」 

 次の言葉が出てこなかった。

 不安そうなミオを励ましたいのに。

 笑う顔が見たいのに。

 上手い言葉が見あたらない。

 自分の無力さを痛感した。

 …ミオを…泣かすことしかできないのか俺は……。

 

 不意に溢れる涙を拭うこともせずに、ミオが俺の胸に飛び込んできた。そしてそっと俺の唇に自分のそれを重ねる。

 俺は目を閉じた。


 ……感じない。

 確かにそこに彼女は唇を重ねているのに…目を閉じると自分の存在しか感じられない。


 俺の閉じた瞼から、涙がこぼれた。

 目を開ければそこに、確かに彼女の姿はあるのに。

 何も感じないんだ。

 君を。 

 



 苦しい……



 

 俺は一歩後ろへ足を動かした。

 すると、俺の首を抱いていたミオの腕がすーっと俺を通過して、簡単に離れる。

 ミオは顔をくしゃくしゃにして、地面に膝をついた。

 

 ごめん。

 ミオ…。

 

「ミオ…またくるよ」

 

 俺はそう言い残して、ミオに背を向けて走り出した。

 そう言うのが精一杯だったのだ。


 一緒にいるのがつらいなんて…そんな日がくるなんて…。

 考えもしなかったんだ。

 君がこんなに愛しいのに…。

 今は、一緒に居ることに耐えられない…。


 俺は河原沿いの道まで戻ってくると、走る気力もなくなっていた。

 肩を落としてとぼとぼと家路につく。

 頬を伝う涙を拭うことすら忘れて、ただただ歩いた。

 

 さっき桜木に向かう間に俺の頭を一瞬過ぎった不安が再び俺を襲う。

 分かっていたことだった。

 いつも、どこかでそう予感していた。

 このまま一緒に居られるはずがない。

 分かっていたじゃないか。

 

 彼女は、この世にはいない。

 死んでいるんだ。

 

 自分は彼女を永遠に失う…。

 彼女は遠からず俺を置いて消えてしまうんだ―――。


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