*23*心の湧き水(後編)
「あれから何か思い出した?」
俺の問いに、ミオは何も言わずに首を横に振った。ミオは例によって座ったまま俺に後ろからすっぽり抱きしめられている。
「あのね…偶然わかったことがあるんだけど、聞きたい?」
「え?ほんと?聞きたい!」
ミオは即答した。
「実はさぁ…」
そう俺が言うと、ミオは体の向きを変えて俺と向き合った。
大きな瞳が俺を見つめる。吸い込まれそうだ。再び俺の視線はミオの唇に釘付けになる。
麻薬だな、と俺はその誘惑に逆らわずに短くキスをした。
「…俺の職場で、君によく似た子を見つけたんだ」
「職場って?」
「すぐそこの高校だよ。俺はそこの教師をさせてもらってます」
「先生だったんだ〜?」
「実は先生だったんです。んで、その子は料理部に入って…」
「…料理?」
首をかしげるミオに、あれ?と俺も首を傾げてしまった。
思ったよりも反応が薄い。
まさか、ここまで期待させておいてハズレなのか?
「2年前の卒業生でね。後輩の神崎舞って子が色々話をしてくれたんだ」
ミオの様子を伺いながら俺は恐る恐る話すも、ミオの顔に何か手応えに思えるものは見当たらない。
どう見ても、ピンと来るものはなさそうだ。
「神崎舞?」
ミオは、誰だろう?と考え込み始めていた。
これはハズレで決まりかな。
一気に俺の肩から力が抜けた。
なんだよ、期待させる展開だったくせに、神様ひどいなあ。
てっきりもう、ミオにたどりついたのかと思っていた。
俺はこの話はここで打ち切ろうとしたが、ミオの方からそれで?と催促されたので、もはや惰性で話を続けることになった。
「神崎さんが言うには高校生を卒業してすぐに交通事故で無くなったらしいよ、その子」
その瞬間ミオの瞳が大きく見開いた。しかし、俺は視線を頭上に泳がしたために、その一瞬を見逃していたんだ。
「でも人違いみたいだな。その様子だと、他人の空似……」
俺はそう言いかけて、ミオの表情に口をつぐむ。
「…こう…つう…じこ……?」
大きな動揺。
カタカタと全身が震え、みるみるうちにミオの瞳に涙が溢れ出す。
その様子を目の当たりにして、俺も動揺し迷いが生じた。
これは……もしかして……!?
続けるべきか否か。
ミオに近づけて嬉しかったはずだったのに。
こんな表情をさせたかったわけではなかった。
俺は自分の今していることの重大さを、はっきりと実感した。
彼女の“真実”が彼女に何をもたらすのかを…。
「ミオ……大丈夫?」
俺がおそるおそるミオをのぞき込む。
その質問には答えず俺の腕を掴み、震えながらミオはまるで勇気を振り絞るように問いかけてきた。
「その子の…名前は…?」
俺は躊躇した。
正直、見ていられなかった。
泣きながら、震えながら、それでも知らなければならない“真実”なのか。
そこまで必要なことなのか。
「ミオ…今日はもう止めよう…」
「…名前は?」
彼女の懇願するような瞳に、俺は小さくため息をついた。
知りたい。
この先に何が待っていようと、知りたい。
彼女はそう言うのだ。
そして、自分にそれを止める権利はない。
俺は観念してその名前を口にする。
「武山優希……」
「……ゆ…き…」
ミオの口からその名前がこぼれ落ちるのと同時に、彼女の体がぐらりと揺れた。
「ミオっ!」
俺は慌てミオを抱き止める。
ミオは気を失っていた。
この時、彼女の中でコトリと音をたてて動き出したのだ。
止まっていた何かが。
ゆっくりと、でも確実に…。
この時の俺にはそのことに気づきようもなかった。