*18*女のカン(前編)
あの日から2週間、仕事に忙殺される毎日が過ぎた。
給湯室の窓から見えるあの桜の木が目に入るたびに、彼女の顔がちらつく。
ミオに会いたい。
こないだあんな事があったばっかりなのに、彼女は大丈夫なのだろうか。
危険な目にあってないだろうか。…とはいっても幽霊に命の危険があるのかどうか分からないが。
そもそも本当に彼女は幽霊なのだろうか。
考え始めると、止まらない。
「松本先生」
「はい、今行きます」
が、すぐに現実に引き戻される。
もともと自分で仕事を増やしていた自覚があったがために、自分の首を自分で絞める感覚だ。こうなると仕事が邪魔だな、と思ってしまう自分にも嫌気がさす。
ミオに会いたい。
日に日にその気持ちは増すばかりだ。
そんなある日。
「松本くん、彼女できたでしょ?」
休憩室で一緒になった大谷先生に突然そう言われ、飲んでいたコーヒーを噴出しそうになる。
言葉を失って大谷先生を眺めると、やっぱりねと彼女は笑った。
「春休みあたりから、松本くん様子がおかしかったもの。最初は生徒のことで悩んでるのかと思ったけど、途中から違うなってピンと来た」
「…………ピンとねぇ」
「女のカンてやつね」
それは知ってる。世にも恐ろしいのが女のカンだ。
理由もなく、ただなんとなくそう思った、と言うわりに鋭いところをぐっさり突いてくるのが特徴。
こういう時は、なすすべがないのが男だ。
「まさか生徒じゃないでしょうね、相手」
大谷先生は小声で恐ろしいことを言う。俺にそんな趣味はない。
「勘弁してくれよ。そんな分けないだろう」
俺がため息交じりにそう言いコーヒーを飲もうとした時、得意げな「あ、やっぱり彼女できたんだ」という大谷先生一言に、固まる。
しまった……。
こんな初歩的な誘導尋問に引っかかるとは…。
「そうかそうか、松本くんがね。仕事が彼女なのかと思ってたよ。なんか今までより親近感かな〜」
どういう意味だよそれ……俺を仕事マシーンみたいに……否定できないか。
確かに今までは、プライベートの時間を作るつもりなんて更々無かったからな。
だって、必要なかったから。むしろ、仕事以外のことを考える時間が必要なかった。
その名残で今、膨大な仕事量に身動き取れなくなってるわけだけど。
「松本くんも普通の23歳だったか」
「何だよ、それ……」
「んで、女のことは女に相談するのが早いわよ。何か悩み事でしょ?」
どうしてそんなに嬉しそうなのかよく分からないが、確かに大谷先生の言うことは一理あるなとは思う。思うが、どこから相談したらいいのか分からないし、信じてもらえる筈もない。
「大丈夫だよ、ありがとね」
だから、やんわりと申し出を断った。
「何、言えないような相手なの?」
が、どうしてこう女性というのは、恋愛話が好きなんだろうか。大谷先生が、このまま俺を開放してくれるわけは無かった。
だから俺は忙しいんだってば…。とっとと仕事を片付けて、1分でもミオに会う時間が作りたいのに…。
俺が黙っていると、彼女は質問を畳み掛けてくる。
「まさか、ホントに生徒じゃないでしょうね?年は?」
「……二十歳くらい」
「くらい!?くらいって何よ」
だって、本人も知らないんだからどうしようも無いじゃないか。
「どこで会ったの?」
「…………川原?」
「はあ!?」
「…………声でかいって」
そこで我に返って口を押さえる大谷先生だが、後の祭り。休憩室にいた他の先生方がこっちをジロジロ見ている。
「何それ!ナンパ?今時ナンパ!?松本くんナンパしたの!?」
再び小声に戻ってはいるものの、大谷先生の頭の中の暴走は止められないようだった。
なんかもう、どうでもよくなってきたぞ。
「川原で見かけた女の子に声掛けられて、仲良くなったわけ。」
「逆ナン!?」
「まぁ〜似たようなもんじゃないの?」
再び大きな声で叫ぶ大谷先生を放置して席を立ち、コーヒーを飲むのに使っていたマイカップをすすぎ始めると大谷先生もわざわざ移動して話を続ける。
「ねえ、大丈夫?変な女にひっかかってるんじゃないの?人に言えないような相手は私どうかと思うけど……」
その一言に無性に腹が立った。
君に何が分かるんだ。
そう言いたかった。
俺のミオを思うこの気持ちも、胸を締め付けるような苦しみも。
俺のものであって、君のものじゃない。
君のものさしではからないでほしい。
しかし、俺は無言で蛇口を止め、カップを食器洗いカゴに置くと笑顔でこう告げた。
「そうかもしれないな。でも心配してくれてありがとう。じゃ、俺そろそろ仕事戻るわ」