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17/33

*17*桜日和

 それから、俺は仕事が終わると川原に立ち寄るのが日課になった。もちろん、雨の降っていない日に限り、である。


 世の中は新学期となり、我が高校でも新入生を迎えた。今年は、授業でも1年生と関わることはない。それでも、真新しい制服に身を包み、まだ幼い笑顔の1年生を校舎で見かける度にほほえましく思う。

 彼女にも、あんな時期があったのかな。楽しそうに廊下を歩く女生徒を眺めてそう思うのだ。


  

 その夜も、俺は午前0時に遅れないようにその桜の木の下に向かった。

 運良く、雨は降っていない。

 川原の桜並木はすでに8分咲き。

 

 こんなに綺麗に咲いてたのか。

 今更ながらここ数日、桜を見やる余裕すら持てなかった自分に苦笑する。

 忙しさもさることながら、目に入ってなかったんだろう────“他のこと”に夢中で。

 

 そしてたどり着いた。一際大きな、見事な桜。

 

 その枝は大きく横に広がり、濃い茶色の幹に淡いピンク色の小さな花々が枝と枝の隙間を埋めるように咲き乱れている。月明かりに照らされて、花びら一枚一枚がまるで自分たちの美しさを競うように、誇らしげに自分を魅せている。そして川からのそよ風に誘われるように、花びらは舞うのだ。

  


 綺麗だ。


 なんと表現していいのか分からない。

 言葉なんて無力だなと思ってしまう。


 しかし、その花々に見とれながらも、そこに現れるはずの“もっと綺麗なモノ”に期待をしそわそわする。今まで桜を一緒に眺める時間も余裕もなかった。今日は時間もたっぷりあるし、月も綺麗に出ている。絶好の花見日和だろう。

 きっとミオと眺める桜は、もっと鮮やかで美しいに決まっている。

 そう頬を緩ませて、俺が桜木にも背をもたれさせる。ほどなく足元に座り込むミオが段々と浮かび上がってきた。

 

 来た来た。そう俺が胸を高揚させたのも束の間、一瞬にして異変に気がつく。

 明らかに、様子がおかしい。

 彼女は、小刻みに体を震わせて、焦点の合わない視線を地面に向けていた。顔が真っ青だ。

「ミオ!?」

 どうしたんだ!?

 いったい何が!?

 焦る気持ちから、知らず知らず彼女の肩を強く揺さぶっていた。しかし、彼女から返事はなく、ただ呆然としたまま彼女の視線が自分を通り過ぎ頭上に向いた。

「桜…咲いたね…」

 か細い声でミオはそう言った。彼女の瞳は確かに涙であふれ、その頬は濡れていた。彼女がそっと瞬きをするたびに、涙の雫がこぼれ落ちる。

 何で泣いているんだるう。

 何があったんだろう。

 俺の中をどうすることもできない、何もしてあげられない、そんな不安がいっぱいに広がっていく。

 彼女は静かに涙をこぼしながら微笑んでいた。

 何かあったのは確かなんだ。でも、今は桜を見上げながら…微笑んでいる。


 ミオ、君はなんて顔で桜を見上げるんだ。


 俺は、そのミオの寂しげな表情に釘付けになっていた。その表情で胸が締め付けられる痛みを感じた。

 目頭が勝手に熱くなる。

 涙がこぼれそうなのを隠すために、ゆっくりと俺も桜の花に視線を向けた。


 ミオの横顔越しに、一面の桜の花々が見えた。


 桜に抱かれている──そう思ったんだ。


「あぁ、綺麗だ…」 

 俺は心から素直に、そう口にした。


 ほらね。

 やっぱりだ。

 君と一緒に眺める桜は美しい。

 俺が今まで見た、どんな桜よりも美しい。

 でも、きっと君はわかってないだろう。

 この桜よりも、君の方が何倍も綺麗だ。



 不意にミオが俺に視線を戻した。そしてゆっくりと、俺の手を取り、そっと自分の頬に運ぶ。自然とその動きを目で追っていた。


「新くん、会いたかったよ…」

 ミオが笑顔で続ける。



「ありがとう」



 目が離せなかった。

 時間が止まっているのではないかと錯覚するくらい、美しい、と思った。


 舞い散る桜の花びらと。

 ミオの笑顔と。

 風に揺れる黒い髪と。

 月明かりに光る頬の雫。


 俺はこの時の眼に映った風景を一生忘れないだろう。


 そして、ミオはまるで一言一言にありったけの気持ちを込める様にこう言った。

「新くんに出会えてよかった」

 

 言葉にできない気持ちでいっぱいになった。

 だから力まかせにミオを抱きしめた。

 ──愛しい。

 この気持ちを、愛しい、と呼ぶ以外になんて呼べばいい。

 いや、呼び名なんて本当は、どうでもいい。

 俺はミオのぬくもりを、存在を、かみしめるように、そして、確かめるように、腕の中にミオを抱きしめていた。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 


 あと10分か。

 俺は携帯の時計を確認してから地面に座り込み、両足を広げ桜木に背をもたれさせた。そして、ミオに、こっちへおいで、と手招きをする。

 ミオは一瞬、恥ずかしそうに戸惑いながら、でも、俺の両足の間に座り、俺の胸に背中を預けた。その様子を微笑ましく思いながら後ろからミオをすっぽりと抱きしめる。

「ミオ…俺、明日から会えないんだ」

 俺はミオの背後からそう切り出した。

「え!?」

 勢いよくミオが後ろを振り返った。そのミオに短くキスをする。

「明日からしばらく忙しくなるんだ」

「……そっかぁ。お仕事じゃ、しょうがないよ。体調第一だよ!」

 ミオは寂しそうに笑った。その表情に逆に胸が苦しくなった。

「ごめん」

「いつも私思ってたの。新くん、ちゃんと寝てる?」

「……一応寝てるよ」

「一応?」

 ミオは少し怒ったように頬を膨らませた。

「…4時間くらいは」

「駄目。ちゃんと睡眠時間を確保してください。その上で私に会いに来て下さい。じゃないと私はちっとも嬉しくないよ」

「……俺が会いたいから来てるんだけどな」

 俺がぼやくと、ミオは今度は真剣なまなざしで、こう続けた。


「体、大事にしてよ。……生きてるんだから」


 俺は言葉を失った。

 そうだね。

 健康な体を大事にしてやらないといけないよね。そうできるのは俺しかいないんだし。

「分かった?」

 ミオは笑顔に戻ってそう言った。

「うん。ごめん」

「分かればよろしい!」

 ミオは俺の頬を軽くつねってみせた。それはミオに殴られるよりも痛く感じた。

「それに私も頑張って思い出してみようかなって思ってるの」

 そう言ったミオは、下唇を少し噛んで前方を見据えている。

 その決意はさっきの涙と関係があるんだろうか。

 何があったのかは教えてくれない。

 何かを覚悟したのも教えてくれない。

 でも、頑張ると前を見据えた彼女を応援してやりたい。

 だから俺は、観念したように続けた。

「そっか。無理するなよ」

「うん」

「焦っていっぺんに思い出そうとするなよ」

「はぁい」

「夜、俺以外のやつがここにきたら、隠れるんだぞ」

「今まで新くん以外ここで会ったことないよ?」

「今まで無かったからといって、これからも無いとは限らないだろう?とにかく、誰かきたら隠れるんだぞ?」

「でも……」

「でもじゃない」

 俺がまるで子供に言い聞かせるようにムキになって窘めると、ミオはぷっと吹き出した。

「……なんだよ」

「なんでもないです。了解しました、隠れます」

 小ばかにしたような笑い方が気に障るが、俺はさらに続ける。

「それから、調子にのって、ここからフラフラ歩き回るなよ」

「まだ歩けないよ」

「歩けたらやるだろう、絶対」

「……」

「……不安だ」

「歩き回りませ〜ん……たぶん」

「たぶん!?」

「いえ、絶対です隊長!」

「うむ。っていつから俺は隊長になったんだよ」

「あははは」

 俺は笑いながらミオのおでこをぺちっと軽く叩いた。

「それから……」

「まだあるの!?」

 まだ思いつくままに何か言おうとした俺をミオが遮った。

「大丈夫だよ」

「……ほんとかよ。大丈夫な根拠がみあたらん……」

「大丈夫だったら!も〜心配性だな〜、新くんは」

 ケタケタとミオは笑った。

 少しやりすぎたかな、と内心では舌を出し、俺はミオから視線をそらした。

 心配でしょうがないのは確かだ。自分のいない間に、彼女に何かあったらと想像しただけで、心がざわつく。おそらく、彼女の異常事態と聞くや否や、身内の不幸をでっち上げて『急用で帰ります!』とかなんとか言いながら、飛んで帰ってきそうな自分がいる。おかしい。こんなに心配性ではなかったはずなのに。彼女の存在が、自分にそうさせるのだろう。そうに決まっている。

 俺は勝手に長々と自問自答して、そして、観念したようにもう一つの導き出された答えを自白した。

「……単純にね、俺が君と会えないのが淋しいだけみたい」

 照れているのを隠す時、俺は急に真顔になるらしい。

 そんな俺の頭を、ミオは笑顔でぽんぽん、と軽くたたく。

 きっと照れたのはバレてる。ミオは何でもお見通しなんだ。

「落ち着いたらまた来るよ」

「うん、お仕事頑張って!しっかりね」

「うん、ありがとう」

 そして二人はゆっくりと、お互いの存在を、気持ちを、確かめるように唇を重ねた。

「ん〜……」

「え?」

「足りない!もう一回…」

「新くんの甘えんぼ!」

「やかましぃ。そんなことを言うのはこの口か!」

「きゃーー!」

 

 君に出会って知った。

 時間の大切さ。

 一分一秒無駄にできないそんな大切な時間。

 こんな幸せな時間が続かないのは、お互いにわかっている。

 だからこそ、永遠よりも長く大切な、束の間の幸せ。



 君のその笑顔が、この桜華乱舞に溶けるまで――――。 

 

 





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