*12*取り憑かれたら
俺は携帯を耳に当てて、呼び出し音を聞いていた。その音がぷつりと止んで、懐かしい声が聞こえる。
『もしもし〜?』
「……」
『も・し・も・し?』
「……おれ」
『しってるっつ〜の!お前、今何時だとおもってんだよ、2時半だぞっ!』
俺は2時まで桜の木の下で彼女を待ち、傘もささずに帰宅した。
そして、コートもマフラーもそのままに、部屋の電気もつけずに、玄関先で座り込んだ。
暗闇の中、携帯を耳に当てる俺を膝に乗った子猫が見上げている。
携帯から聞こえる声に、明らかにほっとしている自分がいた。
「……知ってる」
俺は、ぼそっと消え入りそうな声でつぶやいた。
『はぁ!?じゃあ、俺が明日も仕事で朝5時半には起きるってのも知ってるんだよなぁ?』
電話先で幼なじみの内田純が怒りを露わにまくし立てている。
きっと、カンのいい純のことだから、全部言わなくてもいろんなことを悟ってる。だからこそ、こういうときに純の声が聞きたくなるんだ。
『どうしたんだ?ん?ほれ、俺様が聞いてやるから言ってみろ?』
「……どうもしない」
『ほっほ〜……切るっ!』
「嘘ですゴメンナサイ…」
『うむ』
純の優しさが胸にしみて、俺の心の中は弱音と泣き言と不安と切なさと苦しさでいっぱいになった。
「あのさ…もしお前が死んで幽霊になったら、何してほしい?」
『はい!?お前、俺に死んでほしいのかっ!?』
その真剣な純の返事に、俺は思わず、ぷっと噴出した。
「いや…そうじゃなくて」
『俺は今、すごいショックを受けたぞ。夜中にたたき起こされたと思ったら、死んでくれとか親友に言われる俺、すごくかわいそうじゃないか?究極にかわいそうじゃないか?え、そこんとこどう思うよ、松本新先生』
「だから、違うって…たとえ話だっつうの…幽霊がある場所から動けないでずっと毎日現れるって、どういうことなんだと思う?」
俺は、他の人なら笑い飛ばすだろう質問をこの親友に問いかけてみた。なんとなく彼なら答をくれそうな気がしたからだ。
案の定、純は即答した。
『そらお前、未練があるんだろう』
「未練?」
『やり残したことがあるんだろうよ』
「…なるほど」
普段なら、彼の意見は参考程度で鵜呑みにすることはないが、今回ばかりは的を射ているような気がする。
胸の中で、何かがストンとはまった気がした。
「よし、寝る」
『は?なに、それだけ?』
「……なんかすっきりした」
『なんかよくわかんないけどさ〜、お前いつから霊媒師になったんだ?除霊でもすんのか?坊主にでもなんのか?』
「ならん!」
『まあ、俺は丸刈りハゲ坊主なお前でも受け止めてやるぜ。安心しろ!』
「だから、坊さんにはならんと言うにっ!」
『何にせよ、俺は寝る。意地でも寝る』
「……そうでしたスイマセン。ネテクダサイ」
『うむ、わかればよろしい。たださ…』
純は一度言葉を切って、こう続けた。
『取り憑かれたりすんなよ、どんだけ可愛い幽霊でもさ』
うわ、びっくりした。何も言ってないのに、なんでわかるんだお前……こわっ!
そんな絶句した俺をまったく気にも留めずに、じゃあな、と純は一方的に電話を切った。
それにしても。
取り憑かれるな…か。
膝の上でいつの間にか丸くなって規則的な呼吸をくり返す子猫をなでながら、俺はため息をついた。
取り憑かれたら、ずっと一緒にいられるのかな…とか一瞬考えるあたりが、重傷だよな……どうしよう…。
でも、そんなことを考えられるだけ、いくらか自分を取り戻しているのに、俺は気がついていた。心が少し軽くなった気がする。
この分なら大丈夫だろう、純がそう思って、電話を切ったのもわかっていた。
いつだって純にはかなわないんだ。
ありがとう、純。
なんだかんだ文句いいながら付き合ってくれる親友に面と向かってはいえない言葉だけど、きっと伝わっている気がする。
子猫を抱きあげて、よいしょ、と立ち上がった。
窓を開けると雨がしとしとと降っていた。