プロローグ「公爵の爆薬」
一冊の本が出版された。著者、アルフォンス・イーストエルク公爵。人々からはアルフォンス変質公と呼ばれる人間だ。世間から変質者の烙印を捺される彼の言動は、確かに異質さを孕んでいる。しかし、それはとあるたった一度の会談でいきなり彼の世間からの評価を変えてしまったのだ。
著作『戦争の在り方』。会談『マルクト会談』。そこで彼は一度しか発言していない。ただその一度の、短い一言のみの言葉で彼は一つの戦争を未然に防いでしまったのだ。
マルクト会談はラーン帝国マルクト市にてラーン帝国大統領であるウィレーム・オスマン立会いのもと行われたオーシア連合とラベリア帝国の会談だった。両国は10年に渡る外交上の問題から溝を深めており一触即発の雰囲気の中行われた会談だった。争点はいたってシンプルだ。二つの国の間には海があり、その海はプレートが複雑に絡み合う地殻変動の起こりやすい海域だったのだ。そして、そのプレート同士の強烈な衝突によって小さな島が誕生したのだ。地理的にはラベリア帝国に近い、さらにその島を発見したのもラベリア帝国だった。よって通常ならその島の領有権はラベリアに帰属するはずだった。しかし、その島にはラベリアにとって不要な地下資源が大量に存在することが分かっており、またその資源はオーシアにとっては現在最も必要な資源なのだ。リアラース鉱石と呼ばれる特殊な魔導体、それは現ラベリアの先端技術によって旧式になりつつある魔導機に必要不可欠な部品である。これをいかなる手段を行使しても我がものとする覚悟であるため、実力行使に移る前に交渉の場においてそれを買収したいという旨だ。
この会議にアルフォンス公爵はラベリアの代表として帝国軍元帥と外交大臣を伴い出席した。そしてオーシアも同様に大統領、元帥、外交大臣の三人での出席だ。そして、実際の会議は以下のとおりである。
「まずは我が方の会談要求に応えていただいたことを心から感謝する。早速で申し訳ないが我が方の要求を述べさせてもらう。外務大臣、頼む……。」
オーシアの大統領がそう、述べるとすぐ奥に控えていたオーシア外務大臣が手元の書類を散見しつつ要点をまとめ要求を述べ始める。
「現在、我が国と貴国の間に広がる海上に新たに隆起した島。以降、未属新島と呼称します。この未属新島を我が国に譲っていただきたい。代わりに我が国から同程度面積を持つ島及び排他的経済水域を貴国に譲渡します。また、これでは資源的に釣り合わないため資源に関しても最大限そちらの要求を飲めるよう努力する所存です。」
一見すればそれは至極真っ当な、損得の釣り合いのとれたビジネスのような話だった。だが、ラベリア外務大臣はそれに反対した。
「しかし、それでは国際条約に反します。リアラース鉱石は貴国以外も欲しがる資源だ、それでは我が国が帰国を贔屓しているように見えかねない。」
当たり前なのだ。これは国際政治の話、間違ってもビジネスの話ではいけないのだ。それには、複雑怪奇な国際情勢が絡んでくる。後進国が先進国に追いつくために大きな役割を果たすリアラース鉱石はその外交上の最もデリケートな部分。そして、ラベリア帝国は現在世界最高の先進国であるため世界のバランサーの役割を世界から強要されている。
「そうならないためにこちらは代案を提示しました。貴国にとっても利益あるものだと思います。」
このオーシア連邦外務大臣の発言はビジネスの場なら至極まっとうだ。だが国際政治の場では致命的に破綻している。
「発言よろしいですかな?」
ラーン帝国大統領ウィレームの発言だった。これにオーシア連邦側首脳陣は顔を顰めたがラベリア帝国大臣はその真逆だった。
「中立の立場であるウィレーム大統領のお言葉も聞きたい。よろしくお願いします。」
これによって発言権を得たウィレームはその表情に決死の覚悟を浮かべながら自らの意見を話しだした。
「国際条約第五条、資源の貿易に関して第一項によりますと、資源同士での物々交換は各資源ごとの価値が異なるため認められない。続いて第二項、採掘権の譲渡はその国で採れた資源はその国の労働者の人件費などを含め資源価値であるため認められない。この二点からオーシア連邦の要求をラベリア帝国がのむことは不可能です。どうか、お引き下がりください。」
この発言には重大な意味があった。ラーン帝国はこの瞬間に中立ではなくなったのだ。この台詞を要約するのならこうである『我が国はオーシア連邦の敵である。国際条約に従わないものに慈悲はない。』だ。
「しかし、地理的にそちらに近いが二国のほぼ真ん中に位置するのだ。ここは我が国の国内リアラース需要に免じて……。」
そこまで言ったところでウィレームが遮って怒声を上げた。
「くどい! 貴国の発言がどれほどラベリア帝国を困らせているのがまだわからんか!? 貴国の発言が国際条約に違反しているのがまだわからんか!?」
起立してしまったウィレームをラベリア帝国元帥が優しく肩を持って再び着席するよう促した。
「ウィレーム大統領。わが祖国は貴方の正しさを忘れません。」
そう耳元で囁きながら。
「何にせよ我が国は譲る気はない。」
向き直ったラベリア帝国元帥は毅然とそう言い切ると再びアルフォンスの後ろへと戻った。
「いいのか!? 戦争になるぞ!」
オーシア大統領は怒りを顕にしながらそう、言った。確かにオーシアには勝算が十分にある。何よりオーシアは世界人口の約二割を占めるほどに人口が多いのだ。比べ、ラベリアとラーンは足しても一割に満たない。技術力の差はあれど戦争をすれば40%ほどの可能性でオーシアはこの二国に勝利する。だからその場の誰もがそれを止めようとした。なんとか戦争を避けようと発言しようとした。しかし、アルフォンス公爵はそれを遮ったのだ。
「構いませんよ。」
顔色も、何もかもいつもどおりだった。冷酷な鉄仮面というほど無表情ではなく、冷や汗をかく程焦っていない。いつもどおりの穏やかな表情でそう、言ってのけたのだ。
会談の三ヶ月後ラベリアにはオーシアからの宣戦布告が届いた。その次の日オーシアの大統領は暗殺され、宣戦布告の取り下げ告知と謝罪文が届いた。
アルフォンス公爵の著書の最後のページにはこう書かれていたのだ。『戦争は何れ一撃で敵国を国土ごと吹き飛ばす爆薬の早投げ競争になるだろう。私は、今その片鱗を見ている気がする。』そしてそれをオーシアの国民たちは曲解した。“もしかしたらラベリアは国土ごとではないにしろ、我々を大量に殺す爆薬を持っているのかもしれない。”と。故に恐怖に竦み上がり戦争などできなかったのだ。そこまで含めてアルフォンス変質公の手のひらの上だったのだ。