八匹目
会議室内の騒ぎは収まる様子を見せないでいる。
このきっかけを作った総長並びに、火種を撒いた長は何も言わずにその場をじっと眺めている。二匹とも全く反応をみせない。
それを知ってか知らずか、場の騒ぎは増していく。誰も止める様子がない現状に溜息をつきたくなった。
が、次の瞬間、机を叩く大きな音が響き渡った。
「やめたらどうかの!」
助け船を出したのは、案の定なのだろう。
リリーお姉さまだった。彼女がそう言い放つと、おじさんたちは彼女に目を向けて、そのまま黙ってしまう。
「成虫どもが、恥ずかしいとは思わんのですか。批判があるのなら、ヤジを飛ばす前に、静かに、一匹ずつ答えたらどうなのか!」
「……リリーの言うとおりだ。皆の衆、一度落ち着け」
やっとそう言い放つ総長。いや、最初からそう言えばこんな騒ぎにならなかったのではないのか。鶴の一声とはそういう時に使うもののはずである。真剣な物言いと、頭から生えている触覚2本が馬なんともミスマッチだけれど。
その横で同じような装飾品をつけた彼も彼だ。
日本なら言っているよ。風貌からして相手をバカにしてる、と。
すぐに不採用の若者だ。
やっと静まった会議室で、皆が次の言葉を待つ。
オジサマ方は長の出方が見物だと上から見てきているようだ。そんな視線を受け総長が口を開いた。
「君。君の名前はなんだい?」
バトンがこちらに飛んできた。
「ナツです」
雌で関西出身です。
と言いたいが、前半に確証がないからやめておこう。
股の間に違和感があるわけではないから、8割がた雌のはず。まな板胸が理由で確証ではないのだけれど。
「君は何者なんだい?」
「な、何者? なに、もの……?」
いや、わからん。
何者だと聞かれて答えられる人なんているのか。
そもそも、人なんてここにはいないけど。ここにいる他の皆さんは答えられるというのか。
答えに手こずっていれば、周りはザワザワと中傷してくる。いやもう、答えられるのなら他が答えてよ。答えられるほど、偉くないしポストもないし、存在意義もわからないのだから。
もう、知らないし本当の事を言ってしまうしかないか。就職面接じゃぁ絶対落ちるだろうけど。
「わかりません」
素直に答えてやる。
別にどうなったって構いやしないんだ。
嘘偽りがない故に彼を見据えていれば、総長も言い返してきた。
「君自身が何者かも分からないのに、こちらが安心して置いてやれる程の余裕はない」
そりゃそうだ。
至極真っ当な正論である。これを覆す気もない。
どうせ置いて貰える確証もないのであれば、元の世界に戻れるだけの努力をしたい。
「いや、こちらとしては一思いに処刑なりしてくれる方が楽です」
「なっ! おぬしっ……!」
スパッと言い切った自分の言葉に、またもや会議室がザワつく。もしかしたら戻れるかもしれないのだ。可能性を捨てるつもりは毛頭ない。
というよりこれはチャンスではないか。
今、不届き者として処刑さえ決定されれば。
「ここが、何処かも解りませんし皆さんの事も1ミリたりとも知りません。こんな知らない世界にいるなら処刑されて死んだ方がマシなので」
そしたら、元の世界に戻れるかもしれないので。
自分の言葉が衝撃だったのか。ざわついた会議室が一気に静かになった。
本音を言っているだけだ。
その雰囲気を察したのか、総長がこちらを見るのをやめた。
「長、彼はそう言っているが?」
こちらに話を聞くのを諦めたのだろう。
横にいる長に話を振った。
口を閉ざし目を閉ざしていた長さんが、ゆっくりとこちらを見据えた。何を考えているのかわからぬ目線に少したじろぐ。
大丈夫だとは言われたけれど、どうするつもりなのか。
彼の行動に皆が注目する。
「まぁ、こうやって彼が言っているとおり。彼は記憶がないようだ」
長が開口一番そういった。いや、記憶はあるんだけど。
そういった瞬間からまた野次が始まった。嘘だの適当なこと言うなだの、飛び交う飛び交う。素晴らしいほどの罵声が飛んだあとに、リリー姉さんが咳ばらいをして静かになった。
「まぁ、敵か味方はわからないのは確かだ」
余計炎上することを平気でいう彼。すごいな、ナツ処刑へのスタートテープでも切ったのか。そう思って彼を見ていたら、彼は視線を外してしまう。
なんだ、総長とは違って目線で捉えたり首を締めたりしてこない。親子だけれど攻め方が違うのだろうか。似そうな部分だけれどと首を傾けてしまう。
「だが、こちらの知る言葉しかしゃべらない。あちらの言葉らしきものは一切聞いていない」
「それはこいつが本当に有能な密偵か何かだからではないのか」
「最初はそう思った」
そうでした。
密偵だとか言って首元切りかけてた。そのままやってくれれば良かったのに。無駄に生き残ってしまった。
その様子を見ていたリリーお姉さんには悪いけれど、あの時入ってこなければとも思う。
「ただ自分の存在を全く知らない生物も初めて見た」
「それもそいつの嘘ではないのか」
そういうと、長はなぜかふっと笑う。口を開いた瞬間彼は間髪いれずに自分を馬鹿にして語りだした。
「それなら、真っ先に俺を殺せばいいのに、なぜ殺さない?」
いや、そんな殺しなんかしたくないもん。
「もし優秀な密偵だったら、長だと分かった瞬間殺せばいい話だ。敵なら長の首を持って帰っただけでも、英雄扱いのはずだろう。更に言えば丸腰で自分が殺されるのをまつ馬鹿がどこにいる。台の上で俺たちに食べられるのを今か今かと待っていた挙句に、刃を当てた瞬間に痛いと飛び上がるやつがいるか?」
いや、経験してみてよ。死んだはずなのにわけがわからない状態になってから言ってほしい。
そんな状況なったことないのに、よくそこまでバカに出来るな。
「これで、密偵なら本当に笑える。本当に馬鹿だろう」
カチンとくる物言いにも頭にくる。
「んで挙句の果てには自分が何か分からず泣き出すんだ、子供にもほどがある。こんな馬鹿な密偵だったら、殺すより拷問して吊し上げたほうがよっぽど有益になるだろうが、この馬鹿はそれにも値しないだろうな」
なんだよ、バカバカってずっと黙って聞いていれば人の事終始バカにしやがって。
「まぁ、手を汚すほどの価値に値しない」
いやもう、なら早い所抹消したらよかったんじゃないの。
そもそも、殺してくれなかったあんたらが悪いんだろうが。
それに、死にたくて死んだんじゃないんだ。
名乗れるほど、何者か語れるほどではないけれど、自分の命をそこまで祖末に扱われるのはとても癪である。
堪忍袋の緒が切れて、いつの間にかその場を立ち上がっていた。
「ちょっと黙ってたら、次から次へと言いやがって。あんた何様のつもりやねん!!」
切った口火は止まることをしらない。
「バカバカ言うのもいい加減にしぃや! もうちょっとマシな言葉使ったらどうなん! なにが大丈夫や、散々大丈夫って言葉聞いたけど全く大丈夫ちゃうかったやないの。僕は殺されても何されても痛くも痒くもないけどな、相手の事バカにしすぎるのはやりすぎとちゃうか!」
ズカズカと目の前の彼の前にたって机をばんっと叩いて精一杯の罵詈雑言を飛ばしてやろう。
ここまで来たら謀反とかで処刑になるかもしれない。
最後までやりきってやろうではないか。
「この頭かったい、ひねくれ野郎! 僕かてこんな状態になりたくてなったんちゃうわ! この非情野郎! バカ、アホ! まぬけ!!」
気づけば彼の胸ぐらをつかみにかかる勢いで、彼に詰め寄っていた。ここまですれば、何かしらの罰かなにかが来てもおかしくない。
さぁこい、処刑。
空気の止まった会議室で誰も何も言わない。
あれ、おかしいな。ここで「謀反だ」とかいう言葉が聞こえてくる、はずなのに。
ふと振り返れば、本当に目が飛び出るほどの驚いた表情でオジサマたちがこちらを見ている。なんだなんだ。何をしたっていうんだ。え、謀反でしょ。
挙句の果てには、自分のことを密偵だと思っていたあの長の父親であろうおじさんが顔を覆って肩を震わせ始めた。
「クッ、まぬけだと」
そういって先ほどまで自分の全神経を見張っていた彼が、大声をあげて笑い出した。
その笑い声を皮切りにおじさん連中が笑い出したのだ。
いや、なぜそうなる。
「え? は? あの?」
「すげぇ奴がいるぞ! あの神経の太さはなんだ!」
「確かに、ただの記憶喪失じゃないか!」
え、なんで、謀反でないの。
ただわけもわからずアタフタしていると、長の方は勝ち誇った顔でこちらをみている。確か、僕は彼のことを罵倒したはずなのに、彼はこちらを喜ばしそうにみている。
なんだ、彼はただのドМなのか。
「よし、長にすべて委ねる。
煮るなり焼くなり、ここに置くなり好きにしろ。
こんな馬鹿を置いておくお前の神経も疑うがな」
なんだと。
「……むしろ、いい趣味をしているとほめてほしいくらいだな」
どういう事なんだ、その俺様目線。どういう育ち方したら、あんな返しができるんだ。
置くということに対して、もう反撃をしなくなってしまったオジサマ連中は一気にやさしい顔になり、その二匹の掛け合いをほほえましく見ている。
いや、先ほどまでの極度の緊張状態にさせて寿命短くなったんだけど。
寿命を返してくれないか。
あ、いや、死んでるかどうなってるかわかんないんだった。
状況を全く理解出来ていないこちらとは裏腹に話だけが進んでいく。先程まで皆反対していたはずなのに、一気に覆った世界が自分は理解出来ない。
リリーお姉さんに無理矢理席へと戻されて、話を淡々と進められた。
全会一致で置くことを許されてしまった自分は、処刑もなにもならずに全て長さんの手の中で動かされた事に終盤、ようやく気づいたのであった。
「はめられた……」
ぽそりと、呟いた言葉に誰も気付いてはいなかったし注目もしていなかった。だがしかし、皆がその事実に大分と前に気付いている事には違いない。
記憶があれば、まぬけや非情だの、馬鹿だの言わなかったのだろうか。彼の昔の功績なんて知らないし、どうせはここだけの関係であるはず。尚更、どうでもよかった。
罵詈雑言を並べ立てた後で今物凄く後悔している。
何のための罵詈雑言だったのか。ため息しか出てこなかった。
会議は粛々と勧められて終了する。
終わった直後、むすっと不貞腐れた自分の前で手招きをする長さん。今、こちらは絶不調で機嫌が物凄く悪いのに。手招きとは本当にお偉いさんなんだな。
そんなところで再認識などしたくないのに。
むすっとした表情で近づいていき開口一番ため息をついた。
「はめましたね」
「敬語は禁止」
「嫌です、癪に障ります。今日は敬語にします」
せめてもの反抗である。こんなことで何もならないのは重々わかっていても、どうせはガキだし子供だし。大人の考えなど持ちたくもない。
「全く……」
ため息をつかれたけれど、今は機嫌を直す気などなかった。わざとあんな風に怒らせた事が分かってしまったのだ。わざわざ怒るようなワードを並べ立て、こちらの爆弾に火をつけた。
そして。否定しないということは、はめたということだ。
「まぁいい、絶対に死ぬことは許さない」
「あの。お言葉を返すようですが、許さないって言ってもですね、死んじゃうことは仕方の無いことでありましてですね。僕にはどうにもならない事なんですけど?」
どうにか出来るのならどうにかしてるし。
ため息を付きたくなるのはこっちだと言わんばかりの物言いで言ってやる。だのに彼は彼で癪に触ったのだろうか。
「なっ……、っ!」
正に言葉をなくした様子で、言い返してこない。
少し顔を伏せてしまい、目線をあわせなくなってしまった。
「え? なんで?」
こちらは思ったことが全て言葉として出てしまったいた。
今言った言葉の中に何かしら彼の思う所でもあったのか。
傷付けるような事を言ってしまったのか、焦ってわたわたと周りを見回すも、いつの間にか会議室には何匹かしか残っていない。いつのまにか総長もオジサマ方もどこかに消えている。
遠くの方に座っていた若いリリーお姉さん達がゆっくりとこちらに向かっているのみ。ほかは誰も今この状況を知っている虫がいない。
「あの……?」
耐えきれなくなって、目の前の長さんに喋りかけた。彼はびくりと体を震わせる。びっくりしたのか、目を見開いてこちらを見てくるではないか。
なんだ、なにかしたのか。
いけないことでも言ったか、自分は。
「いや。何でもない、すまない」
軽く誤魔化された。なんなのだ、よく分らない。
逆に腹を立てていたはずの気持ちがどこかに消えてしまった。困惑した状態の自分からただただ目を反らす彼に顔をしかめてしまう。
相手を手の中で転がせておきながら、そんな風に困惑されても。
頭を掻きながらリリーお姉さん達を待つしかなかった。