七匹目
袋から出てきたカラスアゲハの翅。
その傷付いていない方は見事なものであった。触れればその鱗粉が手についてしまうのではないかと思うほど、きめ細かである。
しかし、その傷付いた翅からは、鱗粉が剥がれ落ち形も歪で動かせそうにない。
かたや、長ことシンクさんが付けているオオムラサキの翅は見れば見る程立派であった。
傷ついたところが少しもなく、全てが綺麗である。
雄であるから尚更なのだろうが、色鮮やかであった。
そして、彼のちょっとした動作に連動して動いていく。
まさに、蝶の翅の動き。
かたや自分はどうか。
「ほう、様にはなるものじゃのぅ」
背負ってみてはと言われて、されるがまま、制服の白シャツの上からその翅を背負った。
背筋などほぼ付いていない背中である。
背負っただけでは自然と動かせるほど器用ではなく。
リュックのように肩紐のついた翅。さすがに遊びがないように、キュッと肩に結びつけるように紐を短くする。
よく見れば、片側の1枚は先程から言うようにボロボロで、もう1枚も完全とは言えず。鱗粉が所々剥がれ落ちている。まさに片翼しか動かせそうにない。
キュッと絞められた紐を前で結び、少し背中を動かしてみる。
本当にこんなもので騙せるのだろうか。半信半疑で周りを見れば、皆こちらを向いて頷く素振りを見せる。
「様になっておる。それだけ傷ついておれば、跳ばずにも済むじゃろうしの」
「何より、辻褄が合わせやすい」
「辻褄……」
「あと、触覚もあるで」
どういう辻褄なのか聞いてみたいが、彼らはそれ所ではないようだ。翅と共に入っていた触覚をナツの頭に縛り付けてゆく。
巻き付けるというより縛り付けるという動詞がまさにぴったりであった。
「ちょっ、いたっ痛いっ!」
頭を締めるようにしてつけられた触覚の生え際を見た目だけでは分からぬように髪の毛をならされた。もとより、黒い紐で作られたそれは、髪の毛と同じ真っ黒で質感も似ている。
髪の毛に括りつけられたそれは、器用に2本だけ頭から飛び出ていた。
縛り付けた当の彼らは1歩下がってこちらを品定めする。
もうされるがままではないか。
多少の疲れを見せながらも、彼らの方を見れば満足げにこちらを見て頷いている。そんなに、様になっているのか。うまく締めあげられた頭は、ポニーテールをしている時と同様顔の皮が引っ張られている感触がある。
「これで、黙せるん?」
「あぁ。おぬしの体に合うよう作ってもらっておるからのう」
「さすが匠いった所か」
「ルカはカマキリんなかでも飛び抜けてるしなー」
また新しい名前が出てきたが、こんどは匠というのがキーワードのようだ。ルカという匠がこの翅と触覚を作った事が伺える。
頭を少し左右に振ったり、身体をクルクルと回してみる。一緒に動くそれは見た目以上に自分の体に合っている気がする。匠とやらは、そんな調節でもしたのだろうか。
自分の目からは、確かにフィットしているようにも見える。
自分の目を信じるのであれば、なんとか騙せるのかもしれない。がしかし、自分はほかの世界の住民だ。
感覚が違うのが当たり前なのだが、どうしようもない不安がある。
そんな不安を露知らず、ガガっという機械音が部屋の中で響く。振り向けば、リリーことお姉さんが腰につけていた黒い無線機を手に取った。
無線機があるという事は、結構技術的にも発展しているのだろうか。
機械音とともに声が聞こえてくる。
『こちら、ルンバ』
「ん。なんじゃ」
『講堂会議場内、総長以外は集まってます』
「了解した。今からそちらへ向かう」
『承知』
プツッと切れた機械音が終わると、リリーお姉さんがこちらに向き直る。
「よし、行くかのぅ。これなら、目も誤魔化せるじゃろうし」
「……ほんまに大丈夫なんですか?」
ようやく出てきた疑問の言葉に、ようやく彼らが気づいてくれた。向き直った彼らの顔は少しだけ驚いてはいたが、すぐに元に戻る。
その中でも差ほど変わらない顔つきの長がこちらを見て口を開いた。
「大丈夫だ。頭の片隅に記憶喪失って事だけ入れておけ。それだけでいい」
ニヤリと笑う彼はまた、何を考えているのかは教えてくれなかった。
とりあえず、記憶喪失という所だけを守れ、そうとしか。
それ以上彼らは何も語ってはくれず、用意してくれた上着を羽織り(翅は小さくしたりは出来ない為、上着はあらかじめ切れ目が入っている)初めて部屋の外へ出た。
このバグズ合衆国の建物は、基本洞窟の中にあるらしく、回りは全て土壁である。敵が攻め入り難くするためらしいが、毒ガスとか入れたら、一瞬に皆即死ではないか、とも思う。
とにもかくにも、対立している敵とは、何かと争いが絶えないらしくて、今は長い休戦中とも言っていた。
洞窟の中にある部屋一つ一つには、天窓に似たものがついているようだ。電気・水が普通に通っていて、電気は太陽光、水は地下水と上下水道の再利用で賄われているとか。
先程聞いた話では、現代日本と変わらないか少し古いぐらいの技術はあると見ていい。
ただし、全てが洞窟の中という異質な空間だけれども。
しばらく歩けば、広場のような大きな通りに出る。もちろん、四方八方歩くのは人ではない。何らかの装飾物をつけた虫たちである。
まばらではあるが、賑わいを見せている場所での自分の存在は明らか目立っていた。
何がそうさせるのか。
両隣に立って歩く3匹が目立つのもある。
しかしそれ以上に自分に対する批評が耳に飛び込んできた。
偉い方と共にに歩く自分が誰なのか。
片翼が無残な形になっている。跳べないのではないか。
あのような蝶は見た事がないが、知っている者はいるか。
など、値踏みされ批評され気持ちのいいものではない。
「気にするな。大丈夫じゃ」――と、そう何度も言ってくれるお姉様の気遣いがうれしかった。
自分だってこうなりたくてなったんじゃない。
叫びたい気持ちを抑えた。
――そして。
たどり着いたのは、明らか周りの建物に比べ雰囲気も違う場所であった。
高い土壁に埋め込まれた大きな扉の前には、カブトムシらしき兵士が二匹立っている。ここが他とは違う凄い場所だということが伺えた。
長さんやリリー姉さんの存在を見るや否や、その大きな扉を開ける二匹。明らか自分のことを疑視していたが、トンボのお兄さんが頷くことで事を収めてくれる。反対されるなんて、こんなものじゃないんだろう。これからだ。
入って赤いじゅうたんが敷かれた洞窟内。いくつもの扉が存在して、3匹は迷いなく奥のほうの扉へと歩いていく。
何匹もの虫たちが自分を見てくる。突き刺さる視線は先程よりも敵意剥き出しである。痛くて強くて打たれてしまいそうだ。
そんな自分を露知らず、前をゆく3匹はある場所に向けてどんどん進んでゆく。これが3匹と同じでなければここらへんで処刑されているのだろうな。
個人的にはそちらの方がいいのだけれど。
ようやく3匹が立ち止まった場所には、既に何匹かの虫たちが立っていた。見る限りは、カマキリや蜂など様々だ。
だが、先程言っていたような頭の硬いようには見えず、いるのは若い虫たちばかりである。
彼らの前にあるのは入口よりかは小さいけれど、明らかそこが一番大切な場所と言わんばかりの佇まいをした扉がある。会議室の入口にしてはとても豪勢に思えた。
「皆、聞いてくれ」
まさに鶴の一声。
長さんの言葉でその場が静まり返る。
「集まってもらったのは、今からこのカラスアゲハをバグズ合衆国の住民として認めてもらうためだ」
少しザワつく。皆、自分を見て長のいうことを聞いてを繰り返している。
その中でも少し年齢を重ねているであろう者が声を上げた。
「……蝶じゃないから知らないのかもしれないけど、見た事がないね。彼は何者?」
彼じゃない、彼女だ。
ない胸を確認しても仕方ないから、後でアレがない事を確認するけど。だからまだ、否定なんて出来ないけど。
前の世界では間違いなく雌でしたよ。
「国境付近に落ちてた。記憶喪失。ここのことも何もかも忘れてる」
この虫たちも既に嘘をつく対象なのだな。
考えがあるといった長さんがスラスラと話して自分の出る幕はない。
「嘘、という可能性は?」
ほかの虫が声を上げる。
そりゃそうだ。得体の知れない何者かも分からないのに、記憶喪失で何も知らないから置いてやるなど、平和な日本ならまだしも。
敵やら味方云々いうこの世界で、多少の危機感があるのであれば、殺すか牢屋へ入れるのが得策だとは思うのだが。
「この国にとって無害だ。今からそれを証明する」
どうやって。
と聞きたいが、それ以上彼は有無を言わさない雰囲気を漂わせた。若い者ばかりが集まっているから、見物だという風に上から目線ではなく、どうするのだという困惑が広まっているようにも見える。
それが見え透いていたのだろうか。
彼は続ける。
「それでも駄目ならその時はその時だ」
そういう長に対して、若い彼らは少し頭を捻りながらもその言葉を受け入れた。その時は、という言葉に彼らはそれなりの解釈を持ったようだ。
その時は殺る━━そんな風に捉えてくれたらな、なんて思ってしまう。
そんな思いを他所に、場の雰囲気が納得したのを確認した長。すっと彼らの前に出た。
両サイドに立つ細マッチョのクワガタが、ギイっと大きな音を立てて扉を開いた。
扉を開いたその先に見えたのは、大きな会議室。
30人程座れるであろう円状の机があり、真ん中は大きく空間がある。真ん中には大きく蝶のモニュメントが、上から釣ってある。ここのシンボルとも言わんばかりのソレは、金色に輝いていた。
それにばかり目に付いたが、他にも注目すべき所がある。
入って奥の方から席が埋まっており、そこに座るは聞いていた通りのご年配方。年齢を重ねた彼らであっても、何かしら付いていることには変わりない。
若い者しか見てなかったからコスプレイヤーに見えていたが、この年齢になると別次元だ。笑いたいが笑えない。
触覚をつけ緑の翅のみつけたバッタはまだいい。
クワガタのようにあの特徴的な頭を持っているとなると、もう乗っけているようにしかみえない。
あれはあれで本物なのだろう。
昆虫と一括りにしても、ミミズのように少し違う種のものもいて、手足が八本ある蜘蛛もいる。なんしか、全ての生き物に様々なものが付いていた。
もちろん、ご年配のオジサマ方に。
笑えない理由はもう一つ。彼らにとっては普通である事が大前提なのだが、その前に皆こちらを注目しているのだ。
入って長の後に続く者達の中で知らない生物は自分1匹だと言わんばかりの視線の注目度である。
一緒に入ってきたほかの虫たちは流れるように席についた。よって立っているのは自分と長さんのみ。
座らせてもらえるかどうかもわからず困惑していれば、椅子を持った長が真ん中へと促してくる。
引っ張られて座らせられた場所は、円形のど真ん中だ。
そして皆の注目を受ける、ど真ん中である。
目線だけで緊張と恐怖で失神してしまいそうだ。
少し前に笑いを堪えていた自分に戻りたい。
その緊張を知ってか知らずか、この場所に座らせた長が自分の肩に手をおいた。何かと見上げれば、彼は真面目な顔をして一言。
「大丈夫だ」
何が。
おもわず声を挙げてしまいそうになるのをグッと堪えた。
理由などない。声を挙げられる程の余裕がなかったのだ。
堪える自分に、何かを伝えられたと思ったのだろう。彼は満足して自分の椅子へと座りに行ってしまった。
彼の席は入って一番上座になる奥。2つあいた席の片方に座った。
座るのと同時に、扉が開く音が響く。
「総長のお出ましだな」
そんな声が聞こえてくる。
会議室内のほぼ全ての席が埋まっており、空いているのは長さんの横。つまりは、先程いないと言っていた総長か。
カランコロンという音が静かに響き渡る。
誰もがその行動を目で負った。
広い部屋をゆっくりとその歩き方を見せているようにも見えた。
やはり、総長なのだろう。風貌や出しているオーラが違う。
ただ長さんの父親というだけある。付いているものは確かに彼と瓜二つだ。オオムラサキの翅に触覚は勿論。青紫色をした髪の毛は短く切りそろえられている。顔には皺が入り、服装は黄土色の着物。着こなし方が様になっていて文句のつけようがない。
闊歩した先に椅子にドカッと座る。その態度が全てを物語っていた。まだ目線を合わせていなかったが、彼が座った直後に目が合う。
というより、捕えられてしまった。
「噂の蝶は君のことか」
捕えられた目を離してもらえない。
長さんに似たスッと上がった目尻。大きく鋭い赤紫の目は何かを答えろと言わんばかりに目で訴えてくる。
噂と言われたところで、なんの噂かも知らないのになんといえば良いのか。確かにここに来るまでには物凄く注目された記憶はあるけれど。
逃してもらえず、首元を締められているみたいだ。
苦しい、怖い、緊張だけが走る。
「答えてくれるかい。君なのか」
答えるって何を。
緊張だけがまして、拳を握りしめた。
━━正直に答えないと、殺られる。
そんな思いがよぎる。
━━けど、それは嫌な事なのか。
どこかで誰かが囁いた。
別に、殺されたってどうってことないじゃないか。
元の世界に戻るだけだ。
そう思うと、ふと力が抜ける。
長い時間黙っていたように思えた。
こわばった身体はまだ自由を許してもらえた訳では無い。
ただ、顔を動かし眉間に皺を寄せ顔を崩した。
「噂を知りません」
そもそも、ここの世界に来てから部屋から一歩も出させてもらえなかったのに。噂ってなんだ。
明らかに偉い方だとはわかるが、聞き方が雑だ。
そう考えると余計に緊張が、溶けていく。そういえば自分の目的はそこではなかったな、と理解した。
「では、長。彼が噂の蝶なのか」
捕えられた目がようやく離されて彼は下を向く。
他の言う弟なのか!という反応は全くなかったな。
長さんが振られた質問に口をひらく。
「何の噂か知りませんけど、蝶であることは明らかです」
明らかなんですか。長さん。
本当に言ってるんですか。
目の前のトップ2だけで行われる会話に誰も口を挟もうとしない。動向を伺っているのだろう。
答えた長さんに、総長は軽く首を振った。
「全く、一筋縄ではいかないな」
ふぅとため息をついて続けた。
「今まで誰も見たことのない片翼のちぎれたカラスアゲハの少年、と噂だったのだ。それも長連中が引き連れているから余計に目立つと言われていた」
また総長がこちらを捕らえた。
そのカマキリが獲物を捕まえて離さないような掴み方、やめて欲しい。変に冷や汗がでる。
「もっとも、蝶である私でも見たことがない。正体不明、得体の知れない生物であることには違いないな」
そう一刀両断されるとご最もすぎる。
目線を離さず言われても、その通りですとしか言えない。
ただ、彼は何を考えているのか分らなかった。他のご年配方々は誰もが自分に疑いの目をかけているのがわかる。疑念と殺意のような物で何本もの矢を打たれているようだ。
突き刺さる矢にも、突き刺してくる言葉や目線にも何もかも盾になるような物がなかった。
ただただ、拳を握りしめるしかない。
「それで? どうするつもりか。この得体の知れない彼を」
それが本題だ。
そう言わんばかりの一言に全員が息を飲み込んだ。
視線は一斉に長さんへと注がれた。
彼はゆっくりと閉じていた瞼をした開けてこちらを見据える。
「ここに置く」
「――なんだって?!」
彼がそう答えた瞬間。
自分に向けられていたはずの視線も一気に長に集まり、非難というより罵詈雑言が飛び交った。
一瞬のうちに会議室がざわめき立つ。
先程までの雰囲気であれば至極当然の発生事項であったことは間違いない。
本当にこれで大丈夫なのか。
目の前の長と総長が騒音の中びくともせず、また一言も発していない事にただただ心配してしまう。
僕は死んでもいいけど、この国、まとめられてるの。
そんな不安がよぎってしまうのだった。