四匹目
刃物を振り下ろしお腹にグッと突き刺した。
はず、だった。
「馬鹿か。何をしてる」
刃物を持った手に、違う温かみを感じる。
いや、圧力というか抵抗する強い力を感じる。
誰だ、なんで好きなようにさせてくれないのかと、軽くにらみあげた。好きなようにさせてもらえないもどかしさも相まって、睨む力を強くした。
自分の手を握るのは誰かと見上げたら。
「えっ……? こ、こ、コスプレ!?」
今まで暗いしチカチカするしで見えていなかった。が、見えてきたものに唖然とする。思わず持っていた刃物に入れていた力も抜けてしまう。
よくよく見れば、その人の容姿は整っていたし元が人間であることには違いなかった。しかし、頭からは2本の触角が生えているし、背中からは大きな紫色に白の斑点で茶色く縁取った模様のある翅がある。本物であることを語るかのように鱗粉が乗っている。
服装は普段着に違いない。しかし、頭や背中に様々な物を背負っているのだ。
いやまさか。
ここはコスプレ会場か何かなのだろうか。
周りをぐるりと見渡してみた。
だが皆何かがおかしい。
人の形をしているのに、何かしら翅や触角、角や鎌など様々なものをつけている。
それは皆様々多種多様で、誰1人として同じようなものを付けている者はいない。
いやここが天国とか地獄とかなら、天使や悪魔の羽ならまだ理解はできる。いや、理解していいのか解らないが、まだ納得はできる気がする。だがしかし、ここはなんだ。
コスプレしてる奴しかいないではないか。
それも普段着の上に物をつけるだけなんて、今の時代にはそぐわないほど陳腐ではないか。安上がりすぎる。なにか、ここはコミケか秋葉原か。
はたまた、ここがやはり死後の世界なのか
「……やっぱり、僕、死んでるやんな?」
「いや、なんでやねん!」
鋭く入ったツッコミとそれに伴い、何人かがずっこけた。
いや、吉本じゃぁあるまいし。綺麗なツッコミに拍手した。
気づいたら、刺そうとしていた刃物は取り上げられてしまっていたが、呆気に取られてその存在を忘れていた。
なんだ、ここは。夢なのだろうか。
先程つねられはしたが、再度つねって叩いてみる。しかし、状況は変わりそうにない。
夢ではない。
しかし、生きてはいない。
ではやはり
「死んでると思う」
「だから、死んでおらぬと言っておろうに!」
バシンと頭をぶたれた。
その叩いた主を見遣れば、その人も首に何かが巻き付けてある。
思わず手を伸ばして触れてみた。が、それは柔らかくツルツルしていて人工物のように思えない。温かみがある。
これは一体なんなのだろう。
触って確かめるも何がなんだかわからない。
「何を触っとるのじゃ、おぬし」
「あ、や、ごめんなさい」
周りを見れば皆、何かがついてたし何かが生えている。
なんなんだ、ここは。どこなんだ、ここは。
というか、自分はどうなってるんだ。
「……なんやねん。ここは日本ちゃうの? 関西ちゃうの? 大阪やないん?」
「何を言っておるのか全くじゃがの」
「僕もわからん」
なんで日本語は通じるのに日本や関西やらの言葉が通じないんだ。
「わっけわからん。あんたら誰なん。コミケか何かの会場やから、日本とか関西とか通じやんの? そこまで世界観大事にする必要はないやろ……。そろそろネタばらしして、ここは病院ですーとか言ってくれれば、ほんま楽なんやけど。いや、死んでるしな。地獄ですーとか死後の世界ですーとか言ってくれへんかな」
もう無限ループである。
質問しても質問で返される始末。
なんだというのだ。頭を抱えてもどうしても、事態はよくならない。
やはりお腹刺した方がいいんじゃないか。
近くにある刃物を手に取ろうとすれば、最初に止めた翅を持った人に止められた。
刃物を没収され手に届く場所から離された。
「なんで、邪魔するん?」
「……目の前で死なれても迷惑なだけだ」
少しの間を設けて眉間に皺を寄せる彼。
本当にそう思っているのか定かではない。
まぁ確かに目の前で、死なれるのは嫌というのはご最もかもしれない。
では自分はどうしたらいいのか。
もう。訳が分からない。
なんなんだ、自分は。
なんなんだ、どうなったというのだ、自分は。
理解しようにも情報が少なすぎて。追いつこうにも追いつけなくて、頭の中が混乱していた。どうしようもない状況に、自分で処理しきれなくなっている。
溢れ出てきた感情を、制御しきれない。
途切れたはずの涙が、また、流れ出した。
「なんやねん、もう……」
止まらない涙を覆い隠すようにして、体育座りをして泣いてしまうナツ。
それをみていた長が、軽くため息をついた。
なんとも、怒ったり喋ったり泣いたり自嘲したり、忙しいというか。
「皆、一度出てくれるか」
見かねた長と呼ばれた者が声を上げた。
皆も困り果てていた為か、その結論に素直に従い部屋から出て行く。少し不安げな“ねーさん”も、渋々と出ていく次第となった。
ふと見遣れば、ナツが“長”のほうを睨んできていた。次から次へと何かとアクションを起こしてくるナツに、ため息を零す“長”。
「……落ち着いたか」
「……落ち着く訳ないやん。なんで殺してくれへんの」
強気にそういうナツ。
ただ、何かしらの不安や恐怖からか、自分の体を抱きしめるようにしていた手はぎゅっと自分を掴んでいる。
力の入った握り拳。それが、全てを物語る。
「……よく言うな。怖いんじゃないのか」
「怖ないわ」
強がってみせる彼女はより一層拳を握りしめた。
その手から血が滲み出てしまうのではないかというほど。
「じゃぁ何か。殺されるのが、死ぬのが本望か?」
「なんやねん……。死んでないなら、なんでここにおるんよ。僕は」
「知らないが、死んではいない」
「なんなん、もしかしてその翅も触角も本物やとか言わんよな? それ、つけてるんやろ?」
はっ、まさか。
と続ける目の前の"少年"。
長と呼ばれた者にとっては"少年"にしか見えていないナツ。
訳の分からない事しか言わない"少年"に手を焼いていることには違いない。
触覚や翅は本物であるに違いなかった。しかし、本物というか、偽物があってなおかつ偽物をつけていたらどうというのか。怪我や故障といった意味で、偽物いわゆる義翅をつけている者も少なくはない。
ただ長自身のモノは全て自分由来だが。
目の前の"少年"のいう言葉に逆に頭を悩まされる。
「そもそも殺そうとしてたんは誰なん」
「得体の知れない生き物だったからな」
今じゃ、絶対に殺せそうもない。
死んだはずの彼が生き返ったのではないか、という思いが拭いきれない。生まれ変わりなんていう言葉を信じたことは無かった。しかし信じるに値するほど、目の前の少年は彼に似ていた。
スタイルの良い彼女が自分を心配する程だ。自分の目が見当違いだったとは言いきれない。
ただ、言動は彼と異なる。
それに、彼であるのであれば自分を笑顔で名前を呼んでくれるはずなのだ。
「得体の知れない生き物って、世界観大事にするにも程が有るやろ。そろそろネタばらししてや」
「何をばらせばいいのか解らないが」
「んじゃ、やっぱり僕死んでるんや」
「本当に言っているのか?」
「本当も何も、死んでないなら、なんでランや父ちゃんや母ちゃんはおらへんの。僕が生きてるんやったら、なんで病院におらへんの?」
生きているのならば――
知る由もない事柄達に思わず口をつぐむ。余りにも、相手との事象の食い違いが大きすぎる。
いや次元が違うのか。何が違うと言うのだろう。何から切り出せばよいのか。記憶がない訳ではなさそうなのに、死んだと勘違いしている奴の正気を戻すためには、どうしたらよいのか。
「……なぁ、ココ、何処なん?」
迷っている間に、目の前の"少年"が問い掛けてきた。
「……この部屋か?」
「ちゃう。そんなん聞いてもしゃぁないやん。この……、地域? 国? 何でもイイから、情報ちょうだい」
何を思い立ったのか、少年は“長”をジッと見つめてくる。改めて見る彼の顔は、本当に小さくて、デカイ目玉は落ちてきそうだ。見れば見るほど、見知った彼に似ている。
「ほら、なんやろ……。国? 地域、とか?」
死んだはずである、彼に。
「僕の知らない世界にしか思えん。なんでもいいから、情報が欲しいんやけど……」
知らない、世界?
情報?
いや、まさか。
もしかして、敵から送り込まれた密偵かなにかか。
彼を殺した上に、まだ何か仕掛けてくるのか。
敵から送られた刺客か何かか。
こんな風にしてまで、こちらを支配したいのか。
情報をくれと言われて急に頭が冷えきってしまった。
「……そういう事か。そこまでして、ここを乗っ取りたいのか」
「何言ってんの? 乗っ取るって何を? 知らんやん。なに、僕、悪者なん?」
「どうせ、あちら側の密偵か何かなんだろう。そんな身なりを改良してまで。ほんとうに手の凝った事をする」
「じゃぁ、殺ってしまお。ほら、持ってるやん。そのナイフ、有効活用すべきちゃう?」
スッと添えられた手。
トケトゲしいものも何も付いていないその手は柔らかで、温かみがあってやはり生きている。死んでいるはずがない。
憎しみと恨みと辛みと悲しみと。
複雑な感情が相まってひどく苦しくなった。
添えられた手がひどく小さく感じられる。
彼の手はこんなに、小さかったの、か……?
添えられた手に力が入って一気に少年の首元へと運ばれる。スッと充てられた刃物はいとも簡単に少年の首を傷つけた。
そしてグッと込められた力は少年の首をもっと傷付けて━━
「━━あほぅ!! 何をしとるんじゃっ!!」
聞こえてきた声と共に、握られていたはずの刃物がとりあげられた。ハッとなって、少年から勢いよく離れる。
頭が混乱して付いていけていなかった。
止められた手には赤い血が伝っている。
「馬鹿かお主は! 何が皆出ていけじゃ! 殺してどうする!」
「いや、密偵か何かと思った」
「自ら命を投げ出す密偵がどこにおる!」
「え、ほらここやん。おるよ、密偵やったら殺してくれるんやったら是非是非そうなるわ!」
「自ら密偵などと言うバカもおらんわ! 馬鹿者!」
確かに。
しかし、疑いなどすぐに晴れるモノでもない。
騙しているかもしれない。
疑いの目で少年を見ていれば、逆にキラキラとした目つきでこちちらを見ている。疑いの目を向けたことに対して嬉嬉としているようにしか見えない。
これが密偵であれば、本気のバカか本気で賢いかのどちらかだろう。
やはり、容姿が似ているというのはここまで相手を混乱させることが出来るのか。
「おぬしもおぬしじゃ。なんで死にたがるのか」
「だから、死んでるはずなんやって」
「だーかーらっ! 違うと言うておろうに!」
「じゃ、ぼくはどこにおるんよ。ってか、ここどこよ」
軽くため息をついた少年が、台の上で胡座をかいて俯き項垂れた。落胆の表情を見せる少年。
「今でも死んでいると思っているのか?」
再度聞き直せば、少年はこくりと頷く。
「当たり前やん。コスプレしてる知らん兄ちゃんが、糞真面目に話し掛けてくるんやで。地獄やなければ、夢の中やな」
「……“こすぷれ”なんかしてないが」
「通じるん?! やっぱり夢や!」
「いや、現実だ」
「僕にとったら、夢やねん。というか、そう思わせてや、今だけぐらい」
拗ねるようにして、そっぽを向いて言う少年。
確かに、嘘など言っては居なさそうではある。
ただ、密偵でもないことを確かめる必要はある。
ただまぁ、“長”である自分の前で、これだけ横柄な態度を取れる者はいない。
さらに言えば、一般民もしくは外の生物ならば、必ずと言っていい程、遜って喋ってくる。
“こすぷれ”とやらの意味はちんぷんかんぷんではあるが、何だか否定したかった。
何かしら変な要素しか含まれていないようにも思えたのだ。
「……で、ココは何処?」
ならば、試しに言ってもいいんではないか。
ココの場所、を。
「まったくもう……そろそろ、言ってやったらどうじゃ?」
ため息を付く彼女。
言われなくとも。言ってやる。
少年の目を捉えて見据えた。
「ここはバグズ合衆国」
「……え? 暗号?」
「違う、場所名だ」
「……もっかい言ってもらっていい?」
眉間にシワをよせた少年。
その顔に向かってもう一度。
この地の名を。
「アースの
アジューロ大陸
バグズ合衆国」
もう一度聞いた少年の顔は一層難しくなる。
「どこやねん、そこ」
少年の声が虚しく部屋の中で響いたのだった。