三匹目
噂の“何もついていない”死体”は、極秘裏に持ち込まれた。
裏門と呼ばれた場所は大きな洞窟へと繋がる戸口になっていた。土や岩で仕切られた空間への入口は木や草で生い茂る森の一画に隠されるようにあった。
上からの指示もあり、そのままあ誰も寄りつかない場所へと容れられた。その間であっても、死体から生気を感じることは1ミリもなかった。死後硬直がはじまってもおかしくないその体は、酷く綺麗で傷一つ無い。
何が死因だったのか全く想像できない。
薄暗い洞窟の中の一室。
普段使われていない為か、電気が届いていないのか。蛍光灯があるけれど、チカチカと不気味に光っている。1本だけついた蛍光灯が薄暗くその部屋を照らしていた。
その部屋の真ん中に木でできた大きな台、テーブルがある。
その台の上に遺体、基“何もついていない遺体”はあった。
まるで起きる気配を見せない。
今すぐにでも息を吹き返すのではないのかと思うほど、綺麗な状態で。
その遺体に懐中電灯が近づけられた。
照らされた遺体は、あちらの世界で死んだ時と同じ服を纏っていた。制服である。
「……確かに、何もついていない」
側に立っていた者が言葉を発する。薄暗い中ではあるけれど、ある程度の容姿、輪郭が浮かぶ。人の形をしているが背中には大きな蝶の翅を背負っていたし、頭からは二本の触覚がでていた。極めつけは、口の中の長い舌のような物。
“人”ではない。
「蟻でも触角があるはずだし……」
薄暗い部屋の中で、4、5の“生物”がうごめいている。各々特徴のあるモノがついていた。
その中の一つが、ゆっくりと、遺体の髪に触れる。
「じゃが、ここまで何も無いのも不自然じゃのう」
「ねーさんでも首輪ついてんのになー……」
「こら、首輪ではないと言うておろう」
「うっ、すんません」
ギロりと動くその目が薄暗い部屋の中で一層際立った。
その者は、遺体を運んできた生物と同じく人の形をしているが首周りに首輪のような焦げ茶色の物をまいている。同じく、体と一体化しており取れそうにもない。
腰ほどまである長い髪の毛は赤茶色で、ボンキュッボンのナイスバディな体をしていた。
「……リリー、見たことはないか」
最初に喋った翅を背負って立つ者が言う。
首輪を持ったボンキュッボンのお姉さんが顔をしかめた。
「そうじゃのぅ。ここまで、何も付いていないのは見たことがない。わしらよりも無いのは初めてじゃ」
「コイツ自身に聞くのが早いやろうけど……脈もないし冷たいし生きてはないなぁ」
「試しに切ってみる? 中には何かあるかもしれないよ」
横から包丁やハサミなどを持ち出してくる者が出てくる。
小さな背丈でたくさんの刃物をもった者が大きな木のテーブルの脇にガラガラと刃物を置いた。
「どうすんの?」
「それが得策じゃろうの。正体不明の生き物をそのまま放置しておくのも気味が悪い」
「……生き返るかもしれないし?」
言ったそばから気味が悪かったのか身震いする。
生き返るという可能性もあるのか。誰もが、それは面倒だ、そう言わんばかりのしかめっ面をする。
「長、どうする?」
今聞かれても切る以外の選択枝はないだろうに。
目の前に横たわる遺体をまじまじと見るも、上から下まで何も付いちゃいないのは間違いなさそうだし。
深くため息をついて、遺体の服をめくりあげ足首を出した。
何もついていない細くて白い足が顕になる。
「まぁ、それ以外に選択肢はないじゃろうの」
長と呼ばれた生物が、近くにあった長い包丁に似た物を持ち上げキラリと光らせ、横たわる遺体の足元の方にゆっくりと宛てがった。
「……押さえてくれるか」
「はいよ」
生物の一つが、その遺体の両足首を掴む。
やけに細いけれどある程度筋肉のついたそれは、やはり冷たかった。足首から伝わる冷たさが死んでいる事を再確認させる。
包丁を持った彼が足首にぐっと力を篭めた瞬間。
「っ……!」
遺体がスッと息をした。
気が、する。そこにいた誰もが一緒にいた者と目を合わせた。
力を込めた足首からはすぅっと赤いものが出てきた。
血だ。血が遺体から流れ出したのだ。そして、息をした直後からか。掴んでいた足首が冷たかったはずなのに、生きている温かみを帯び始めている。
「え……生き、帰った?」
勿論、その食い込んだはずの刃先を反射的に外した“長”も、足首を持っていた彼も驚いた。
確かに今息をした。そして、生きている温かみを感じる。ゆっくりとだが胸を上下させて息をしているように見える。無かったはずの脈がある。
確かに息を吹き返したのではないか。
誰もが確信をもって再度遺体を見る。
「嘘やろ……」
さっきまでとは違う。目の前の生き物は、いきている。
生き返ったそれを見て一歩二歩後ずさりする。
生き返るかもしれないとは言ったが、こんな形で生き返るとは聞いていない。というか、こんな奇想天外な事が起こっていいのか。
誰もが目を見合わせて、どうするか思案する。
得体の知れない生き物を生かしておくのも脅威になりそうだ。
長と呼ばれた生き物に皆の注目が注がれた。
もう一度、切るしかないか。赤い血を流しているにも関わらず、身動き一つしないそれに、もう一度反対側の足に包丁をあてがった。
これは、確認も含めているのだ。
そう自分を言い聞かせた。
しかし、生きているのが解ってしまったからか、踏み込めなくなっている。一思いにやってしまえばいいものを。
そうこう悩んでいるうちに、その生物はスッと息をした。
そして一言。
「……何やねん。はよ殺してしまえばえぇやん」
と。
分る言葉を喋る遺体。
自分達が見たことのない生き物であるはずなのに、言葉が通じている。
「ひいぃぃっ! しゃっ、喋った! 死んでたんちゃうんか!」
足首を持っていた者が手を離して悲鳴をあげる。
余計にその場にいた者達の頭が混乱する。
目の前の遺体の得体が知れなくて。
そして遺体はまた喋る。
「……死んでも痛い思いするぐらいなら、はよ殺ってくれへんかな」
そう言いながら、目を閉じたまま顔をしかめた。
いやもう、遺体でないことは確定している。
どう考えても、目の前の遺体は死んじゃいない。遺体ではない、生物なのか。
今、“長”がつけた傷以外、どこもかもが健康そのものである。血の通った体はだんだんと温かみを帯び赤みを帯びた。着ている服は所々傷んでいたが、それ以外致命傷など見当たらない。
「……何を言うとるんじゃ? おぬし、生きているではないか」
「……え? なに言ってるん?」
渇いた笑いで返してくる遺体だったもの。
何処と無く諦めた気持ちが言葉の端々に前面に出ている。
「ココって死んだ後の世界やろ? 地獄かなんかで、今から、切られて煮込まれでもするんちゃうの。それが親不孝の僕への罰なんや」
遺体、基ナツがスラスラと言葉を続けた。
しかし周りの生物達にとっては、出鱈目をいう目の前の遺体に疑念しか浮かばない。
言っていることの辻褄が全くあっていないのだ。
死んでいるのであれば、何故喋っている。
何故、痛みを感じている。
何故、自分達の目の前に存在している。
遺体を取り囲んだ生物達が、同様の疑問を浮かべていた。
「……頭、打ったんか?」
「うん。トラックにぶつかって、頭打ち付けて背中から落ちて死んだんよな、僕」
そうそう、いつもやったらしないことなんやけど
と続けるも、生物達にとれば"トラック"の単語を知らない。
それはなんだと聞きたいのもあるが、背中から落ちて良くもまあ生きてたものだ。いやもう、どこから突っ込めば良いのだろう。
言いたい事がありすぎて、何も言えない。
一言いえばいくつもの疑問がうまれていた。
「ってか、早く切って炊くなり煮るなりしてくれん? はよ処罰してや」
「いや、生きてるのにそんなのできる訳ないじゃん! 馬鹿言わないで!」
「いやだから、僕は死んでるんやってば。そんな嘘いらへんよ」
「……無闇に命を取ってしまうのは、俺達の性分じゃない」
ため息をつくしかなかったのか、その“長”と呼ばれた彼は、包丁を遺体の傍らに置いた。やはり、生きているとわかってしまった以上、簡単に命を取れなかった。
今だ目を開けようとしない遺体は、微動だにせず寝転んでいるままだ。起きようともせず、動こうとも逃げようとも誰かを襲おうともしない。
尚且つ、この“遺体”は自分が死んでいて地獄にでもいると思い込んでいるようだ。
馬鹿げている。ここが死後の世界であるはずがない。
「……目を開けたらどうだ。ココは地獄じゃない」
「じゃぁ、天国?」
「違う。起きて、確認してみろ」
「いや、ほんまに僕死んだんや」
意固地になって目を開けようとはしない遺体に、“長”は“ねーさん”に目配せをする。どうにかしろと言わんばかりに。
彼女も溜め息をつきながら、再度遺体の横に立った。
「……ココは、天国でも地獄でもないぞ」
「……なら、地球……? え、僕生きてる? ……いやいや。だって、あんなデカイ事故したのに、生きてる訳無い」
いやいや、と手を振る遺体は、今だに意地を張る。その様子に、明らか苛々し始めているのが見て取れた“長”は、少し腰を引いた。
先程もあったが、怒ると彼女は怖い。
「お前は無傷じゃぞ? 夢なぞ見てたんじゃないのかのぅ? それに、ココは、チキュウなどではない。アースじゃ、アース」
「……地球もEarthも変わらんやんか」
そう言った瞬間、何かがブチッと切れる音が聞こえてきた。思わず、回りの生物達が一歩下がるも、“ねーさん”は、“遺体”の頬を捩るようにしてつまんだ。
「って、イタイイタイイタイ!!」
「訳の解らぬ事を言ってる暇なぞあるなら、はよう、目を開けてしまえ、小僧!」
「ちょっ、なっ?! どこが訳の解らない事やねん!」
遺体が痛さにまけて“ねーさん”の手を振り払って、むくりと起き上がった。勿論目も開けたわけだが、遺体自身パニック状態に陥っているためだろう。きちんと回りの生物の容姿なぞ目に入っていない。
しかも“ついている”物が少ない“ねーさん”を睨みあげていたためか、他の物が視界に入っていないようだ。
「死んでないなら、何で、ランがおらへんのっ!! 何で、母ちゃんや父ちゃんが回りにおらんのやっ!!」
必死に訴える遺体の目には涙が溜まっていて、睨みあげていたはずの目からは涙が次から次へとこぼれ落ちてゆく。
その表情いや顔に、その場にいた皆が驚いていた。
何故泣いているのかなんて、更には何故この“遺体”の両親が居ないのかなんて、解る理由が無い。
だがしかし。そこではない。
いや、それ以前に。
ナツの存在でもって、彼らは逆に天国に居るのではないかと思えてしまったのだ。
目の前に座るその生き物の顔が、あまりにも見知った顔であったから。
「だって、だってさぁっ……!」
消え入るような声は、本当に弱々しい。
酷く涙で濡れた顔を体育座りした膝の間に埋める。
遺体は遺体なりに、ずっと必死に考えていた。
確かに、遺体基ナツはトラックに当たって死んだはずであった。思い返せば死ぬ感覚だって味わっていた。
あの世へ続く三途の川とやらを、越えようともしていた。
なのに、自分は三途の川を越えることすら出来ず、溺れ落ちてしまったのだ。後、一歩、そう一歩で渡れたはずの短い河渡りを、自分は渡れなかった。
と、言うことは
生き返るのではないか。
神様が情けを掛けてくれたのかもしれない。
そう思って安心して意識を飛ばした。安心して、永眠に近い眠りに落ちた。溺れた事なんて忘れてしまったかのように、深い深い川底へと沈んでいった。
生き返る。
そう思ったから、浮こうなんて思わなかった。
次起きれば、きっと周りに家族がいる。そしてランがいる。
信じて疑わなかった。
泣いているかもしれない彼等を見るのを、とてつもなく楽しみにしながら、深い深い眠りから覚めた時――
――聞いた言葉を
嘘ではないかと
思いたかった――
「死んでいます。脈もありません」
きっぱりと放たれた言葉で意識が戻る。
朦朧としていたはずの頭の中がゆっくりとスッキリしていく。
確かに今自分を触った手は脈を測っていた。
その直後に放たれたということは、自分のことを言っているに違いない。
違いないのだが、死んでいるのか。
自分は、死んでしまったのか、やはり。
2度目となる落胆。
それも一度死んでいないと喜んだ後での落胆だったから、余計に落ち込んだ。
もう、生きていると信じるのは辞めよう。
神様などいないんだ。
「死んでいるのは確実ですが、どこからやってきたのかが……」
言葉を濁される。
日本からだよ。日本の関西の方からだけど。
神様なら知ってるでしょう。
死んだ世界なのにめんどくさい。
「それに、何もついていません」
何もってなんだ。
天使の羽か、悪魔の羽かなんかだろうか。
溺れてしまったし、もげてしまったんじゃないか。
それぐらいどうにかしてよ。
内心、悪態をつくことしかできない。
喋りたいが何故か喋ることができなかった。
「……確かに、何もついていない」
「蟻でも触角があるはずだし……」
え。蟻ってなに。
なんだ、死んだ世界ではなくて昆虫にでも生まれ変わったか、自分。
何もついてないって、手足ないの。触覚って何。
「じゃが、ここまで何も無いのも不自然じゃのう」
「ねーさんでも首輪ついてんのになー……」
「こら、首輪ではないと言うておろう」
「うっ、すんません」
首輪ってなんだ。
「……リリー、見たことはないか」
「そうじゃのぅ。ここまで何も付いていないのは見たことがない。わしらよりも無いのは初めてじゃ」
「コイツ自身に聞くのが早いやろうけど……脈もないし冷たいし生きてはないなぁ」
やっぱり死んではいるんだ。
というか、死んでて周りに人がいるならまだしも、ここはどこだ、ここはなんなんだ。
死後の世界とかではないのか。
「試しに切ってみる? 中には何かあるかもしれないよ」
「どうすんの?」
「それが得策じゃろうの。正体不明の生き物をそのまま放置しておくのも気味が悪い」
「……生き返るかもしれないし?」
「長、どうする?」
「まぁ、それ以外に選択肢はないじゃろうの」
え、切られるの。
死んだのにまだ追い打ちかけてくるの。
あれか、親よりも先に死んだからそれの罰的な感じか。
「……押さえてくれるか」
「はいよ」
温かみのある手が足首を掴んだ。
冷たい物が足に触れた、次の瞬間。
「っ……!」
一気に体を痛さが駆け巡った。
体の中で血が駆け巡り激痛が走る。
何か今までなかった感覚が、全て体に巡った気がする。
「え……生き、帰った?」
「嘘やろ……」
傷みを感じさせるために呼吸できるようになったのか。
なんだ、回りくどいやり方をして。
罰にするにも酷いやり方ではないか。
「……何やねん。はよ殺してしまえばえぇやん」
先程までどれだけ悪態をついても、出てこなかった言葉が出てきた。
そして、今に至る。
思わず出てしまった疑問や疑念の数々をぶつけたが、誰も答えをくれた者はいなかった。自分は本当にどうしてしまったというのか。
顔を埋めてひたすら泣いている自分に、誰も触れようともしない。
なんだ、腫れ物のように扱って。
余計にイライラした。
「いや、けど死んだはずじゃぁ……!」
「うっさいわっ! やから死んだ言うてるやんか! 否定したり肯定したりなんやねん!」
「私達が可笑しいのかな。死んじゃった?」
「いや、そんなわけはあるまい」
訳の分からぬことを言っているのはどちらかわからない。
皆が混沌とした頭で誰1人として答えをだせずにいる。
目の前にいる生き物は何者なのか、お互いの立場でお互いに疑念がある。
しかしまぁ、相手がとどめを刺してくれないのであれば、自分で一思いにやってしまった方が楽ではないか。
相手方の生物たちが困惑している中、手元にある刃物を確認した。自暴自棄になっている部分もあるけれど、訳のわからない場所でランや両親のいない世界であることは間違いなさそうだ。
死んでしまったことには変わりない。
早いとこ昇天したい。
きっと彼らが死んだ人を処刑する人達なんだろう。
なんで困惑してるかなんて知らないけど、彼らが殺らないなら、自分で殺ってしまおう。
近くにあった刃物を手に取って、勢い良く自分の腹に振り下ろした。