彼女の願い
夜、里を大きな光が包んだ。
誰もが太陽が昇ったのでは、朝になったのではと驚くほどに。
海堂家に奉られていた巫女は、大きな丸い水晶へと姿を変えた。だが、それだけではない。誰も近寄れなくなってしまった。
巫女の世話係である『山中 うめ』も、巫女の相手である『海堂 竜』すら近寄れない。我が我がと彼女を慕う者が近づこうとしたが、誰も傍へ行けなかった。
200尺くらい先に巨大な水晶が見えるのに、傍へ寄れない。
ただ一人を除いて。
「母様、どうしてこんなお姿に」
一人息子である『龍』が水晶に寄りかかり涙する。
そっと耳を寄せれば言葉が辺り一面に反芻し、龍を優しく包む。
『愛してる、龍』『幸せに、龍』『元気で、龍』
『愛する人は一人にして』『他に作らないで』『一人だけを大事に』
『龍の一族の平安を』『龍の家系の繁栄を』『龍の血筋に祝福を』
「母様、母様、こんな姿じゃ一緒に外へ行けません。元に戻ってください、母様」
『愛してる、龍』『幸せに、龍』『元気で、龍』
『愛する人は一人にして』『他に作らないで』『一人だけを大事に』
『龍の一族の平安を』『龍の家系の繁栄を』『龍の血筋に祝福を』
「私の言葉も、聞こえないのですね……」
息子は水晶に抱き付いたまま、一粒だけ涙を流した。そしてしっかりと立ち上がる。この水晶を守らなければ……と。
もし母親がいつか目を覚ました時に、母を暖かく迎え入れる人たちが必要。それは自身の血を引いた一族だろう。
水晶から離れ、回りを取り囲むように里の全員がこちらを窺っている。里の人は心配そうに、祖母は高価な宝石の数珠を抱えて祈り、父親はぼんやりと立っている。
海堂家の、戸籍上自身の母親は苦々しい顔をしてより顔に皺を寄せていた。戸籍上の祖父と義理の妹である貴美香は好奇心を隠さず。
「龍、龍や、みこは、みこはなんで」
「いずれこうなる事は知っていたでしょう」
「なんじゃと!」
「この状態が良くないと気がついていたのに、全員で母に甘えていた。母が耐えていた事を良い事に調子に乗った結果がこれです」
すると海堂瑠璃香が軽く笑う。
「養ってもらっておいて、離れを壊して更地にした怪物よ。恩知らずなのはあの化け物でしょ」
「気に入らない事やイラつきを全部母にぶつけて、さぞや毎月痛快だったでしょう。ですがもう貴方の悪口雑言を聞いてくれる存在は居なくなりましたよ」
「何を根拠に」
それを無視して戸籍上の祖父の前に行く。
「お爺様」
「おう」
いつもの好々爺ではない。野心家の顔をした祖父を静かに見つめ、彼は提案をする。
「父は母の加護から離れました。もう海堂で活躍するのは難しいでしょう」
「その根拠は?」
「いずれ」
「ほう」
すると海堂瑠璃香が割り込んできた。
「何を言うの! 貴方の父親ですよ! そんな言い方許しませんよ」
だが、二人は彼女を無視して話を進める。
「もう母は耳を閉じました。私の事だけを祈っています」
「で、どうしたい」
「私が海堂を継ぎます」
「すぐにか?」
「お爺様が亡くなる前に」
すると豪快な笑いが響いた。まるで里の中に反響するかと思うほどの大きな声だ。
「全てが上手くいけばいいなぁ」
「上手くいきます。私は母様の息子ですから」
巫女の加護から外れた里の住民は、一人一人と離れて寂れた山間の集落となる。が、巫女の水晶の周りを囲む様に家を立てた。
現在その集落には数軒の家が建ち、水晶の管理は代々『龍の一族』が担っている。