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みこ

 世界はまるでパズル。今日も解けない色んな物に固められ、私はまた目元を濡らしている。


「お母様、今日はお父様とご一緒出来るんですか!」

「ええ、もちろんよ」

「お仕事終わられたのね? 嬉しい」


 喜んでいる言葉を聞き流しつつ、窓から見える外を遠く見つめた。

 外は雪。白く、全てが白く染められている。

 私の心も白く塗りつぶせたなら、どんなに幸せだろう。


「……」


 眼下に広がる木々が、いつもと違い輝いて見える。まるで光っているようだ。

 窓を開け、そのまま藪を駆け下り、ふもとの小川を越えた先へ走っていけたなら……思いっきり走れば……何か世界が広がりそう。

 そう思いつつも、尖った枝や冬眠中の蛇や藪に潜む何かを考えて静かに膝を強く合わせる。

 逃げ出したい、けれど逃げ出す先が無い。私はここしか知らないのだから。

 縋り付くしかない私は、何もせずに俯くしかない。

 広い座敷に、主人が足を踏み入れた。


「お父様!」

「落ち着きなさい、貴美香は元気がありすぎるな」


 言葉とは裏腹ににこやかな笑みを浮かべる。


「ほほほ……お茶を頂きましょう? 私が入れます」

「お母様は、今日の品種は何ですの?」

「当てて御覧なさい?」

「もう、お母様ったら」


 大きく広い座敷だが、まるで空間を二つに分けられたように出来ている。ふすまを閉めれば二部屋になるだろう。

 片方の部屋は洋風になっており、テーブルが置かれていた。

 もう片方の部屋には何もない。そう、何も。


 用意されたお茶は三つ。

 お皿の上に輪っかがついたお椀が乗っている。それがテーブルに並べられるとみな口を付けて楽しんだ。


「明日は会食がある」

「ええ、ちゃんと取り仕切りますから」

「頼む」


 ああ、お願い。誰か助けて。

 心で助けを求めても、声に出さないので誰も気がつかない。


「よし、少し外へ散歩に行くか」

「いいの?」

「もちろんだとも」

「外は寒いわ」

「でもお母様、とても雪がキレイなのよ? 家では黒くで触りたくないもの」

「向こうは車が多いからな」

「ね、お父様」


 はしゃぐ二人にため息をつくと、仕方がなく許可を出す。


「ちゃんと温かくしていかないと」

「はぁい」

「お前も来るか?」

「……あら、私も誘ってくださるの?」

「当たり前だろう。貴美香も喜ぶぞ」

「ええ、そうしましょう? お母様」

「そうね、なら少しだけ」

「ふふ、みんなでお散歩ね!」

「雪を掻き分けた所だけだぞ?」

「はぁ~い」


 楽しい笑みを浮かべ、笑い声を上げてみんな行ってしまう。

 私を置いて。


「うっ、ううっ……ううう」


 誰にも聞かれたくないのに、誰かに聞こえても聞かれないのに、私を見る人など……誰も、誰も。

 嗚咽が漏れ、止め処なく涙が溢れ出し、とうとう体を伏せて泣き出す。


「なぜ……なぜこんな事に」


 私を愛してくれていたのでは無いですか?

 私と結婚したではないですか?

 私と一生を誓ってくださったではありませんか?

 ……私と、私と……。

 私の子供はどこに行ったのですか?

 私はなぜまだここにいるんですか? 


「まーた泣いてる」


 面倒だと言わんばかりに大仰な溜め息で、さっきの女性が部屋に入ってきた。近づかれると体が固まる。怖くて嗚咽を必死に殺した。

 最初はたくさん叩かれた、次からは叩かれなかったけれど……その時の恐怖が未だに拭えない。


「あのね、いい加減にしてほしいのよ」

「……」

「確かに貴方はあの人の妻だったかもしれないけど、もうそれは私なんだからね」

「……っ」


 息を飲み、顔を上げると綺麗にお化粧をしている女性が此方を見下ろす。


「私は二番目かもしれないけど、外のみんなには私が妻だって思ってるからね?」

「!?」

「まさかまだ愛されているって信じてる?」

「……でも」

「ほら、竜って優しいでしょ? 身寄りのない貴方を可哀想だからって面倒を見ているだけなのよ」

「……」


 言葉が体に突き刺さる。


「ほら、愛玩犬? あれと一緒ね」


 女性の笑い声がやすりの様に私を削る。


「貴方が男性なら去勢できたのにね」

「……」

「もし処理で慰められたとしても子供は出来ない様に祈りなさいよ? 次は大きくなる前に出しちゃうから」

「え」

「水子は少ない方がいいでしょ?」

「……」


 体を抱き締め、女性の怖さに震えた。


「本来なら家人の慰めに役立ってもらう所、お父様がお情けで許してあげているのよ? だから感謝しなさいよね」

「……っ」

「ほんと、何も役に立たないならどこかに消えてほしいわ」


 堪えていた涙が零れてしまう。この人の前では涙を流したくないのに。


「もう……自分が可哀想だって顔しないでよ。見ててイライラしちゃう」

「……」


 必死に目元を拭うけれど、溢れ出す涙を止めることが出来ない。


「ねぇ」


 いつもよりも更に低い声で近づいてきたので、身を竦ませる。また何かされるかもしれない。


「あんたじゃないの? 私に子供が出来ないの」

「え……」


 彼女には女の子がいる。私が龍を産んだ後、身籠って現れた。


「ここに来てから、出来ないのよねぇ……」

「わ、わた……」

「座敷童子かなにか知らないけど、家の繁栄を願っているのなら私たちの邪魔しないでよ」

「……」

「今日も頑張るから、ちゃんと応援してちょうだいね。竜との男の子が出来るようにね」


 にっこり笑いながら、部屋を出て行く。

 でも出て行く姿が滲んでよく見えない。洋風な、綺麗な人。本で見たモダンとは彼女の事を言うのかもしれない。

 大きな家の一人娘だという彼女、私は身よりも何もないし過去の記憶すらないただの女。


 幼い頃、寂しい山間に私は立っていた。そこからしか記憶がない。小さく、何も出来ない私をあの人が拾い、家族が育ててくれた。

 初めて覚えた言葉が、おとうさん、おかあさん、りゅう、はな。

 着るもの、住む場所、食事、そして生活を教えてくれた。年頃になる事には、人並み程度にはなんとか出来るようになり、りゅうからつがいになろうと言ってくれて……。


 それから目まぐるしく世界が変わった。

 りゅうが13の時に村の外へ働きに出た。名前もりゅうから『山中やまなか りゅう』と変えて。

 彼は仕事を里へ持ち帰り、みんなを巻き込み成功させていった。

 長く離れてしまう時はあったけれどちゃんと私の所へ戻って来てくれたし、普段一緒に入れない分、何度も愛してる、大好きだと囁いてくれた。

 なのに……。


「みこ、みこっ」


 目元を押さえていた手を下ろすと、顔を上げて声の主へ顔を向ける。そこには竜の妹である、花がこっそり顔を部屋に覗かせていた。


「は、花……」

「ごめんな、みこ。あんましここに来れなくて」

「ううん、ううん」


 何度も首を左右に振って彼女の方へ駆け寄る。

 家が貧しかったのに、花は余計な拾いものである私を妹の様に大事にしてくれた。お嫁に行ってしまって、なかなか会えないけれど時々こうして来てくれる。


「幸せ? 花は今、幸せ?」

「だいじょぶ、私は幸せだから、安心しろ」

「うん、うん」


 花に軽く縋り付き、必死に笑う。


「ほれ、龍を連れて来たから」

「母様、お久しぶりです」

「……りゅ、龍!」


 久しぶりに見る息子は、まだ大人ではないけれど確りとした顔付きになっていた。

 恥ずかしそうに息子がそっと抱きついてきたので、大事に抱き締め返す。

 前よりも体が大きくなっていた。立派な服を着て、肌も健康そうだ。


「母様、また泣いていたのですか? 父様が泣かしているのですか?」

「いいえ、いいえ、龍に会えて、嬉しくて泣いているんです」

「母様……」


 龍は竜に似ている。まだ私のりゅうだった頃に……あの頃は良かった。あの頃はこんな思いなんて知らず、幸せだった。


「これ、花!」

「あ、かあちゃん」

「母様と呼べ、もうお前は明智の奥様なんぞ!」

「かあちゃん……みこ、苦しそうだ、かわいそう」

「……ああ、みこ、みこ」


 私を拾ってくれたりゅうの母親が華やかな着物を着て現れた。化粧も厚く、少々匂いが強い。厳しい人だけど、優しい時もある人。

 こちらを見つめ、気遣うように私の手を掴むと何度も摩る。


「ごめんな、ごめんな……瑠璃香様は海堂家のお嬢様やから逆らえん」

「かあちゃん」

「これこれ、みこ、お前も私を母様とよべ」

「はい」

「竜が海堂家のお嬢様に見初められた、だからこの里は寂れんかった」

「……はい」

「みんな金持ちになって、飯の苦労もなくなったのは、分かるな?」

「はい」

「お前は確かに竜の嫁で子供も産んだ……だがここはこらえてな? 頼む」

「……は、い」


 涙が溢れそうになる。


「母様、泣かないで!」

「龍……龍、龍」


 再び息子を掻き抱くと忘れない様にと必死に頭を撫でた。この前会ったのは半年前、ならば、次は? また半年後?

 今度はもっと大人の姿になっているかもしれない。


「ほら、龍。早く部屋戻って勉強せねば」

「おばあ様」

「今、長男はお前だから、お前がしっかりやればみこを助けてやれる。お前がもっとがんばればみことも一緒にいれるんぞ?」

「……本当に?」

「ああ、本当だとも」


 母様がにっこり笑うと、白粉が崩れて粉が舞う。


「ですが、ただでさえこの里と離れてます。軍学校や高等学校へ行くとなると更に里に戻りにくいです」

「わかってる、わかってる。わしがちゃーんとみこを見とるから」

「……母様、僕は一緒に里から出たいです。一緒に出ましょう、高等部に行かず、すぐに働きますから」


 息子の言葉に胸が熱くなる。


「だめだ、だめだ。ここに居らねば」

「おばあ様どうして……もう母様はここにいなくてもいいでしょう」

「そうだよ、かあちゃん。みこは一回しか外に出たこと無い。そうだ、一緒にデパート行こうよ」

「デパート?」

「あんなにお金あるんだから、兄ちゃんに何か買ってもらえばいいって」


 一度里を出たことはあっても別邸と呼ばれる場所に閉じこもる様に居た。そこで数ヶ月過ごして、里に戻った事があった。


「僕も母様と外を歩きたい。案内したいです」

「龍……」


 だが、母様の強い声で止められる。


「だめだ、だめだ! みこはここに居らねば悪くなる」

「なんでよ、かあちゃん」

「花、母様と呼べ」

「かあちゃん、うちは」

「みこ、ごめんなぁ。竜に来てもらうから我慢してな」


 竜……毎月ここへいる間、毎晩遅くに現れては何度も私に頼んでくる。


『頼む、海堂家を頼む。龍が幸せになるように頼む、俺が幸せになるように頼む。俺の子が海堂家の血を引いた子供が生まれるように頼む。もっと、もっと、もっと、もっと幸せにしてくれ……』


 優しく口を交わしながら頼まれても、気持ちが入らず困惑してばかり。竜の気持ちが見えないし、分からない。だから、戸惑ってばかりで終わる。

 ただ祈れるのは、龍の幸せと花の幸せと……かあちゃんの幸せのみ。

 そうだ。いつも話よりも行為が始まるので、一度ゆっくり話し合いがしたい。竜の気持ちをはっきり聞いておきたい。


「龍も貴美香と仲良くな」

「おばあ様、貴美香は勉強の邪魔ばかりします」

「そんな事言ったらだめだ。貴美香はお前が好きなんぞ?」

「僕は嫌いです」

「お前の妹ぞ?」

「なら、貴美香は母様の事も慕ってくれますか?」

「龍……」

「貴美香は母様を無視してます。見ても話しかけてもいけない存在だとこの前……」

「龍!」


 胸がズキリと痛む。

 やはり、私はいらないと……子供たちに話している。


「ほれ、もう龍は帰れ」

「おばあ様!」

「今度のがっこで一番なったら、会わせてやる。誰か! 龍を連れてけ」

「そんなっ、かあちゃん、なんでそんな酷いこと」

「花、お前は分かってねぇ。もう少ししたら、教えてやっから」


 数人の男が部屋に入ってきて、龍を連れて行く。


「母様、母様!」

「ほれ、もう部屋に帰れ。絶対にここへ通すんじゃないぞ?」


 母様が強く言い渡し、大きな男たちが息子が連れて行く。今度は学校と言う所へ行って一番にならないと会えないのか……。それは何時になるのか、考えるだけで涙が出た。


「みこも泣くな、泣くよりも幸せを考えろ? おらが幸せになるように、花が幸せになるように」

「は……い」

「何より、龍がこの家を継ぐんぞ? 海堂家が繁盛せんと龍が苦しい思いをする……それはかわいそうだろ?」

「はい……はい」

「ほれ、祈れ……昔の様に……な?」

「はい」


 言われるがまま両手を組み、祈る。

 かあちゃんの幸せを、花の幸せを。何より、息子の龍の幸せを。



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