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海堂 瑠璃香

「おはようございます、奥様」

「おはようございます」

「奥様、今日も素敵な御髪ですね」

「奥様」

「奥様」


 私の名は海堂かいどう瑠璃香るりか

 かの海堂財閥の娘。誰もが父に擦り寄り、私の美貌を褒め称え、まるで下品な犬の如く涎を垂らして媚を売る。

 仕方なしに微笑み、少しの世辞でも言えば舞い上がって喜ぶ姿は矮小で哀れ。

 何か施しを待っているのね、しょうがないわ何も持たざる人にはそうするしかないのだから。


「奥様、今日の会食の件なのですが」

「ええ、分かっています」


 執事に渡された洋紙を手に、首尾を確認する。

 それにしても今日も愉快だった。あの女は泣いてばかりで……存在が邪魔で何度外へ放り出そうとしたことか。


『あの女は巫女だ。神の力を持っている』

『俺だって気のせいだと追い出したい。けれど母様が万が一の事を言うのだ』

『巫女が心から願えば、願いが叶えられる』


 神だの巫女だの……何も持たない身寄りの無い女が……。

 前に一度、父に相談して改築するからとここから追い出した。が、外へ出して海堂家が傾いた。

 たった数ヶ月の話だが、倒産間際まで追い詰められたのだ。

 その時、竜の母親が里へ戻すように訴えてきたので急ぎ運べば次の日には危機を回避したというのだから、運だけは良いと見える。

 そして竜の母親は裏で、私と竜が愛し合えたのも巫女のお陰だと話していたとも聞いた。

 私が、あの女に操られて竜と結婚したと信じている。妄信するにも滑稽だ。

 だから田舎の人間は信じられない。未だに迷信を信じているのだから。

 竜が立派だったのは彼が頑張っていたから、私が彼に惹かれたのも彼の見事な企画力と手腕から。

 彼の両親や里の人は彼のお陰で裕福にありつけたのに彼を認めないのだから、本当に救われない。


 ただ、他にも色々合った……運良く。


 それから私の父も竜の母親の言動を信じ始めた……結果、あの女はいまだここに居座っている。愛人という名の、いや、愛人にすら劣るわね。竜にすら無視されているのだから。

 ああ、笑いが収まらない……そうよ、笑いが収まらないわ。


「お母様!」

「あら、貴美香」

「明日の会食、私のドレスはどうなさるの?」

「ふふ、この前仕立て屋に頼んでいたでしょう?」

「出来たのね! 今から楽しみだわ」

「ほら、ピアノのお時間よ。ドレスは後でね」

「はぁい」


 私と竜の子、貴美香。籍を入れる前にお腹に宿った。当時、婚前交渉なんてと父は怒ったけれど、竜を前々から可愛がっていたので許してくれた。

 でも、なぜ男子じゃなかったのかしら。男子であれば、あの女の子をどこかへ追い出せるのに。

 あの女の子は男子で、顔は竜なのに目はあの女そっくり。しかも竜のように強きでいるから、なお癪に障る。

 ああ、早く男子を産みたい。男子さえ産んでしまえば、海堂家の真の跡継ぎが出来る。前まで兄が居たけれど、不慮の事故で帰らぬ人となってしまった今、憎いあの女の子が跡継ぎとして紹介されている。

 私の子で無いのに、籍は私の子である扱い。しかも小憎らしい事に子供は優秀だ。ただの優秀じゃない、神童と呼ばれるほどの優秀さを見せつける。

 見目はいいのでこっそり何処かへ売り飛ばそうと考えていたら、父に咎められた。優秀な子は海堂に必要だし、改めて私が男子を産んで補佐をさせればいいと。

 私の子供があの女の子を使用人同然に扱わせる事が出来れば、多少の溜飲が下がると堪えている。


「でも……」


 娘はすぐに出来た。なのに次がなかなか出来ない。

 式を行い正式に籍を入れて、今度は気兼ねなくなると喜んでいたのだが出来ないのだ。

 医者に何度も通ったし、祈祷師にも呪い師にも頼った。子宝の神社や寺にも参拝してお守りも買った。それでも一向に懐妊の気配は無い。

 何度も竜と夜を過ごしているのに……。

 精神的に落ち着く事が出来れば、きっと懐妊しますよと皆が口を揃えて話す。落ち着く事が出来ればなんて、そんなの無理。

 あの女がいるのよ? 心安らげる事なんて出来ないわ。


 懐妊した後、竜の両親に会った。その時に、幼子を抱えたあの女が二人のそばに居た。最初は話に聞いていた妹だと思っていたのに……。

 役所にまだ届けていなかったが、竜が13の時からの嫁だと言われた瞬間、眩暈を起こしてよろめいた。

 彼らの言っている意味が分からず、癇癪を起こしかけたがその場は堪えた。


 私は海堂瑠璃香。その矜持が私を奮い立たせたのだ。


 昔の遊び相手など、甲斐性のある男子ならばあり得る事。そう父が普段から話していたから良かったものの、普通の女子であれば耐え切れなかったはず。

 役所に提出したのは私なのだから、あの女が子供共々目の前から消えれば、忘れて終わるはずだった。

 だったのだ。

 遠くでピアノの音が聞こえる。綺麗な旋律を描く事のない、たどたどしく覚束無い調べ。


 ああ、いらいらする。


 歩いていた廊下の窓から覗き、雪に包まれた風景を見つめるも心は穏やかさを取り戻せない。憎い、憎い、あの運の良すぎる女が憎い。

 顔には出さないけれど、心の底で濁った思いが濾されてより醜悪に変化しそう。私は何も悪くないのに。


「どうしたんだい? 素敵な顔が曇っているよ」

「竜!」


 落ち着きのある優しい声と力強い目が私を見つめる。

 私の主人、私の夫、私の家族。


「なんでもないわ」

「そうかな」


 この人がはっきり私を愛していると、あの女を追い出してくれたのなら……。

 私は知っている。ここに滞在している間、深夜寝室から抜け出す事を。石鹸の匂いを強くさせて帰ってくるのを知っている。

 一度問い詰めれば会社の為の祈願の様なものとやんわり返された。ここへ滞在するのは数日で妻は君だから、安心して、と。

 毎月通うのも苦痛。だからといって竜を一人で行かせたら、ずっと一緒にいるかもしれない。それを家で想像して待つなんて、もっと苦痛だわ。


「……ねぇ、明日のお茶もあの女の部屋でしましょう?」

「止めないか、そういうの」

「お願い。あなたの気持ちは知っているわ。でもね、不安で揺らいでしまうの」

「瑠璃香」

「ただの、ただの迷信なんでしょ? ただのお飾りで、あの女は妻でも愛人でも何でもないって私に態度で示して」

「あまり無下にして海堂家を危うくしたくないんだ」

「ねぇ、ちゃんと見て? 私を」

「見ているよ」


 優しい笑みでも私はそれで誤魔化されたくない……昔のお母様のように。はっきりとした優劣と断言が欲しい。

 竜にとっては私だけだと、あの女は端女以下だとあの女の目の前で説明して欲しい。


「私には家系と財力があるわ」

「もちろん、知っているよ」

「貴方の力添えが出来るのは私、今まで成功できたのも私の家系や財力があってよ?」

「ああ、誰もがそう思っているよ」

「あの子には何も無いじゃない。何も無いのに何でも絡めて都合良く信じているの?」

「しょうがないよ。母がね、信じているんだ」


 自分ではない、母親だと告げる彼の目に動揺も嘘も無い。少なくともそう見える。


「ならお願い。私を裏切らないで」

「裏切るも何も、私は海堂家に婿養子で入ったし、君が妻だよ」

「ええ、ええ、分かっているわ」


 分かっていても不安になる。

 竜の母親も私を大事にして敬う、けれどあの子を追い出すことを反対して譲らない。本当にあの子は運の良い。


「貴美香とも一緒にお茶をしてね」

「貴美香も一緒なら、別の場所でもいいだろう?」

「お・ね・が・い」

「……分かった」


 お茶の件を了承させれば、竜は書斎へと戻っていった。

 あの女は元より、父や会社関係者でないと入れない書斎へ。

 女子というだけで阻害されるのはあまり気持ち良くない。私に甘い父も許さないのだから、余計に悔しい。


「瑠璃香さん」

「あら、龍。私の事は母様と呼べと言ったでしょう?」


 忌々しいあの女の子が声を掛けて来た。戸籍上は私が母親なのに名前で呼んでくる。


「いいえ、私の母ではありませんから」

「龍、その物言いは誤解を招きます。あなたの大事な人の為にもお止めなさい?」

「……」

「それともそんな事すら分からないのかしら? やはり母親が母親なら子も子ね……それとも母親と勘違いするものがいるのならば、問題よね」

「……」

「お父様に相談しようかしら? 離れを漆喰で固めて、食事以外入れることが出来ないほど狭い入り口だけにしたら……少しは気が変わるかしら?」


 小さな子供に大人気なく話すが、無表情で反応が薄い。泣けば可愛げがあるのに。

 子供はちらりと私を見て、書斎へ掛けていく。


「待ちなさい!」

「お爺様」


 ノックをする合間に子供の肩を掴み、扉から引き摺り離す。けれどノックをしてしまったので、扉が開いた。

 顔を出したのは会社の重役の一人だ。


「瑠璃香様と龍様です」

「!?」


 首を左右に振って笑顔を向けたのに、こちらの事を意図を受け取らず正直に部屋のお父様へ報告された。余計な真似を……。


「ごめんなさい、子供の我が儘ですの。気になさらずお仕事へお戻りくださいな」

「どうした? 我が龍や」


 お父様が顔を出す。足が悪く杖を使わなくてはならないのに、わざわざ部屋から顔を出した。あの子の為に!!

 お父様はあの女の子供を我が龍と呼び可愛がる。本当の孫である貴美香よりも大事に……。


「お爺様、今日明日の勉学は終わりました。ぜひとも社会勉強をさせてください」

「おお、我が龍はすごいな。賢い、賢い……さぁ、爺の近くへおいで」

「お父様! 仕事場に子供など」


 顔が熱い。イラつきが止まらない。


「いいじゃないか、何せ我が龍は将来の海堂を導いていくんだぞ?」

「いいえ、龍はまだピアノとヴァイオリンが」

「先生がもう教えることは無いといわれました」

「何ですって!?」

「はははは! 我が龍は芸術にも秀でているときた。中学校でも活躍しているのだろう? 聞こえがいいぞ? わしは鼻が高い」


 あまり見ない父の大きな笑い声に、拳が震える。


「それでは母上、失礼いたします」

「……え、ええ。あまりお邪魔しないように」


 私へ綺麗な一礼をしておきながら、注意に返答もせずに書斎へ入っていく。こちらを気にすることなく、振り向きもせず。

 扉が目の前で閉まり、何かと断絶された気分になる。

 私は海堂家なのに、あの子が入れて私が入れないなんて……。憤りが止まらない、怒りで倒れてしまいそう。

 お兄様がご存命であれば、お兄様こそ海堂家の跡取りだったのに。

 なぜ死んでしまったの……工事現場へ見学に行った日、なぜ事故が起きてしまったの。

 特別私に優しくは無かったけれど、海堂家の跡取りとして父に鍛えられていた。竜は兄の代わりになれるだろうけど、龍はいただけない。

 海堂家の血が一切入っていないのだから。


 微かにピアノが聞こえる。

 ああ、貴美香、なんて不憫な子。私と竜の子供なのにあの女の所為で年齢を偽らせられて……。

 同じ歳なのに、貴美香は二歳も隠されて育った。婚前の子供は醜聞だと……。婚姻してすぐに役所に届けたのは、あの女の子供。そして年子は良くないともう一年待たせて……。

 ああ、もっと早く私と竜が結ばれていたら、歳相応にお祝いをしたり何か出来たものを。体が大きいことや成長が早い事に周りが疑問に思っているが、海堂の力で何も言わない。

 本当にあの女が海堂を盛り上げているの? 私が色んな場所で夫の為に頑張っているのは無駄な事? お茶会やサロンを手伝って海堂を少しでもと支えているのよ?  あの女は何も苦労していないのに?

 ただ日長部屋で座って……ぼんやりしているだけで竜の歓心を買っている。


 ああ、この怒りはあの女に向けなければ気が済まない。


 足が自然と離れへ向かう。

 まるで夢遊病にでもなったような気分。

 あの女を泣かして、泣かして、自分から逃げ出すように仕向けてはどうだろうか? 他人が動かなければ、本人を動かせばいい。

 でも……私が唆したと思われては駄目ね。上手い方法を考えなくては。



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