拉致からの時空移動の巻
俺の名前は北河京助。現役大学生。
いつも通り、顔を洗い、朝食を取りながらテレビを見る。情報番組〝朝だべさ"にて司会を勤めるお笑い芸人、山根ブータンの締めの一言、「朝飯食ったら走らず歩け、可愛子みつけりゃ走り出せ」そして腹から笑う。何度聞いてもツボだ。
家を出て歩いているとラーメン屋の"宮本"を横切る。店内にうさぎとかめのマスコットを被った二人組の写真が飾ってある。それが何かは知らないが味はうまい。
次に大手車両メーカー〝sunagimo〝福茶本店の前を通る。社長は政界へも侵出する噂のある砂肝武司。10年程前に左右不対称でアワビの殻ような"アバロン〝という車がヒットし有名になった。ただ興味のないものから言えばダサい。
また歩くと福茶警察署前を通る。ここを通ると悪寒が走る。実は前に捕まったことがある。もちろん見に覚えがない。
そしてその隣にあるのが高山流空手道場。大人から子供まで人気のある道場だ。ちなみに俺も昔通っていた。だが辞めた。なぜかというと…まあいいや。
さらに先へ進むと、行きつけの本屋〝影原〝に辿り着く。朝から営業している馴染みの本屋で店主の千代さんは物忘れこそ多いが80歳を過ぎて店頭にたっている元気なおばあちゃんだ。
「千代さん北河ですが、数式リラックスは来てますか?」
千代さんは眉間にしわ寄せこめかみに右手人差し指を当てた。
「頭はまともかい?さっきあんたが取りに来ただろう」
開いた口がふさがらなかった。どうやら人違いで本を売ったらしい。まともじゃないのはそちら様だ。
無駄な問答は回避し、目線で一瞥しぶつぶつ外へ出た。
「なにやってんだか。しかしあんな本に興味がある奴がいるんだな。」
数式リラックスはフィンランドの有名数学者が書いた数学を愛する者だけがわかり会える数式のリラクゼーション効果を書いたものだ。この街にわかる者がいるとは思えんが。
そしてまた歩くと目的地へ辿り着く。歩行時間30分、福茶漬大学着。そしてその屋上から二枚の垂れ幕が飾ってある。
その一枚に俺はうっとりした。
「俺が日本をしょって立つ時がきたんだな~」
感無量に浸っていたその5秒後…おれは地獄を見ることになる。
これは誰かの足の裏だろうか。
それらしきものが俺の顔面へ向かい飛んでくる。
当たった瞬間、薄れる意識の中見えた光景。
間違いない…こいつはもう一枚の垂れ幕の主…空手ワールドゲーム 日本代表 南野みやこ…
私の名前は南野みやこ。
空手と犬が大好きな大学生。
でも昔はがり勉で友達はいなかった。
ある時、私の王子、ジョニー様が私に空手を教えてくれた。
初恋の人で、私のファーストキスの相手。めちゃくちゃ格好いい素敵なお兄様。ジョニー様は私の活躍をどこかで見てくれているのかな。もう一度会いたい…
「こらみやこ!ランニング中にボケッとするな!」
はっと我に帰るとグループから大分遅れを取っていた。
そんな中馴染みの魚屋のおじさんと柴犬のギュウタンが私に手を振ってくれた。
「おはよーおじさん。ギュウタン。今度大会頑張るから応援してね!」
「もちろん!〈ワン!〉」
列にもどろうとしたその時、誰かが私を呼び止めた。その顔に見覚えがある。
一瞬だった。
私の唇に唇が重なる…えー!?
足の力が入らない。ヘナヘナと座り込んでしまった。
「今…キスされた…」
ジョニー様にしか捧げなかったこの唇がましてや私の一番嫌いなあの男に…五分ほど座り込んだだろうか、キャプテンが私の名を怒鳴りながら逆走してくるのがわかる。
「…ちょっとみやこ…具合悪いの?」
とっさにキャプテンを払いのけ全速力で走り抜ける。
気がつくと汗が大量に出ていた…嫌ちがう…
泣いてるんだ。やっと現状を把握できた。
「ちくしょー!ちくしょー!ちくしょー!ちくしょー!」
声はがらがらだった。ランニングの列も抜き去りやみくもにただ走った。そして大学の校門を過ぎたところに…あの男!
どれだけ飛んだのかは知らないが私の気持ちは10メートルを越えるほど。
空手の技にもない飛蹴りはその男の顔面へとめり込んでいった。
相手がどれ程痛いかは知るよしもない。私の痛みのほうが何倍も増している。
その男は鼻血を出しながら後ろに飛んでいった。私の涙は止まらない。許すまじ、許すマジ!
汗が染み込んだ道着で涙、鼻水、そして唇をおもむろにぬぐう。その男は皮肉にも大学の屋上から私の垂れ幕に並ぶ男。
数学オリンピック日本代表…北河京介…
「人違いだ!あんたみたいなスポーツ女俺が一番苦手なタイプだ!」
鼻に突っ込んだティッシュが京介の怒りを誇張させる。
だがみやこはそんなもの関係なくまた手やら足やらが出そうな状態だった。
「しらばっくれないでよ!変態!警察に突きだしてやる!」
身に覚えは無いが警察というフレーズは京介が最も苦手なフレーズだ。
あの日の記憶がよみがえりそうだ。
「…もし違ったらあんたどうするつもりだ。武道をそんな形で使いやがって。一般人が木刀を振り回すのと同じ罪だぞ。」
みやこは低い声でうねりながら京介を睨み付けた。
またなにか言ってやろうかと京介がしたとき、口ではなく保健室の扉が開いた。
「おはよう諸君。おはよう北河くん。」
その顔に京介は見覚えがあった。
時間旅行研究部顧問の江頭教授だ。
40過ぎでまだ独身。人生のすべてをタイムマシン作りに費やした男。
だが全て友達から聞いたこと。
夢中になれることがあることと男という以外の共通点はない。
「忙しいんですが。」
言葉に角が出てくる。
「北河くん。君の活躍、うちの誇りだ。そんな君に話がある!」
そういうと江頭は引きずる様に北河を保健室から連れ出した。
「まだ話終わってないわよ!」
みやこの声は江頭には届かなかった。
ふぅと一息をつきベットの端に座り込む。
思い出したくもないあの朝の出来事が頭から離れずいらいらする。
おもむろに頭を掻いていると再び保健室の扉が開いた。そこに立つ者にみやこは覚えがある。
時空間パラレルクラブ顧問の宮里教授。
40過ぎて結婚もせず時空間移動の研究に人生を費やしている女性だ。
だが友達から聞いただけで話したことは無い。
この大学には二つのタイムマシン研究部があり二人とも変わり者だという悪名に過ぎない。
「南野さん。君の活躍はうちの誇りよ。そんなあなたに話があるの。」
なんか聞いたことあるやり取り。
「何でこれを持ってるんですか…」
江頭が右手に掲げて持つ本。数式リラックス。
この本はどこにでもない。千代さんは俺とこの親父を間違えたのか…
「単刀直入に言うよ。実はタイムマシンができたんだ。君に協力を得たい。そうすれば君にこの本をあげよう。」
「はい?」
「だからタイムマシンが完成したの。南野さんに協力してもらいたくて。」
「…無理です。数学オリンピックで忙しいですから。」
部室を出ようとするとなにやら雰囲気がおかしい。
すると机の影から誰か飛び出し何かで頭を殴られた。今日二回目…薄れ行く意識。そこにはにわかに信じられない光景が最後に見えた。
「無茶くちゃだよ君。本当にいいのかね?」
「こうするしかないんです江頭教授。これで戻るんですよ。」
「やりませんよ。空手の稽古休めませんし。すいませ…」
一瞬だった誰かが私の鳩尾を殴ったのはわかった。
意識が朦朧としていく。私が負けるなんて…
「無茶するわね。」
「すいません宮里教授。こうしなきゃ、世界が変わってしまうんです…」
「お目覚めか。北河くん」
気がつくとそこは見たこともない場所。
大学の敷地内なのか。周囲は薄暗くただ一本、自分に向けられたライト越しに逆光ながら人影が動く。
「江頭教授…あんた何考えてる。くだらない時間旅行ならあんたが行けばいいだろう。」
江頭は右手で目を隠し同じリズムで笑い始めた。
「なに考えてるか…それはこの先に行けばわかる。」
「はい?わかるように説明してください。」
「君は数学者だ。問題は自分で解かなけらばおもしろくはないだろう。安心しろ。この問題に答えはある。」
理不尽たる状況なのはわかっているが数学を愛する者が答えを聞くほどプライドを傷物にすることはな
い。江頭の問答に悔しいが反論はできなかった。
むしろこの謎を解きたいという気持ちもどこかにあったことは否定できない。
そしてふと自分の状況を確認した。体が動かない。
何か硬い金属のようなもので拘束されている。そらが何かは薄暗くてなにもわからない。
「君の胸ポケットに全ての指示及び、マシンの操作方法が書かれている。君はそれを実行して帰ってくるだけでいい。簡単なことさ。」
「目が覚めた?本当はこんなことはしたくなかったのだけれど…」
そこはまるで狭い空間のようだった。妙なピンマイクをつけた宮里教授がそこに立っている。そして私は両手を鉄の拘束具で止められていた。
「どういうことですか。何をしてるかわかってるんですか」
「正直わかってないわ。でもあなたはわかってる。」
ちんぷんかんぷんだった。
朝からキスされたり拘束されたりと最悪の一日。一体何が起きているのか。
「言い方が悪かったわ。あなたはいずれわかる。そしてここであなたが時空をこえることが全てタイムリーとなる。」
「タイムリー?ちょうどいい?わけわかりません。」
宮里教授はそれ以上は愚問と言わないばかりに右手を振った。
「…あなたへの指示は、今から15年前の今日に行ってもらい、北河京介に接触すること。それだけ。
「もう何を言ってもかわらないんでしょ。なら一つ教えてください。さっき俺を殴ったのは誰だ」
「さっき私を殴ったのは誰?」
何かの渦に包まれた。
大荒波に巻き込まれた船のように気持ち悪さも感じられないほど。巨大なその渦は気がつくと消えていた。
「ここはどこだ?」
何もないどこかの部屋。ただ風景は先程いた部屋にどこか似ている。
体に巻き付いた鉄のようなものはただのシートベルトだった。ただベルトとはいいがたい硬くしなやかな別の素材で新たに作られたもの。
自分の乗っているものを降りてみる。それに見覚えもある。これはアバロンだ。この独創的な形。間違いない。
アバロンを降りてポケットから紙を取り出した。
〈三階にある〝時空間研究クラブ"へ行き益川という人に会え。そして今自分に起きていることを話せ。若き日の私と方向音痴なイカレ女にも必然的に会うことになる。〉
益川?イカレ女?
さらに続きを読んだ。
〈今の時間が知りたければ君の左腕につけた時計をみろ。その他に…〉
一番知りたかったことだ。時計のさす時間はしんじられないものだった。
(2000年10月4日 am9時40分)
ここは本当に15年前の福茶漬大学なのか。
夢なら覚めてほしい。
「気持ち悪い…」目まぐるしく動く風景は乗り物に弱い私には耐え難いものだ。出たくても腕を拘束されて出れない…何かのボタンがある。押すと手枷はすぐに外れた。
外に出てみると気持ち悪いのから一転。どうやらここは…福茶漬大学の屋上のようだ。
「そうよね。タイムマシンなんかありゃしないのよ。」
何かどっと疲れたものをほどくように背伸びをし屋上からしたの風景を眺めた。
そしてすぐに違和感を覚えた。
「なんで…空手道場は去年建て直されたはず…」
その他にも違和感があった。生徒が使う携帯はアナログ携帯、ぼやさわぎで燃えたはずの野球部部室もそのまま。
宮里教授に渡された時計を見てみた。
「うっそ…2000年10月4日…午前9時10分…」
吐き出そうとしたものはすでに忘れ、何も考えられない状況に陥っていた。