第五話・「嵐の後に」
ノックス村から南に半日弱の所に、東西に走る主街道が通っている。
そして丁度村から主街道へ合流する辺り、山から続くなだらかな下りが平らになった所にひとつの宿場町がある。ここから王都まで約二日の距離だが、町の規模はあまり大きくない。
周辺にはノックス村の方から流れてきた川が流れていて、町を越えたところから東へ向けてゆるやかに流れを変えている。町の南から少し行った所に森があるが、それほど広い森ではない。それ以外、周囲にこれといった障害物のない平地にその町は築かれている。
見通しのいい街道沿いの町は、周辺の脅威には一倍敏感だ。そのため町の四隅には背の高い櫓が建てられ、周辺一帯を警戒している。
北側を臨む櫓からは盛り上がった二つの小山が見える。その狭間にノックス村がある。
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町の四隅にある櫓で警備をすることは、この町では最も大切な仕事だ。
なんといってもこの町は平地にあるから、防御の観点からすると非常に脆い。そのため、町には自分のように警備を主任務とするものが常駐している。
だが、逆に町の発展という面では平地にあるというのはアドバンテージになる。山地にある町などに比べて物流の動きが活発になりやすい。街道沿いにあるというのも優位に働くだろう。
自分のように町の警備を行っている者の中には、以前この町や他の街で世話になったという理由で働くようになった者も少なくない。
そんな経緯と、最近物騒になってきたこともあって町の警備には最新の注意が払われていた。
それを発見したのは、日が暮れて、辺りを照らす物が明るく輝く月と、町の要所に焚かれた街灯替わりの篝火や家々から漏れ出る照明のランプにへと変わった頃だった。
北の山間に向けてなだらかに傾斜していった先にある村の方が、にわかに明るくなっていた。
……そういえば、そろそろ収穫祭の時期だったか?
以前、収穫祭の日は村中に篝火を焚いて盛大に祝うのだと聞いたことがある。その灯りが空に照り映えているのだろうか。
いや、
「おい、ノックス村の方が何かおかしい」
傍らで別の方向を監視していた相方に声をかける。
振り向いた相方が北の方に目を凝らす気配を横に感じながら、首に下げていた双眼鏡を向ける。
「――どう思う? あの輝き」
「火事だな」
断言。
こちらの拡大された視界に映る空。ノックス村はこの町からだと稜線の影になる。稜線から漏れた光が、上空にかかった雲を明るく照らしていたから祭の灯りかとも思ったが、どうも違うようだ。
ノックス村に何かがあったとして、村人が町に駆け込んでくるのを待つにしろ時間が掛かるだろう。悠長に待っていてもいいが、異常を発見したからには報告し、行動する必要がある。
……それに、こういう時に動いてくれる便利な奴らもいるしな。
「町長に伝えてくる。――それと、便利屋騎士団への早馬も手配してくる」
「ああ、そうしてくれ」
……願わくば、祭が盛り上がってるだけであって欲しいものだが。
面倒な事はゴメンだ。そう思っても、その考えが間違いであると長年の経験が告げていた。
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ノックス村や街道の町を擁する王国には、王都にあって王族やその近親者を守護する近衛騎士団と、首都の治安維持を始め王国領内各地で起きた諸問題に対処する王国十字騎士団がある。
王国十字騎士団は『一人は皆のために、皆は一人のために』という信条を教義としている十字教という国教のようなものが所管している騎士団なのだが、国民の中では、王都から出ることが滅多にない近衛騎士団より、十字騎士団の方が馴染み深い。
十字騎士団の騎士隊は東で橋が落ちたと聞けば誰より早く駆けつけて川の渡しを行い交通を助け、西で幼子が泣いていると聞けば行って親を探して見つけ、はたまた南で干魃が起これば遠路水や食料を運搬して人々を飢えから救い、北で村が雪に閉ざされたと知れば総力を上げて雪かきに赴くといった具合に東奔西走南船北馬、八面六臂の活躍をしている。
その人々へ従事する様子から従事騎士団と揶揄されるようになり、やがてそのフットワークの軽さと手広く民を助ける姿勢から、いつしか便利屋騎士団と通称されるようになっていた。
とはいえ、十字騎士団の隊員たちも満更ではないのか、その行動指針が変わることはなかった。
そんな便利屋騎士団にとある村の異常を伝える早馬が駆け込んできたのは、早馬が街道の町を飛び出した翌日の夕方だった。
『ノックス村に異常あり。詳細不明ながら火事発生の模様』
概ねそのような知らせを受けた十字騎士団はすぐさま所属騎士隊の一つに出馬を命じた。
急報から半刻もかからずに決定された出馬に、急報を持ち込んだ伝令は目を丸くするとともに、便利屋騎士団という通称に納得する。なるほど、このフットワークの軽さこそが王領での諸問題に迅速に対処する秘訣なのか、と。
その思いは、往きに勝るとも劣らない速度で街道を驀進する騎士団を案内することでさらに深まっていった。
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……さすが、フットワークの軽さは王国一二を争うというのは過言ではありませんね。
街道の町の櫓に無理を言って登らせてもらったセシールは、街道の果てに立ち上る砂煙を見ながら思った。草原を駆け抜けた風が切り揃えられた黒髪をなびかせる。
背中まで届く黒髪は眉の上で切り揃えられ、背は中背。傍らに立つ物身の男よりも頭一つ分は低い。黒髪に縁取られた輪郭は余分な肉がついておらずスラリと調っている。もみあげから垂れた髪がふくよかな胸元に垂れて遊んでいる。
名を、セシール・ヒューブランと言った。
「や、まさかこんなに早く来るとは思わなかったですわ」
西側櫓の物見の男が、やはり同じ方向を見ながら感心している。
ちなみに騎士団とフットワークの軽さを争うのは盗賊や山賊のたぐいだ。
先日の話はすでに町中に周知してある。あのあとすぐにノックス村へも偵察を出しているし、翌朝に到着した偵察隊はそのまま村に残っているようだが、彼らからの報告もすでに返って来ている。
それでも、王都への早馬を出してわずか二日目に姿を現すというのは意外な早さだった。
普通だったら情報を精査し部隊の派遣を検討する時間があることを考えれば、もう二三日遅くなったとしてもおかしくはないところだ。
「そうですね」
頷き返しながらセシールは踵を返した。
あの速度で近づいてくるのなら、町に到着するのにそれ程時間はかからないだろう、そろそろ出迎える準備をしなくてはならない。
「――足下にお気をつけて」
「ありがとうございます。では、引き続き周辺の監視、よろしくお願いしますね」
こちらに気遣いの言葉をかけてくれた男にねぎらいの言葉をかけてから、セシールは櫓の梯子に足をかけた。
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「――こちらは王国十字騎士団第十三分隊、副隊長カーラ・セレサレッサだ。急報に応じて馳せ参じた。町への入場を許可されたい」
昼前。街道の町の門前に到着した十数名の騎士隊の中から進み出た、まだ子供らしいあどけなさが感じられる面差しの残る女性が名乗りを上げた。
肩口でまばらに切られた金髪は活発そうな印象を与え、目尻の上がった瞳や女性にしては高めの背もその雰囲気を強めている。スタイルは悪くないが、胸元は目に見えて寂しかった。
とはいえ、
……なんと、まだ若い娘ではないですか。
カーラと名乗った女性は、まだ二十も越えていなさそうだ。騎士団に所属しているのだから良くて二十代前半だろう。この程度の年齢の、それも女性が騎士隊の副隊長になれるほど騎士団のレベルが低いのか。
……いや、そうではないでしょうね。
居並ぶ騎士隊の面々の顔を見れば分かる。彼らの顔からは副隊長への信頼がにじみ出ている。それだけの実力を伴っているということだろう。
もっとも、そう考える自分でさえ二十代半ばという若さで長老職に就いているのだから、周囲の目は似たり寄ったりだろう。
「カーラ・セレサレッサ副隊長。遠路お越しいただき感謝したい。私はこの町の長老の一人、セシール・ヒューブラン。貴隊の入場を許可するとともに、改めて事態への対処をお願いしたい」
セシールが告げると、カーラの表情が引き締まった。
……なるほど、見た目通りではない、と。
納得するセシールの前でカーラは後ろを振り向き、手を振って騎士隊に町へ入るように示した。そして再びセシールへ向き直ると、
「伝令からは『火事』としか聞いていないが、この二日で分かったことを伺いたい。場を設けていただけるか?」
「もちろんそのつもりです。十分に説明をしてからでもノックス村は遠くありませんから」
「分かった。では隊長と一緒に伺おう。場所は?」
二人の横を下馬した騎士隊員が馬を引きながら通り過ぎていく。セシール以外の出迎えに赴いた者たちの中から数名が騎士たちを厩舎へ案内していく。
会合の場所を指定してから、二人は一端その場で別れる。セシールは先に会合場所へ向かい、カーラは自らの馬を厩舎に連れて行くついでに隊長を呼びに行った。
●
「――隊員A、隊長は?」
厩舎で馬を撫でていた隊員Aに馬を預けつつ、カーラは尋ねた。
隊員は他にもいるが、隊長の姿は見えない。人一倍大柄な隊長なのに、不意に姿が見えなくなる時がある。
……とはいえ、大抵は酒場に入り浸っているわけだが。
案の定、
「隊長なら……」
手綱を受け取り、馬を馬房へ入れつつ、厩の外を指差す隊員A。
「――ぬぁっはっは! 野郎ども、おっと女どももいたな、何はともあれ酒だ酒! 出立前の景気づけに、飲むぞ!」
「飯もあるぞー」
豪快な声を辺りに響かせながら、両肩に大樽を担いだ大男が歩いてきた。それを追うようにバケットを抱えた隊員が数名ついてきている。
軽装の騎士甲冑に半身を包んだ大男こそが、十字騎士団第十三分隊の隊長オービル・ゲパルトだった。
騎士隊の誰よりも背が高く、比較的背の高いカーラからしても見上げては首が痛くなる。くすんだ金髪を短く刈り上げ、豪快に笑う顎には髪と同じ色の髭を蓄えている。
カーラはうつむいて額を軽く押さえた。
「あー、もう!」
天を仰ぎ、呆れて口を開いたこちらに、背後から忍び笑いの気配が伝わってきたが、それは無視する。
「ありがとう、隊員A。――ちょっと、隊長!」
早口に隊員Aに謝辞を述べて、ずかずかと、早速タルの蓋を叩き割って開けて、一緒に持ってきたらしい木製のコップを酒に浸している隊長に向かって歩き出す。
……何でこのタイミングで持ってくるんだ。
「おう、カーラか! お前さんも飲むか?」
暢気にこちらに尋ねてきた隊長は、右手に自分のグラスを持ち、左手に空のグラスを持ってそれを差し出してくる。コップからは、しっかりとしたアルコール臭が漂ってくる。
周囲では自分たちのやり取りを心配そうに見つめる隊員たちがいる。
……まったく、そんなこと当然。
「――飲むに決まっています!」
周囲から安堵の声と歓声が上がる。カーラは隊長の手から奪い取った空のグラスを酒樽に浸して酒を満たすと、一息に呷った。
●
……この短時間に何があったというのでしょうか。
十字騎士団第十三分隊の隊長と副隊長を迎え入れたセシールは、目の前の光景に首をひねった。
セシールの目の前にはつい先程別れたカーラ副隊長と、座っても大柄なオービル・ゲパルトと名乗った分隊長が三人分の席を二人で占領して座っている。
ゲパルトの方は至って普通なのだが、カーラの様子が明らかに違っていた。
……これは、酒の匂いですね。
二人の方から、こちらへと明らかなほどアルコール臭が漂ってきていた。
「ぬはは、スマンな。こいつは酒を飲むと呑まれちまう。……飲むのは好きなんだがなあ」
「はあ……そうなのですか」
……ではやはり、お酒を飲んだということですか。
にわかに第十三分隊への信頼感が揺らいできた。これでは他の騎士隊の面々も似たり寄ったりな状況ではないのか。
こちらの不安感が伝わったのだろう、ゲパルトはニカッと笑ってみせた。大柄で無骨な雰囲気の男だが、笑顔はなぜか暖かく見える。
「なに、有事となればこいつもシャキッとするだろうさ」
「――任せてください、タイチョー」
酔いのせいか重心が定まらない動きでゆらゆら揺れているカーラが、形の崩れた敬礼をしながら舌足らずに同意した。先ほどまでの毅然とした口調が、どこか少女っぽい口調に変わっていて愛嬌がある。
「ええ――わかりました。では、早速状況の説明を始めてよろしいですか?」
「おう、よろしく頼む。単に火事があったわけじゃないんだろう?」
……雰囲気が変わりましたね。
温厚そうな親父といった雰囲気から、騎士隊の隊長というピシリとした雰囲気へ、ゲパルトのまとう空気が変わった。
騎士隊長という肩書きは飾りではないということか。セシールは先程の考えを内心取り下げ、気を入れなおしてノックス村へ送った偵察が持ち帰った情報を説明することにした。
●
「思ったより酷いな」
斯く斯く然々と説明を終えたセシールに対し、ゲパルトが唸る。
偵察が持ち帰ったノックス村の情報は簡素で、絶望的なものだった。
「はい、村民一名を除いて全滅……生き残りの青年も自失状態で話しもままならないとか」
「原因は?」
「狼や野犬らしき獣の足跡が多く残っているとの報告はあります。ただ、もっと巨大な足跡もあるとのことで……」
村民が一人でも残っていたことを幸いと取るべきなのかどうか、それもまだ判断がつかない。
生き残りの青年から詳しいことが聞ければ、原因の究明と対策を立てられるのだが。
「ともあれ、行ってみんことにはどうにもなるまい」
「行く……ということは、現地へ向かうのですか? 詳細もわからないのに?」
訝しげに尋ねるこちらに返してきたゲパルトの笑みは、不敵なものだった。
「村民一名を除いて村が全滅。我々が赴くのに必要な詳細など、これで充分だ」
そして立ち上がり、更に一言。
「それが我等十字騎士団だ」
急報があればすぐに現地に赴くという十字騎士団の真髄を垣間見る思いだった。見れば、先ほどまで酔いでふらふらしていたカーラも、ゲパルトの隣にしっかりとした姿勢で立っている。その姿には頼もしさを感じられる。
だから、立ち上がり、
「……私も、現地へ同行したいと思います」
告げた。
●
……案外様になってるじゃねえか。
会談を終え、騎士隊の元へと戻ったゲパルトは、簡単な旅装を調えたセシールがきちっと背筋を伸ばして馬に跨るのを見て感心した。
へっぴり腰で馬に乗るようなやわな奴だったらこの場で馬から引きずり下ろしているところだった。
だから、
「随分と乗り慣れてるみたいじゃねえか」
思ったことを口に出す。周りくどいのは苦手だった。
「ふふ、これでも以前は冒険者として旅をしていたのですよ?」
「ほう、それが今では町の長老役か。出世じゃねえかよ」
この町は、もう二日ばかり行った所にある大きな街と王都との中間辺りにある。それだけに王都までの最後の宿場町でもあり、街道の集合地点でもあるから街道の町としては比較的重要な場所でもある。
それに、有事の際は王都の最終防衛ラインになるのだから、規模は小さな町でも重要度が違った。そんな町で要職に就いているとなれば町民からの信頼感が違う。
しかし、セシールは驕った風もなく首を振った。
「そんなことはありませんよ。先代に冒険者としての経験を買っていただいたというだけです」
「謙遜謙遜。ぬははは」
そんな経験だけで要職に就けるはずはない。冒険者という経験だけならそんな者は掃いて捨てるほどいる。
とまれ、彼女のような態度は嫌いではない。
「ま、道程は短いがいざとなったら頼りにさせてもらうからな」
「ええ、ご期待は裏切らないようにしますよ」
笑みを向け合い、ゲパルトは愛馬の元へと歩を進める。
「――おう、隊員B! 剛毅の調子はどうだ!」
「は、隊長。元気も元気、名前そのものですよ!」
「そうかそうか! 今日も頼むぞ、相棒!」
ゲパルトの愛馬剛毅は、彼の体重を支えるだけあって並の馬より馬格がしっかりしている。筋力の着き方も並ではない。回りにいる他の隊員の馬よりも一回り大きい剛毅は、名前の通り力強いいななきを返した。
ゲパルトは愛馬をひと撫ですると、助けも借りずにひらりと鞍に飛び乗った。
それを見届けて、隊員Bも自分の馬のもとへと駆けていった。
「――第十三分隊整列! 町を出たら隊伍を整え北へ向かうぞ!」
少し離れたところですっかり調子の戻ったカーラが部隊をまとめている。
……やっぱ、ちぃと肩肘張ってるな。
二十にもなっていない彼女がこの騎士隊で一端の口を利けるのはもちろん実力あってのことだが、年上ばかりに囲まれた環境で周囲から舐められないようにと、必要以上に肩肘張った言い回しが多くなってしまった。
そんな肩肘張ることはないと言ってきたが功を奏しはせず、いつの間にかそれが普通になってしまった。
やれやれ、だ。
「カーラ、隊をまとめろ! ノックス村へ行くぞ!」
いずれ挽回することもあろう。
待てば海路の日和あり。果報は寝て待てだ。
人事を尽くして天命を待てば、後はなるようになるはずだ。
……つまり、面倒事は後回し。
声を張り上げ、
「村にはこの町の偵察隊が先に入ってるぞ、協力して村が壊滅した理由の究明と、生き残りのケアだ!」
カーラ、セシールを始め隊員たちがこちらを見ている。
剛毅の上で、拳を振り上げる。
「行くぞお前たち!」
応!
「一人は皆のために、皆は一人のために!」
隊員全員が唱和する。
「全隊、進め!」
カーラが先陣を切り前に行く。
セシールがそれに続き、さらに隊員たちが後に続く。
今は自分も、前に進んでいくしかない。
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