第2話
のろしの上がる方へ山道を下っていく。煙は尾根を下った先の谷間から上がっているようだ。
不意に、好基が馬をとめる。
「あれ?そういえば……」
「どうした、なにかあったか」
「ええ、あの煙って毎年ばあさんが焚く迎火のなんですよね?」
「そうじゃよ。我らはみな、あの煙を目印に故郷に帰るのじゃ」
「にしてはずいぶん火が強いんですね。煙があんなに上がるなんて。それにやっぱりあの煙が上がってるところ、実家のある場所じゃないですよ?確かに実家は山の中ですけど、よく見ると明らかに違う場所ですって」
「細かいことはいいから早う進め。目的地はあれに間違いないと妾が言っておるのじゃ。行ってみればわかるさ。ぐずぐず言うな」
言いながら偲は好基の背をバシバシとたたく。早く行きたいのなら人間でなく馬をたたいてほしいものだ。
「腑に落ちぬか?」
「どうにも」
「面倒なやつじゃ。ここはまだ黄泉の領域ということを忘れておるようじゃな。あの煙も場所もこちらでの似姿に過ぎぬ。たまたまあの谷間に現し世への扉が開いたというだけで、現実には婆が玄関先で焚いた粗末な火がこちらではああ見えるというだけの話じゃ」
「あ、ああ。ならやっぱりあの煙のところに行けばなんとなく帰れるんですね」
「そうじゃの。おぬしは話が早くていい。わかっておらぬようだがな」
さらに馬を進めること小一時間ほど。山を下ってようやく煙の上がっていた場所あたりまでやってきた。と言っても、もとが粗末な焚き火だから見えてからほんの数分で消えてしまっていた。
「この辺りじゃな」
偲はひらりと馬から降りると、袖口からなにか書かれた紙きれを取りだした。
「のろし、消えちゃいましたね。で、そのいかにも厨二病なお札はなんです?なんかそれっぽい呪文が書いてあるみたいですけど」
偲はその辺りに落ちていた棒切れを拾ってきて、慣れた手つきで地面になにやら円を描いている。
「現し世に帰るためのまじないじゃ。おぬしにはまだわからぬ。ほれ、降りてきて札を持つのじゃ」
「あ、はい」
馬から降りて差し出されたお札を受けとる。インドの方の言葉だろうか。なにかわからない文字が呪文のように並べられている。
偲は相変わらず大真面目に地面になにかの模様を描き続けている。好基の周りを回りながら、それはどんどん複雑なものになっていく。時折、好基の足元にもなにかを書くのか、どけと言って手で押してくる。気づくと偲はぶつくさと口の中でなにか唱えるようになった。
「ねえそれ、呪文ですか?この魔方陣みたいなのといい、偲さんってすごい厨二病だったんですね。なんかの冗談ですか?」
「少し黙っておれ」
依然、偲は呪文を唱えながら地面になにかを描き続けている。顔を見てみると普段のおどけた様子はなく、別人のように集中している。やがて最後の仕上げなのか、円の中央になにか奇妙な文字を書き込むと、「ふうっ、終ったわい」と年寄りのような声を出してかがめていた腰を上げた。
「お疲れさんです。これで実家に帰れるんですね。“現し世への扉は今まさに開かれたっ!”てやつで?」
「茶化すな。まったく、おぬしはなにかいろいろと悪影響を受けておるようじゃな。中二だとか呪文だとか、固定観念にとらわれておる。大方、アニメやマンガの見過ぎといったところじゃろう。これは古代から続いておる術式じゃ。おぬしのような小僧が知った口をきいてよいものではない」
偲が不機嫌そうに言う。
「え、偲さん、アニメとかマンガとか知ってるんですか?古代の人なのに!?」
「知らぬわ!好基よ、女人にきいてよい言葉というものを少しは考えよ。古代の人とな?人の話は聞かぬし……。おぬし……、よほど妾を怒らせたいようじゃな?……息を吸え」
「え?」
「息を吸えと言った!」
「ちょ、そこでぶち切れぇあがあ!?」
普段のご機嫌でお茶目な様子とはうって変わって、怒っている偲の顔が見えたと思ったら、突然天地がひっくり返った。
なにかとてつもなく大きなものに襟首を掴まれて、グイと引っ張り上げられたように地面から足が離れたと思うと、そのまま好基を掴んだ大きな手が、勢いをつけてぶんと遠くに向かって放り投げたといった風に、空中で突然加速してきりもみしながら吹き飛ばされた。
「うぐぁ!?ああああああぁぁぁぁぁぁ……」
これでもかとばかりに回転していた視界は、次第に暗転していった……。
つづく