第15話
女は偲と楽しそうに談笑している。偲の知り合いならなにもこそこそと隠れる必要はないと思う。だが、その相手の女は最初にちらりと見て感じたのだが、今もう一度よく見てみればよくわかる。なにかおかしいのだ。
なにがおかしいのかと言われても一言では言い尽くせない。背格好は若い女に違いないのだが、髪は雪のように真っ白で、肌も抜けるように白い。着ているものも白で固められていて、時折黒のアクセントの入った白のワンピースにスパッツという出で立ちだ。
ここまではいいがまだおかしな点がいくつもある。
まず目が、見たこともないような金色をしているのだ。その大きな目は偲と話しながら楽しそうに笑っているが、瞳が、遠目でもわかる、猫のように縦長に切れているのだ。おしゃべりをしている口からは八重歯なのか、人間のものとは思えないとがった歯が何本ものぞいている。
猫のようだと言えばもう決定的なものがある。ボサボサとした白い髪の間からは耳が、猫耳が生えているのだ。
もじゃもじゃと白い毛に覆われているそれは妙にリアルで、つくりものという感じがまったくしない。それもよくコスプレとかで見かけるようなかわいらしいものではない、言ってみれば山猫のようで、どこか野性味のある耳だ。雨にぬれるのが嫌なのか、たまにぴくぴくと神経質そうにふるえている。
そしてさらに決定的なことがある。しっぽだ。
こちらを向いていてよくわからないのだが、背中から明らかにつくりものではないといった風にくねくねと落ち着きなく揺れるしっぽが見えるのだ。先端に紫色のリボンが付いているが、先まできれいに真っ白である。
猫のようだ、と言うよりあれは猫だ。人間のなりをした猫がいる。
そのたたずまいも、まとった雰囲気も、どこか猫のようなのだ。ニヤニヤした笑い方も猫のようだし(猫が笑うかは知らないが)、笑った偲に背中をたたかれそうになって、ひょいと身をかわすしなやかな動きも猫そのものだ。
あれはなんだ、妖怪か?
もう一度目を凝らしてよく見ると、紫のリボンが二つ目に入った。
あの猫、しっぽが二本あるぞ……。
しっぽが二本……。猫又?そんなものがいるのなら、の話だが。
猫女と偲は大降りの雨を気にもかけぬ様子でおしゃべりを続けている。偲の知り合いなら出て行こうと思いながらも、好基は二の足を踏んだ。
マンガやアニメ、それにコスプレのつけ猫耳やつけしっぽはかわいいと思う。だが考えてみてほしい。かわいいと思うのはそれがマンガやアニメやコスプレだからなのだ。現実にその本物を見せられると、かわいいなどと悠長な感想を抱けるようなものではない。
確かにあの毛もじゃな猫耳や二本のリボン付きしっぽはかわいいかもしれない。だがそれが本物となるとかわいいとか萌えとか以前の問題だ。違和感を覚える。それを通り越して異様ですらある。自然と警戒したくもなる。
妖怪……、そんなものがいるとはつゆも思わなかった。偲はどうして妖怪と親しげに話しているのだろう。妖怪と知り合いだなんて、勘ノ丞が知ったらなんと言うか。
今しがたの謎の女の声は、あの猫女の声だったのだろうか。妖怪ならああやって人を驚かすのは本職だろう。
……だが違う気がする。
あの猫なら「話があるニャ」とか語尾に“ニャ”がつきそうなものだし(ぜひついてほしいものだ)、まだこちらに気付いてないじゃないか。
「ニャハハ」
……!今、目があった……!
しきりに木の後ろからのぞき見ていたのだが、あの猫女、いつから気付いていたのだろう、偲と話しながらも今明らかに目線だけこちらに向けて、にまっと笑ったのだ。好基は慌てて再度木の陰に身を隠した。
猫がニャハハと笑えばそれはかわいいだろうと思うかもしれない。だが現実はそんなものじゃない。あんなしたり笑いをされても気味が悪いだけだ。
気付かれたのなら出て行こうか……。偲も今ので気がついて、すぐにも呼びに来るかもしれない。
そもそもなぜこそこそと隠れてなんかいるんだ?あれは本当に妖怪かもしれないが、偲の知り合いならここまで警戒することもないじゃないか。それでもこうして出て行こうとしないのは、どこかで自分は勘ノ丞の言葉を信じたから?偲のことを疑ったから?そうなのか?
ああでも、あの猫女は気味が悪い。もう一度木の後ろから振り返ってみると、偲と猫女は最初に見たときと同じように相変わらずおしゃべりに夢中になっている。
もう行ってみよう。そう思って振り向いていた体を返すと、目の前に黒い影が立っていた。
「あっ……」
驚きのあまり好基は息を呑んだ。驚いたを通り越して胃の中でなにかが宙返りしたような感覚がする。動くこともできず、好基は背後の木に釘付けにされた。
降りしきる雨の音で気づかなかったのか、音もなく忍び寄ったのか、フードつきの黒い長マントを目深に被った何者かが、忽然と姿を現していた。背格好はこれまた偲と同じくらいで、マントの下にはなにを着ているのか、赤と黒のフリルがのぞいている。下も同じ柄の赤と黒の横縞ハイソックスをはいているのが見える。
「桐ケ谷の者、話がある」
彫刻のように立ち尽くしていた影が口を開いた。さっき呼んでいた声だ。
さっきからしきりに呼んでいた声の主はこの女だったのか。さっきは遠くから不気味に響いてきた声だったが、今こうして目の前で聞くとだいぶ印象が違う。不気味で冷たい感じのする外見とは裏腹にトーンの高い、なでるようなかわいい声だった。
「話?さっきから呼んでたのは君だったの?」
知っている人間ではない。気後れしまいと、好基は平静を装った。
「フフフ」
フードの下の口が笑う。やにわに女は後ろ手に持ったなにかを差し出した。
それは偲が忘れてきた花束だった。
どこで見つけたのだろう。届けに来てくれたのか。好基は花束を受け取った。
「あ、ありがとう」
「礼なんかいらない」
女は吐き捨てるように言った。
アニメ声にしてはずいぶんクールな返しだ。不気味なのかかわいいのかクールなのかわからなくなる。
「だってわたしが隠してたんだもの」
「は?」
「おかしいなあって探すあなた、間抜けだったわ。それになんか怖がってるみたいだったし、おかしかった。イタズラ」
なん……、だと?
どこの幽霊だか知らないがイタズラなどと……、おのれぇ、偲じみたつまらない真似をしてくれる。それにそのアニメ声でイタズラと言ったら、本来ならテヘっと笑うところだろうに。
女はそんな素振りは一切見せずにフードを目深にかぶったままニヤリと口の端を上げた。花を隠したくらいのイタズラでそんなしたり笑いをしてくれるなよ。不気味なのかかわいいのかクールなのかわからないが、おまけにアホなのかもしれない……。
「でもさ、話はこれだけじゃないんだろ?花を失くす前から呼んでたじゃないか」
あきれた様子で好基はたずねた。
「そうそう。こっちに来て」
「ちょっと待て。君はこっちのこと知ってるようだけど、オレは君が誰なのか知らない」
「別に問題ないわ」
名乗る気はないらしい。女は坂を下ろうとする。
「断ると言ったら?」
「またイタズラするわ」
「……わかった。行こう」
また、おかしなのが出てきたな……。
偲と猫女のことは後にしよう。もう花を取りに戻ってずいぶん経つのにまだおしゃべりに夢中になっている。好基は女に続いて坂を下りた。この幽霊も雨のことをまったく気にしないようだ。こっちはもう下着までぐしょぐしょだというのに。
そんなことを考えていると女が急に道をそれた。今行ったばかりの古い墓のある広場に続く脇道だ。
「どこに行くんだ?」
「今、白猫としゃべってたのが桐ケ谷偲ね?」
木のトンネルを先に進む女は好基の問いをきれいに無視した。
「そうだよ」
「知り合いなの?」
「ああ。というより先祖だ」
「ふ~ん、先祖……、ね」
脇道の途中で女は急に立ち止まり、好基のほうを振り返った。相変わらず目深にかぶったフードのせいで表情はうかがえない。
つづく