第1話
また新連載です。
作者名は架空の人物です。
読んでいただけたら幸いに思います。
「群雲の送火」
「暑いのう。好基よ、まだ着かんのか?」
「まだみたいです。もう、さっきから後ろで暑い暑い言わないでください。次言ったらおいてきますよ?」
山また山、木々のまばらな尾根道を一頭の馬に乗った和服姿の男女が行く。男は甚平羽織、女は浅葱の単物という出で立ちだ。
「しかしなあ、こう暑くては身に応えるというものよ。山の上だというのに少しもしのぎやすくならぬ。一体どこまで来たのだ?はて、ここはどこだ?」
好基と呼ばれた男の後ろで馬の背にゆられながら、女が気だるそうにたずねる。
「はてって、最初からどこを進んでるかわかってないのに今迷ったみたいな言い方しないでください。どっかの山の中ですよ。偲さん、冗談抜きで場所わからないんですか?ここ何度も通ったことがあるんでしょう?」
「ううむ、あるんだろうが、景色に覚えがないわ」
難しそうな顔をして偲がうなる。
「ハハハ……、どうしようもないですね。のろしは全然見えてこないし、このままじゃ帰れないですよ?オレたち。よくわからない山の中で野垂れ死にですか?」
「その心配はいらんよ好基。おぬしはもう死んでおる。目的地に辿り着くまではどういう道を通り、どういう景色に出くわすかは全くわからぬ。それが真旅というものじゃ。のろしが見えるまではあせらず気長に行こうぞ?」
「とか言って、文句ばっかりなのは偲さんの方じゃないですか。まったく」
手綱を握りながら好基が口をとがらせる。
偲とともに馬上の旅を続けて、もうどれくらい経っただろう。のろしが見えたらそこが目的地。そう教えられて出立したはいいが、ここまで道なき道を行くあてのない旅だった。
どうしてこんな難しそうな姫御前と、情緒のかけらもない旅などに出たのだったか……。
桐ケ谷好基は夏休みに入る前に死んだらしい。
バイトを終えて下宿に戻ろうと自転車に乗ったところまでは覚えているが、気づいた時には“こっち”の世界にいた。
多分交通事故かなにかだったのだろう。なにがあったのか全く身に覚えがないが、とにかく死んだということを教えられて、有無を言わさずこちらに放り込まれた。よく言う黄泉の国というところらしい。本当にあるとは思わなかったが死んで放り込まれた先なのだからそうなのだ。
結局20年という短い生涯を終えたらしいのだが、幕はまだ下りないようだ。悲しむ暇も、人生を振り返る余韻も与えられぬまま、こちらでの生活が始まった。
「好基!おい、おぬし!さては好基か?おおい!」
浅葱の単物を着た若い女が、新参の好基を見るなり目を丸くした。
「え、ええ。そうですが」
「おお、やっぱり好基か」
女が駆け寄ってきて手を握る。知り合いのようだが見覚えがない。
「うむ。会えてうれしいぞ。やや、だが……、ここにいるということは、つまりおぬしもくたばったということか?」
「ずいぶんな言いようですが、まあそのようです」
「ほほっ、そうかそうか。それは若いのに残念だったなあおい」
女は少しも残念そうな様子もなく、好基の肩をたたいた。
「ああ、ところで、失礼ですがどちらさんで?」
「む、好基よ、おぬし妾のことを知らぬのか?それとも久しぶりすぎて忘れたか?」
女は意外そうに、ここでようやく残念そうな顔した。
「妾なんて知らないですって。ていうか一体いつの時代の姫様ですか。会ったことがあるなら謝りますけど」
「いや、そうだったな。知らぬのも無理はない。すまぬ申し遅れた。妾は桐ケ谷偲。おぬしが生まれる前に死んでおる」
「そうですか。なら知らないですよね。偲さんもその若さで?」
「左様。美人薄命というだろう?」
これはなんとつっこんだものか。偲は自信たっぷりにふんぞり返る。
「ええと、でも生まれる前に亡くなってるのなら、どうしてオレのことを知ってるんですか?そういえば名字が同じですけど」
「それは妾がおぬしの先祖に当たるからじゃよ。何代さかのぼるかは知らぬが、陰ながら見守っておった」
「そうだったんですか。それでオレも、死んでめでたく先祖と再会ってわけだ。シャレにもなりませんね」
「余興ぐらいにはなろうさ。しかし、桐ケ谷家も久々に見どころのある男児が現れたと思ったというに、死んでしまっては情けないのう。うっはははははは!」
いかにもおもしろい話を聞いたといった風に、偲は片手で腹を押さえ、片手で好基を指差して高笑いした。(死んでいるが生きる希望をなくした)
20歳での死という受け入れがたい現実に直面し、まわりは年寄りばかり。そんな中最初に声をかけてくれたのがこの偲という先祖(?)だった。
「ここに来るのは死んだ人間だからいろいろな者がおるが、大抵は年寄りじゃ。妾もずいぶん退屈したぞ?」
「じゃあオレたち早死に同士、仲良くしましょうか?」
「そうさな。おぬし話がわかるではないか。どうじゃ?もうじきなんだが、次の盂蘭盆会、妾とともに行かぬか?おぬしは初めてだから案内役が必要ぞ?」
「ああお盆ですね。やっぱり幽霊だから八月は故郷に帰るんですか?」
「幽霊ではない、霊魂じゃ。我々は毎年故郷に帰っておるぞ。道中長くなるが旅は道連れというもの。年寄り連とは別に真旅を楽しむのも悪くはなかろう?」
ということで始まった旅だったが、この案内役がまったくの役立たずだった。
一頭しかいない馬にゆられて山に海に、もう何日経ったのかもわからない。
「偲さん、これ、道に迷って故郷に帰れない先祖っていうオチなんじゃないですか?黄泉から実家までどうつながってるか知りませんが知ってる景色なんて一向に見えないですし」
「案ずるな。現し世と隠り世の境は朧にして常に揺蕩うておる。旅は無為に続けども、我らのためののろしは必ず我らの前に上がるものじゃ」
後ろの偲の声はいたって真面目なものだ。やはりこうして毎年里帰りをしているのだろうか。
「しかし暑いのう。今年は異常ではないか?先月まで向こうにおったのだろう?どうだったんじゃ?」
「異常もなにもありませんでしたよ。まだ六月でしたし。ていうかオレたち幽霊なんだから暑がってどうするんです?」
「暑いものは仕方がないだろう。幽霊が暑がってなにが悪い。おぬしは先入観にとらわれておる。幽霊は冷たいとかスケスケとかそういうのだろう?そんなもの誰が決めた?それに幽霊ではなく霊魂だと何度言ったらわかるのじゃ」
「どっちでもいいじゃないですか自分で言ってるくせに。ああもう、暑いんだったら脱げばいいでしょその暑そうな上着。後ろで文句ばっかり言われちゃかないません」
「暑そうとな?これは帷子という単物じゃ。よく覚えておけ小僧。昔の人間は暑い夏にこれを着たんじゃ。だから下にはなにも着ておらぬ」
「いやいや、だからって、話つながってないですから……。ていうか、ああもう!スケスケなんだか下に着てないんだか知りませんけど、暑い言うの禁止!」
「やあ、見えたぞ……」
「いや見えませんから。すけてなく……え?」
「見えたと言うておる。ほれ、のろしじゃ」
気づくと尾根伝いに山の頂に達していた。偲が指す方を眺めやると山の間から煙が一筋細々と上がっているのがわかる。
「本当だ……。やっと着いたんですねオレたち。やった!」
「ああ、あののろしに間違いない」
「よかったあ。オレもうだめかと思いましたよ」
「なにを言っておる腑抜けが。桐ケ谷家の者が上げる迎火じゃ。必ず我らの前に上がると言ったろう。さ、あと一息じゃ。早う進め」
偲がぽんと背中をたたく。
「お供えのおはぎが楽しみじゃ。あの婆最近また腕を上げおってな。黄粉のは妾が頂くぞ?それに酒もうまいのがあるからなあ。たらふく飲んでやらんと。じゅるり」
後ろで偲がよだれをすする音がした……。
つづく