第95話 赤いスマートフォンの秘密
「あー、面白い。もう、面白過ぎてお腹痛いんだけど」
高階さんがお腹を抱えて笑っている。
健太のあまりに剥き出しな煩悩と、それを班長である俺に縋ってまで叶えようとする必死さが、どうもツボに入ったらしい。
「う、うるーせな! 俺は真剣なんだよ。で、どうなんだよ。誘ってくれるのかよ」
健太が顔を真っ赤にして詰め寄るものの、肝心の高階さんには全く効果がない。
それどころか、彼女はふうと息を吐きながら、ふと思いついたように表情を改めていく。
「……その前にさ。えっと、その。……私も、この班に入れてもらえるんだよね?」
──ずるい、と思う。
ついさっきまで大笑いしていたはずの高階さんが、ふいに見せた所在なげな上目遣い。
九条さんにしろ高階さんにしろ、どうしてこうも絶妙なタイミングで、男の防波堤を易々と飛び越えてくる術のか。
拒絶なんて万に一つもあり得ないその問いに、健太が案の定、パンを放り出さんばかりの勢いで身を乗り出した。
そして、盛大にやらかす。
「今更かよ! お前がいない班なんて面白くないだろ!」
「お前言うな! 小園の分際で生意気よ! それに、あんたに聞いてないし。今は、班長に聞いてるのよ」
ピシャリと言い放ち、高階さんがスッと俺に視線を移す。
その瞳には「ほら、班長らしくバシッと言ってよ」という期待の光が宿り。
相対す健太はといえば、彼女の剣幕に「うっ、……サーセン」とばかりに首をすくめ、おずおずとした視線を彷徨わせている。
「あー、『お前』は、女子相手にはなかなかのパワーワードだからな……。怒られても仕方がない。ちゃんと謝っとけよ、健太」
友はもはや完全に、高階さんのヒエラルキー下に組み伏せられた格好。俺に促され健太は襟を正すと、柄にもなく殊勝な態度で手を合わせる。
「……わりぃ。つい口が滑った」
「もう、いいわよ。そういうキャラなのは分かってるし」
「そういうキャラって、何だよ……」
「なに、文句あんの?」
高階さんが、どこか勝ち誇ったように「ふんっ」と鼻を鳴らす。
九条さんは九条さんで、そんな俺たちの喧騒を面白そうに眺めながらも、俺の唇から零れる答えを静かに待っている。
やれやれ。
三者三様の視線に射抜かれ、いよいよ逃げ場を失った俺は観念する。
騒がしい昼休みの喧騒を意識の端に追いやり、俺は真っ直ぐに彼女の目を見据えて答えた。
「むしろ、こちらからお願いするよ。高階さん。俺たちの班に入ってくれ。……俺は、この四人で何かをするのが好きなんだ。頼むよ」
「……!?」
虚を突かれたように高階さんが目を見開く。
飾り気のない俺の本音に、彼女の頬がわずかに色づいた。けれど彼女はすぐに持ち前の調子を取り戻すと、勝ち誇ったように健太を指さす。
「ほら、これよ、これ! 小園も少しは見習いなさい。さすが水無月くん、分かってるわ~」
「へいへい、分かりましたよーだ……。でもこれで決定だな。最強の四人だぜ」
健太が満足げに、食べかけの焼きそばパンを大きく頬張る。
最強の四人ね。
その親友の言葉に、少しだけ意地悪をしてやりたくなった。俺はあえてとぼけた声を上げて、矛盾に鋭く釘を刺してみる。
「なんだ。なら、長谷川さん誘わなくていいのか」
「……え?」
「最強の四人なんだろ? だったら、これ以上誰かを誘う必要なんてないよな?」
「ぐわっ、しまったぁぁ!!」
俺の追い込みに、健太が机に突っ伏して悶絶する。
そういえば、酒々井さんに振られたあの日。「もう胸は見ない」なんて殊勝なことを抜かしていた気がするが、お前、本当に大丈夫なのか?
長谷川さんといえば、このクラスでも一、二を争うほど、発育が極めて豊かなことで知られる女子だぞ。将来は間違いなく酒々井さんのような、あの圧倒的な山脈を抱く大人の女性になるだろうと、確信に近い予感さえ抱かせるほどに。
『ポコン』
──ん? また九条さんから個別メッセージ?
不自由な左手で器用にスマホを覗き込むと、そこには予想外の言葉が並んでいた。
九条葵:「やっぱり女ったらしなのね(泣)」
「えっ!?」
二人がいるにも拘わらず、思わず隣の彼女を見てしまう。
澄ました顔でお茶を飲んでいるけど、わずかに尖らせた唇の端に、隠しきれない不機嫌が滲んでいるようにも見えて。
笑ってはいけないのに、つい頬が緩んでしまう。
参ったな。……くそ可愛いじゃないか。
どうやら、健太のことを心配してる場合じゃないみたいだぞ。
「あれ? 蒼、お前スマホ変えたのか?」
「ん? ああ」
「……それ、九条さんと同じ色じゃね?」
ピキッ。
健太の何気ない言葉に、俺の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
こいつ、こういう時だけは妙に勘が鋭いんだよな。
背中を冷たい汗が伝う。不自由な左手で握るスマホが、急に熱を持ったかのように重く感じる。
どう、返すべきか……。
「ああ、それね」
九条さんは特に動じる様子もなく、いつもの完璧なる微笑みを健太に向ける。
「事故で水無月くんのスマートフォンが壊れてしまったの。だから、私が予備で持っていたものを譲ったのよ」
「そうだったのか。よかったな蒼。最新機種の予備貰えるなんて羨ましすぎだろ。しかも九条さんと同じ色とか」
「赤、かわいいじゃない。い~な~。私も次は赤にしようかな」
「でも……男の子に赤は、申し訳なかったかしら……」
彼女が少しだけ眉を下げ、気遣わしげに俺の顔を覗き込む。
「……いや、そんなことないさ。本当に助かってるし、色は、気にしてないから」
これは、半分嘘だ。
本当は、彼女と同じ色で嬉しかったりする。
悟られないようそう返すと、彼女は満足そうに目を細める。
ふう、直前までメッセージで「女ったらし」と送りつけてきた人物とは思えない、鮮やかな切り替えの速さに、ドギマギさせられるばかり。
「そ、そんなことより、どうする? 長谷川さんを誘うなら早い方がいいだろ。ちんたらしていたら、他の班に入ってしまうかもしれないぞ」
俺が努めて冷静に先を促すと、高階さんも「そうね」と頷いた。
「声だけは早めにかけておいたほうがいいかも。長谷川さん、おっとりしてるからすぐ決まっちゃいそう」
「なら、今から一緒に聞いてみるか?」
「え、いいの?」
少し意外そうに目を丸くする高階さん。
俺は「一応、班長だからな」と軽く笑って、立ち上がる。
「いってらっしゃい。班長さん」
背中に届いたその声は、春の陽だまりのような温かさ。 窓から吹き込む風が、カーテンを優しく揺らしていく。
不自由な左手に握られた赤いスマホが、初夏の光を反射してキラリと輝いている。こいつの待ち受けだけは、絶対に見られる訳にはいかない……。
なぜなら。
そこには、パフェを頬張る君の、本当に幸せそうな瞬間が映っているから。
君すら知らない秘密が、そこには確かに息づいている──




