第94話 青春群像劇?
田島が、九条さんの机のすぐ横に立っていた。
何食わぬ顔で、さも歓迎されるのが当然だと言わんばかりの、薄ら寒い笑みを浮かべてな。
「九条さん。俺さ、結構頑張ってずっと声掛け続けてきたよな? そろそろ、俺のお願い聞いてくれてもいい頃だろ。だから、俺の班に来てくれよ」
「今回だけでいい、九条さんを俺の班に譲れよ。な、お前ら」
──彼女を譲れ、だと?
寝言は寝て言え。
粘り強いアプローチを努力と履き違えている愚かな男。
そんな歪んだ理屈がまかり通るというのなら、有象無象の勝手な努力に応えるために、彼女の身体はいくつあっても足りやしないだろう。
何より、まず尊重されるべきは彼女自身の意思だろうが。ふざけやがって。
独りよがりな言葉が、俺たちのささやかで幸福な昼食を台無しにする。
健太のパンを握る手が止まり、高階さんの眉間には隠しようのない不快感が刻まれた。あまりに身勝手な物言いに、あの九条さんまでもが言葉を失って固まっているだなんて。
……今まで、こんなことがあったか?
彼女がこれほどまでに嫌悪を、表情に滲ませるなんて。
その様子を見れば、己の願いが如何に非常識で、相手を困惑させているか分かりそうなものなのに。奴は気づきもしない。
田嶋のねっとりとした視線が、返事を催促するようにことさら彼女を捉えるから。
彼女の不快感以上に、俺の腹の虫が収まらなくなる。
「おい、ふざけるなよ田島。そんな言い方があるか。申し訳ないが、彼女は俺と同じ班だ。悪いが他を当たってくれ」
自分でも驚くほど、低く冷めた声が出た。
田島は一瞬呆気にとられたように目をしばたかせ、それから俺を射殺さんばかりの目で睨みつけてくる。
「は? お前には聞いてねえよ、外野は黙ってろ」
「なんだと……!? 彼女がどこに入りたいか、彼女自身が決めて、それで終わりだろうが。お前の努力なんて、知るか。とっとと失せろ」
「うるせえ、お前は黙ってろって言ってんだよ!」
田島の顔が怒りで赤黒く歪み、言葉と共に唾を飛ばす。
あろうことか、奴は俺との距離を詰め、威圧するように俺の胸倉のあたりに視線を落とした。
「……怪我人だからって、俺が何もしないと思ってるのか? ああ?」
「だから、なんだ。そんなので俺が引くと思うのか」
剥き出しの暴力の予感。
自分の我儘が通らないと悟るや否や、怪我人相手を物理的に脅して黙らせようとするその浅ましさ。
あまりに卑劣な追い打ちに、教室内の空気が一瞬で凍りついた。健太が椅子を蹴って立ち上がろうとし、高階さんが悲鳴に近い息を漏らす。
だが、その言葉が奴の口から放たれた瞬間──固まっていた『氷の美神』のスイッチが、静かに、けれど苛烈に入った。
彼女はゆっくりと、それでいて有無を言わせぬ圧を伴ってその場に立ち上がる。
──カタンと、乾いた音を立てる椅子。
ゆっくりと、淀みのない動作。
だがそこから放たれる圧は、もはや一女子高生のそれではない。174センチという長身と、数多のカメラの前に立ってきたモデルとしての圧倒的なオーラ。それが怒りという名の鋭利な刃を纏って、田島を射抜いている。
「……今、なんて言ったのかしら」
絶対零度の響き。
立ち上がった彼女は、自分より背の低い田島を、まさに冷徹という言葉が相応しい温度で見下ろした。その視線はもう蔑みですらなく、ただ価値のない石ころを眺めるような、絶対的な断絶の光を携えている。
「怪我をしている水無月くんに対して、暴力で口を封じると……そう言ったの?」
彼女が一歩、踏み出す。
吹き荒れる、目に見えない極寒の風。
それは、田島が俺に向けた威嚇など子供騙しに見えるほど、重く、逃げ場のないプレッシャーだった。
「ねえ、そう言ったの?」
「いや……あれは、言葉の綾で」
「ああ、そう。ならいいわ。でも、ごめんなさいね、田島くん。──うちの班長が言った通りだから」
続く極寒の響き。これより低い温度はもはやこの世に存在しないのではないか。
響き渡る声が、田島の周囲を容赦なく凍てつかせていく。
「……は? 班長?」
田島が、あまりの寒さに暖を求めて数歩後ずさる。見上げなければならない彼女の威容に、彼の虚勢が音を立てて崩れていくのが手に取るように分かった。
「ええ。私はもう、彼の班に入ると決めているの。わかってくれるかしら? どうしてもというなら、班長の許可を取って。彼が許すなら、私は従うわ」
見下ろす瞳の奥に宿る氷の刃。
奴は狼狽え、唇を震わせながらも、顔を真っ赤にして俺を忌々しげに一瞥した。
だが、それでも彼女の傍にいたいという醜く悲しい執着が、彼に恥を忍んで言葉を絞り出させるのだろう。
「じ、じゃあ水無月……俺を、お前の班に入れてくれよ」
どの口が言うんだ。
俺は視線だけで彼を撥ね退け、短く、そして明確に告げる。
「悪いが、お断りだ」
「な、なんでだ! 空きはあるんだろ!」
「お前、俺のこと嫌いだろ? そんな奴と班を組んで誰が楽しいんだよ。……それにな、うちの空きは、本当に入るところが無くて困っている人のために開けておきたいんだ。委員長もいることだしな」
二人で引いた、余人の入る隙間もない鉄壁の防衛ライン。
田島はそれを前にして、もはや言い返す言葉も見つからないようだった。
ぐうの音も出ないまま、彼は逃げるようにその場を去っていく。
「二人とも……やるぅ」
思わずといった様子で感嘆の声を上げたのは、高階さんだった。田島の背中を見送りながら、彼女はニヤリと俺に笑いかける。
嵐が去り、表面的には平穏を取り戻した俺たちのテーブル。
けれど、その水面下では……。俺は周囲の目を盗み、机の下でグループトークに文字を急いで叩き込んでいた。
さすがに、あんなに堂々と「うちの班長が」なんて宣言された後だからな。ここで「俺が?」とか「俺でいいのか?」なんて口にできるわけがない。
クラスの皆に、彼女が嘘をついたと思われるのも癪だろ。
『ポコン』
水無月:「いつのまに俺が班長になってるんだ!?(汗)」
九条葵:「あら、なにか問題でも?」
高階萌:「水無月くんもさっきノリノリだったじゃない。もうそのまま班長でいいと思う(笑)」
健 太:「実際のところ、なるなら九条さんかお前だろ。適任じゃねーか。異議なし」
高階萌:「私も異議なーし」
健太がメロンパンを齧りながら、スマホを見てニヤついている。
俺が返信に困っていると、再び俺のスマホがブブッと震えた。
『ポコン』
──あれ? 九条さんからの個別メッセージ?
九条葵:「私に命令できるのは蒼くんだけよ。だから適任じゃない?(笑)」
「…………っ」
こいつは参ったぞ。
藤堂が堕ちた今、もはや学院の頂上に君臨するは彼女一人といっていい。そんな君がこんなセリフを送るというのか、俺に。
「私に命令できるのはあなただけ」
その言葉の重みに、俺は顔が熱くなるのを抑えるので精一杯だった。
「怪我してるやつが班長なんて、どーすんだか。……知らねーぞ」
ようやく絞り出したのは、肯定も否定もしない、精一杯のぼやきだった。
それを聞いた健太と高階さんは、待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑う。
「決まりね!」
「ああ、いいぜ。頼むわ、班長」
「ふふ、賛成。よろしくね、水無月班長」
九条さんはそれは楽しそうに目を細めると、自分のタコさんウインナーを俺の弁当箱へそっと移しながら、澄ました顔で続けた。
「さあ、班長サマ。……この班、あともう一人くらい誘う余裕はあるのだけど。何か考えはあるかしら?」
「ハイ! 班長! まじでお願いがあります!」
健太がここぞとばかりに身を乗り出している。
「お前、お願いばかりじゃねーか」
「そ、そう言うなよ。っていうか、これ高階さんへの願いでもあるんだけどな」
「え? 私? なになに。エッチなのはダメよ?」
高階さんが自分の胸元を隠すようなジェスチャーをして茶化すと、健太は顔を真っ赤にして身を乗り出した。
「ち、ちげーよ! 長谷川さんも俺たちの班に誘ってくれないか!? 高階さん仲いいだろ?」
「え~~~、仲はいいけどさぁ……。だってもう、下心見え見えじゃん」
「ぐっ……そう言うなよ。な、お願い! この通り!」
「さっき班長に『お願いばかりだな』って言われたそばからそれ? ウケルww」




