第67話 Dear Aoi, From Sou.
彼女の顔が、さらにボンッと音を立てて沸騰する。
けれど、拒絶なんてできるはずもないし、させる気なんて毛頭ない。
今まで人を散々、その魅力で悶えさせておいて……。
案外、君もこの手の攻めには弱かったんだな。予想もしていなかった、嬉しい誤算だよ。
彼女は潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめると、ついに観念したように、小さく震える桜色の唇を開いた。本当に、小鳥が餌を待つような慎ましさで。
「……ぁ、ーん……」
とても小さな一口。
吸い込まれるように、銀色のスプーンが彼女の口へと消えていく。
いま君のその可愛らしい口の中に広がるのは、ほろ苦いカカオの深みと、鮮烈なビターオレンジの酸味。そして、バターの風味豊かなフィナンシェの濃密な甘さだ。
俺の確信は、確かな手応えへと変わる。
君は絶対に、これを気に入ってくれるはずだ。
「……んぅ……おい、しい……」
「そう? よかった」
口元に手を当て、幸せそうに、そして慈しむように咀嚼する彼女。
その瞳は蕩けるように甘く、熱っぽく。
パフェの甘さよりもなお濃厚な情愛が、隠しきれずに溢れ出しているみたいに。
それから、半分ほど食べ進めたところで。
俺はふと手を止めると、スプーンの柄を彼女の方へと向けた。
「……ほら。あとは自分で食べてごらん」
「えっ」
唐突な「甘やかし」の中断。
彼女は一瞬、きょとんとした顔をした後──安堵と寂しさが入り混じったような、なんとも複雑な表情を浮かべていた。
わかるよ。俺もそうだったから。
ようやく、この死ぬほど恥ずかしい『公開処刑』から解放される安堵。けど、向けられていた温もりが離れてしまう、名残惜しさ、だろ?
そんな透明な乙女心が、差し出された指から手に取るように伝わってくる。
「……うん。ありがと」
彼女は小さく頷くと、おずおずとスプーンを受け取った。
そして、まだたっぷり残っている生チョコを掬い上げ、無防備に口を開ける。
──狙い澄ました、絶好のタイミング。
パシャッ。
静かな店内に、スマホのシャッター音が軽快に響いた。
「……え?」
一口分を口に含もうとした姿勢のまま、彼女が再び彫像のように固まる。
俺は手元のスマホ画面を確認し、満足げに頷いた。
小さくガッツポーズを付けたっていい。
「よし、完璧だ」
画面の中には、世界で一番幸せそうにパフェを頬張る、あの九条 葵が……。最高に可愛い女の子が映し出されている。
実は、これが俺にとって初めての一枚。
ようやく手に入れた、記念すべき一枚なんだ。
「あ、蒼くん……!? 今、何を……」
「いや、さっきの他校生じゃないけどさ。……俺、君の写真なんて一枚も持ってなかったからさ」
「え、でも……」
「この写真は、パフェへのお礼ってことで」
そう告げると、彼女はポカンと口を開けたまま、数秒ほどフリーズ状態に入り──
「──あッ!!」
突如、悲鳴のような声を上げてガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
その豹変ぶりに、今度は俺が驚く番だ。
「う、嘘……私ったら、なんて愚かなことを……っ。信じられないわ!」
「え、ちょ、どうしたの? 怒った?」
やはり、食事中の不意打ちはマナー違反だったか。
俺が慌ててフォローしようとしたその矢先、彼女は絶望に染まった顔で、自身の頭を抱えて激しく振り始めた。
「ち、違うの……。ああ、私……っ! 蒼くんが初めて作ってくれた、世界に一つだけのパフェなのに……!」
「うん?」
「写真を撮る前に、食べてしまったの~~~~!!!」
彼女はその場に崩れ落ちんばかりに項垂れる。
「写真に残しておきたかったのに……! 一生の宝物にしたかったのにぃ……!」
「……そ、そこまで?」
一生、なんて大袈裟な。
けれど、撮られたことへの抗議ではなく、撮り忘れたことへの本気すぎる後悔。
幸せと不幸せが同居したその絶望的な嘆きに、俺は思わず吹き出してしまった。
ホント、君は、変わらないな。
二人のことに関しては、どこまでも一生懸命だ。
「あー……わかった、わかったから」
俺は熱い耳をごまかすように、軽く頭を掻いた。
「同じもので良ければ、また作るよ」
「……え?」
「だから、元気出して。次はちゃんと、食べる前に撮る時間をあげるからさ。ね? 九条 葵さん」
「うぅ……本当に? 絶対?」
「ああ、約束だ。……ほら、今日はこれで我慢して」
俺は、彼女と揃いのスマホを操作し、画像を送信する。
「俺がさっき撮った、世界一幸せそうにパフェを食べてる『誰かさん』を送っておくよ。クマーもまだ写ってるだろ?」
「ああっ、食べてるところじゃない!?」
彼女は慌てて自分のスマホを確認し、今日一番の、真っ赤な顔で固まった。
その画面の中には、頬をリスのように膨らませ、幸せそうに目を細める自分の顔が写し出されているに違いない。
「た、食べてるところは駄目よ。いますぐ消して!」
「どうして?」
「だ、だって……不細工だもの。こんな顔……」
彼女は消去ボタンを押そうか迷うように、指を彷徨わせる。
「そう? リスみたいで可愛いじゃん。俺は、こっちの方が好きだけどな」
「う、ぐ……っ」
可愛い、という直球の言葉に、彼女は言葉を詰まらせる。
そう言われてしまえば、彼女にこの写真を消すことなんてできるはずもない。
「それに。……もし君が自分のを消したところで、あんまり意味ないよ?」
「え?」
「オリジナルは、こっちにしっかり保存してあるからさ」
俺は自分の胸ポケットをポン、と軽く叩いてみせる。
「も、もう! 蒼くんの意地悪……!」
彼女がそれでも抗議しようと顔を上げた、その時だったんだ。
ふと、彼女の唇に目が止まってしまう。
夢中で食べていた名残。甘い夢の残滓が、桜色の唇の端に、ほんの少しだけチョコクリームとして残っていたから。
「ちょっと待って。動かないで」
「え……?」
俺は自然な動作で手を伸ばすと、彼女の唇についたその茶色の甘塊を、親指の腹で優しく拭い取った。
ビクリと、触れた指先から彼女の肩が跳ねたのが伝わった。けれど、止められない。止める気もない。
彼女から離した親指を、そのまま迷うことなく、自分の口へと運ぶ。
「あ……」
「ん。……思ったより、甘いな」
次作ってあげるときは、もう少し甘さを控えるか……。
そんな思考を盾にしながら、舌先で彼女の熱が残るチョコを舐め取り、微笑んでみせる。
世界でたった一人の君に。
顔どころか、首筋、耳、その指先に至るまでもが。
全身を一瞬で沸騰させた彼女は、パクパクと金魚のように口を開閉させた後。
「~~~~~ッ!!!」
言葉にならない悲鳴を上げ、テーブルに深く突っ伏してしまった。
プシュー、という擬音が聞こえてきそうなほどのオーバーヒート。これ以上何かを言えば、本当に気絶してしまうかもしれない。
初めて触れた、彼女の唇。
それは想像していたよりもずっと、柔らかくて、熱かった。
「はは。ごちそうさまでした」
俺は満足げに呟くと、まだ微かに残る甘い余韻を楽しむ。
パフェの味か、それとも、彼女の体温か。
まったく。
君のおかげで、俺の今日という日はまた、何よりも輝いている。
──ありがとう。
そして。
君は言ったよな。飾り立てられた自分ではなく、自分の『心』を大事にしてくれる人の隣を歩きたいって。
俺は、その『答え』に少しは近づけただろうか。
いつかまた、君自身の言葉で教えてくれよな。
第67話、お読みいただき本当にありがとうございます。作者の神崎 水花です。
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