表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第四章 誰よりも短い至上なら、せめて誰よりも濃密に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/94

第65話 どちらも世界に一つしかないもの

「ええっ、本当!?」

 疲労の泥に沈んでいたはずの君の瞳が、パァッと鮮烈なまでに眩い輝きを取り戻した。

 なんだ、電池まだあったじゃん。

 そう思ったけど、その現金なまでの愛らしさに、俺の口元も知らず知らずのうちに緩んでしまうから、もういいや。

 

「蒼くんの手作りパフェ……? でもそれって、怪我した腕でも作れるものなの? 無理してない?」


「大丈夫。チョコや生クリーム主体なら、この手でも何とかなるはず。……君に食べてもらうために、今の俺ができる全てで作る特製パフェ。不格好になるかもしれないけど、それでもいい?」

 

「世界に一つだけ、特別……。行くわ、今すぐ行きましょう! 格好なんて気にしないもの。ほら蒼くん、早く」

 

 先ほどまでの足取りの重さが嘘のよう(笑)

 けれど、その瞳の輝きが、俺にはたまらなく嬉しかった。自分にしか見せない、自分にしか引き出せない『特別』な気がして。

 その歪な優越感に、俺の足取りまで軽くなる。


 駅から少し離れ、多摩川の土手沿いへと続く静かな路地裏。

 夕暮れ時の淡い琥珀色の光に包まれたその場所に、俺のバイト先『Cafe Nine Flow』はある。


 店の前まで来たところで、脳裏にふと、ある「企み」が浮かんだ。

 いつも『特別』をくれる彼女に、俺なりに最高のお返しがしたくなったんだ。どうせなら、もっと徹底的に愛でてみないか。

 俺は口元に小さく不敵な笑みを浮かべると、隣を歩く彼女を振り返った。

 

「九条さん。悪いんだけど、ここで少しだけ待っていてくれる?」

「えっ? 一緒に入らないの?」

 彼女の顔に一瞬、不安の色がよぎる。

 ほんの少しの間、視界から俺が消えることさえ寂しがるような瞳。

 

「ああ。ちょっとした『仕込み』が必要なんだ。すぐ戻る。約束だ」

 力強く、彼女の瞳を真っ直ぐ見て告げると、彼女はようやく小さく頷いた。


「わかったわ。ここで、大人しく待ってる」

 

 俺は一人で扉を開け、カランコロンと乾いたドアベルの音を響かせる。


「いらっしゃいませ。……おや、水無月くんじゃないか」


 カウンターの中でグラスを磨いていた八雲店長が、驚いたように眉を上げる。俺は他のお客様の迷惑にならないよう足早に歩み寄ると、単刀直入に頭を下げた。


「すいません、店長。急な我儘を言わせてください。──厨房と、俺の制服を貸してもらえませんか」

「ほう? どういうことかな?」

「代金は払います。俺に、パフェを一人前作らせてほしいんです」

 今、外で待っている彼女のために。

 たったそれだけのことで彼女が喜ぶなら、頭を下げることなど、造作もない。

 

「パフェを、ねぇ……。その手でか?」


 店長は俺の真剣すぎる表情を数秒見つめた後、すべてを察したように、自慢の髭を愛おしそうに撫でた。


「よし、いいだろう。君はウチの大切なスタッフだ。仲間の頼みを断るほど、私は野暮じゃない」

「店長……!」

「何十人分も作ると言うなら営業妨害だが、たった一人、特別な女性を喜ばせたいんだろう?」

「はい、そうです」

 

 店長はニカっと少年のように笑うと、磨き上げたばかりのグラスを夕光にかざしてみせた。

「澄んだ、いい返事だ」 


「ただし、それは正規の『売り物』として出すわけにはいかない。あくまで非番の君が、あの子の為に振る舞う一品だ。だから、代金は受け取らない」

「えっ、でも」

「その代わり、材料代だけはきっちり頂く。……いいね?」


 それは、店長なりの線引きであり、精一杯のエールだったと思う。

 俺はじわり胸が熱くなるのを感じながら、力強く頷いた。

 この人はやっぱり、恰好がいい。


「はい! ありがとうございます!」

「なあに、礼には及ばんよ。さあ、とびっきりのを作ってあげるといい。……お連れさんを、随分と待たせているようだしね?」


 店長は悪戯っぽく、顎で扉の方をしゃくってみせた。

 やはり、この人には敵わないな。俺は急いでバックヤードへと駆け込んだ。


 『水無月 蒼』のネームが貼られたロッカーを開け、着慣れた制服を取り出す。

 糊のきいた白のワイシャツに袖を通し、黒のベストのボタンを、焦る指先で一つずつ丁寧に留めていく。彼女を一人、待たせすぎるのは忍びない。

 最後に、腰からソムリエエプロンをきゅっと締め上げれば、完了だ。

 

 鏡に映るは、いつもの水無月 蒼ではない。

 そこには『Cafe Nine Flow』の、九条 葵のためだけのスタッフとしての俺が立っている。

 なかなか決まっているんじゃないか?


「よし」


 深呼吸を一つ。

 襟元を正し、俺は再び重厚な木の扉を押し開けて、夕闇の迫る路地裏へと足を踏み出した。

 カランコロン。

 彼女を迎えるに相応しい、澄んだベルの音が静かな通りに響き渡る。


「……蒼くん、遅い」


 街灯の下、手持ち無沙汰につま先で石畳をなぞっていた彼女が、音に反応して顔を上げる。その表情には、待ちくたびれた不満と、独り取り残された心細さが複雑に混じり合っていた。……けれど。


「え……?」


 現れた俺の姿を見て、彼女は息を呑んで固まった。

 見ろ、夕景の中に浮かび上がる、世にも美しい彫像の出来上がりだ。

 もしこれが本当に無機質な彫像だったなら、このまま持ち去って独り占めしてしまいたい。……不意にそんな独占欲が芽生えそうになる。

 

 おっと、無理もない、か。

 学校のブレザー姿とは一線を画す、黒のベストと糊のきいた白シャツ。八雲店長のこだわりが詰まった『Nine Flow』の制服は、着る者の背筋を自然と伸ばさせる魔力がある。

 俺はそんな彼女の驚きを味わうように、恭しく一歩踏み出した。演劇の舞台に立つ役者のように、片手を胸に当てて深々と腰を折る。


「お待たせいたしました、お客様」

「蒼、くん……?」


 顔を上げ、悪戯っぽく微笑みながら左手を差し出す。

 これで、ギプスと添え木が無ければ完璧だったのに。まあ、それも今の俺らしいと言えばらしい。


「当店自慢の特等席へご案内いたします。世界に一つだけのパフェを添えて」

「え、え……」

「さあ、どうぞ。──九条 葵 様」


 彼女は、まるで夢を見ているかのように。俺が差し出した左手に、吸い寄せられるように指先をそっと重ねた。

 そのまま導かれるように、静かな店内へと足を踏み入れる。


 案内したのは、多摩川の河川敷が一望できる窓際の特等席。

 黄金色の残照がテーブルの上を淡く、優しく染め上げている。俺は音を立てずに椅子を引き、彼女の着席を促した。


「お足元、お気をつけくださいませ」

「そ、蒼くん。あ、ありがとう」

 

 学校で見せる『九条さん』としての余裕が完全に消えていた。

 急遽訪れた非日常に、彼女の心が激しく揺さぶられている証拠だろう。俺は、彼女のそんな「綻び」を好ましく思いながら、さらに笑みを深めて畳み掛ける。

「九条 葵様、ここでは私のことを『水無月』と、および下さいませ」

「あう。み、水無月さん……ありがとう」


 耳まで真っ赤に染めて、消え入りそうな声で「水無月さん」と呼ぶ彼女は、どこまでも可愛らしかった。

 学校で見せる凛とした君も。

 そうではない、君も。その、どちらにも惹かれている。

 

 俺は彼女が席に落ち着いたのを見届けると、優雅に一礼し、踵を返そうとして……不意に、もう一つのサプライズを思いつく。

 

「ですが、葵様。最後にもう一つだけ、お聞きしても?」


 立ち去り際に、あえて名前だけで呼んでみた。

 初めて口にする、彼女のファーストネーム。少し照れくさいが、この特別な空間と纏った制服の重みが、今の俺にふさわしい「役柄」を与えてくれている気がした。

 

「は、はい。な、何かしら」


 上目遣いで俺を見つめる彼女。その瞳は、期待と困惑で揺れに揺れている。

 モデルという過酷な職業柄、彼女が日頃から徹底した食事管理をしていることは百も承知。

 だからこそ、俺は意地悪く、けれど最大限の慈悲を込めて問いかける。


「本当に、とびっきり甘くて良いのですね?」

「う……」

 彼女の顔に、魅惑的な『糖分』への渇望と、『自制』が激しく交錯する。その葛藤があまりにも可愛くて、吹き出しそうになるのを必死で堪える。

 ここで笑えば、全てが台無しに、だろ?


「……では。少しだけ、ビターでお願いします。ううっ」

 

 今日も色々な表情と、様々な声を聴かせてくれた君だけど。

 最後は、我慢を強いられたような、少し情けない声だったかもね(笑)

 

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」

 踵を返す。その直前。

 最後にもう一つだけ、とどめの『お遊び』を仕掛けてやることにした。

 俺は身を屈め、彼女の耳元で密やかに囁く。


「──葵 様。そんなに俯いてばかりでは、せっかくの綺麗な顔が台無しですよ?」


「っ……!?」

 完璧なパニック。彼女は雷に打たれたように全身を硬直させ、顔から火が出るのではないかというほど真っ赤に染まった。

 

 本当にお疲れ様。

 さあ、世界で一つの、控えめながらも濃厚な一皿を君に届けるとしようか。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ