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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第四章 誰よりも短い至上なら、せめて誰よりも濃密に

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第64話 氷の城壁、糖分欠乏につき

 去りゆく背中を、彼女はどこか遠くを見るような、寂しげな瞳で見送っていた。

 それを見つめる俺の横顔は、一体どんな色をしていただろうか。

 

 しんみりとした空気を振り払おうと、俺はあえておどけた調子で口を開く。先ほど彼女が他校の生徒に見せた鉄壁の防御を少し弄る、小さな告解だ。


「……九条さんに、一つだけ正直に自白しておこうかな」

「自白? 穏やかじゃないわね。なにかしら」

 

 君はこれをどう、受け取るだろうか。

「実はどういう訳か、俺、九条さんの番号もメッセージアプリの連絡先も、……全部知っちゃってるんだよね」

「えっ!? ……ちなみに入手経路は? 正直に白状してくれる?」

「この真っ赤なスマホ、最初から君のデータだけはすべて登録済みだったんだ。プリインストールアプリみたいにさ」

 

「あら……」

 彼女は口元に手を当てて驚いたふりをすると、すっと瞳を細めた。

 さっきの男子生徒に向けたものと同じ、絶対零度の『拒絶モード』を、わざと俺に見せつけてくる。


「それは重大な規約違反だわ。──今すぐ、ここですべて消去をお願いできるかしら?」

「……っ!?」

 あまりに真顔で返され、背筋に冷たいものが走る。

 冗談……だよな?

 

 どこまでが冗談で、どこからが本気なのか。

 彼女に関しては、その境界線が恐ろしく曖昧で難しい。何ならその全てが本気に思えてしまうほど、彼女の言葉には真実しか宿っていないような錯覚に陥る時がある。

 でも、すべてが嘘のような気がしてくる時も……。


 さっきの男子生徒を「決まりですから」と一刀両断にした彼女の凄絶な美しさが脳裏をよぎり、俺は本気でたじろいでいると。

 彼女はたまらずといった様子でクスクスと笑いだした。


「あー、冗談、だよね?」

「ふふ。……顔、真っ青よ? 冗談に決まってるじゃない」

「心臓に悪い冗談は,やめてくれよ」

「だって、最初から入っていたんでしょう? プリインストールなら、しょうがないじゃない」


 彼女は声を少しだけ潜めると、とっておきの秘密を教えるように、俺の耳元で囁いた。

「──それにね。もしも、仮にそれらを消したとしても。……何度だって復活する、不思議なスマホかもしれないわよ?」

「……もうホラーだよ、それ」


 どんな呪いのスマホだよ。

 けれど、彼女が言うと本当にそうなりそうな、奇妙な説得力がある。

 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。その「絶対に消させない」という呪縛が、今の俺には、可愛らしくも頼もしい「絆」のように思えたから。

 

 いずれにしても、消さずに済んで一安心。

 俺は安堵の溜息を短く吐き出すと、少し居住まいを正して話題を変える。

 冗談はここまでだ。

 どうしても伝えておきたかった話を、今、しなければならない。

 

「あとさ、ついで……ってわけじゃないけど。ごめん。君に謝りたくて」

「えっ、どうして水無月くんが謝るの?」

「ここ最近の告白騒動のことだよ。健太が言うには、どうやら俺のせいでもあるらしい」

「どういうこと?」

 

「『お前と九条さんが最近仲良すぎるから、周りが勝手に焦りだしたんだ』って。……実際、その通りだと思うんだ。俺のせいで、君に余計な負担が掛かってる。ごめん」


 俺が本気で沈んだ声を出すと、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 そして、それから。

「ふふ、なるほど。……それなら、仕方ないわ」

「え?」

 

 彼女は嬉しそうに目を細めると、当然の権利を行使するように、俺の腕にギュッと抱きついてきた。

『離さないでね』

 そう語るかのように、少し強めに、切実に。

 さっきの男子たちが見たら卒倒しそうなほどの距離感で、彼女は俺の体温を確かめる。


「それが、蒼くんと仲良くすることへの対価だと言うのなら──私、もう少しだけ頑張っちゃおうかな」

 そう言って、頼もしく微笑んだ彼女だったけれど。

 その声は心なしか甘くも、どこか疲労が滲んでいるようにも聞こえた。

 そして、その強がりの寿命は、驚くほど短かった。

 

 いや、正確に言えば。

 群がってくる有象無象の数が、俺たちの予想を遥かに超えていたのだ。


「あの、すいません。九条さん、俺もずっと君のこと──」

 再び、近くから見知らぬ男子の声が聞こえてきた途端。九条さんは俺の腕からスッ、と体温を断つように離れた。

 ついたり離れたり忙しいな、君は(笑)


 心中でツッコミを入れつつも、その行動の理由を痛いほど理解していた。

 彼女は、他人と話す時は相手に敬意を示すという、己に染みついた礼儀と常識を優先したのだ。

 たとえそれが、迷惑な告白者であろうとも。

 君はどこまでも真っ直ぐな、そういう人だよな。

 

「ちょっとだけ、話を聞いてくれるかな?」

 深々と頭を下げる男子生徒に対し、彼女はもう、美しくも隙のない『鉄壁の九条 葵』へと戻っていた。


「……何でしょうか」

「もし、付き合ってる人がいないのなら、俺と付き合ってください」

「ごめんなさい。お受けできません」

 その後も、波は途切れない。


「俺も! 付き合ってください」

「そのお気持ちには、お応えできません」

 

「好きです。俺の彼女になってください」

「私は貴方を好きではありません。他を当たってください」

 

「せめて五分! 五分だけでいいんで、僕の話を聞いてもらえませんか」

「ごめんなさい、間に合っていますので。……失礼します」

 

 間髪入れずに飛んでくる、無遠慮な想いの(つぶて)。 

 まさか、さっきの他校生が、単なる先鋒に過ぎなかったとは。

 

 校門を出てから駅に着くまでの距離。どこに潜んでいたのか、他校の制服を着た男子生徒たちが次々と伏兵のように現れては、告白を仕掛けてきた。

 九条さんはその度に律儀に立ち止まり、鉄壁の仮面を被り直しては、機械的なまでに丁寧な所作で一人一人を断り続けた。


 俺はたまらず、隣を覗き込む。

 毅然と前を向く彼女の瞳の奥に、隠しきれない疲労の色がありありと見て取れたから。いつもとは逆に、今回は俺が彼女の袖をつまんで、ぐいと腕を引いた。


「付き合いきれるか。逃げよう、九条さん!」

「え、はい……っ!」


 どうやら「九条 葵が落ちかけている」あるいは「今ならガードが緩い」という、願望の混じった根も葉もない噂は、学校の垣根すら飛び越えて拡散していたらしい。

 さすがにこれには、二人とも閉口するしかなかった。


 ただの美人、というだけならここまで酷くはならなかっただろう。

 恐らくは、人気上昇中のモデル『MINA』に、「今ならまだギリギリ手が届くかもしれない」という幻想が乗っかっているせいもあるのでは。

 

 それはまるで、ブレイク直前の地下アイドルのような熱狂。

 手の届かないスターになる前の。まだ自分たちと同じ高校生という属性が残っている今なら、あるいは──

 そんな唯一の触れ合える芸能人に対する無遠慮な熱狂が、この異常事態を生んでいるに違いなかった。

 

 なんとか包囲網を突破し、ほうほうの体で電車に飛び乗る。

 揺られること数駅。ようやく地元の改札を抜け、ガレリアの巨大な吹き抜けの下までたどり着いたそのとき。


 彼女の足取りが、プツリと止まる。

「……はあ、待って。蒼くん」

「九条さん?」

「……だめ。もう、限界」


 彼女は立ち止まった俺の背中に、体重を預けてくる。

 疲労と安心が混ざり合ったような溜息。額を俺の背中にぐりぐりと押し付け、全身の電池が切れたように脱力している。

 俺が支えていなければ、そのまま石畳の床に座り込んでしまいそうなほど、今の彼女は頼りない。

 

「く、九条さん? ここ、人目があるよ?」

「……いいの。今は蒼くんが壁になって……私を、隠して……」

 

 さっきまでの凛とした無双の『氷の城壁』はどこへやら。

 今の彼女は、メッキが剥がれ落ちたどころか、鎧をすべて脱ぎ捨てた、ただの疲れ切った女の子になっている。

 

「ねえ。どうしたらああなるの? 他校の生徒があんなに続くなんて、聞いてないわよ……」

「さすがに俺も予想外だった。あれは、さすがに酷すぎるよ」

「最後の方……私、ちゃんと断れてたかな? もう、あまり覚えていなくて」

 

 礼儀を重んじる彼女のことだ。極限状態でも、相手を無意識に傷つけていなかったか、作法に失礼がなかったかを気にしてしまうのだろう。

 俺は苦笑交じりに、フォローを入れる。


「大丈夫だと思うよ、た、多分」

 歯切れが悪いのは、嘘をつけなかったから。


 正直、最後の方はもう流れ作業のようだった。次から次へと現れる顔の見えない相手に、俺だって記憶が霞んでいるのが本音だ。

 

「皆、わかってない……。断るのだって、すごいエネルギーを使うんだから」

 

 彼女は俺の袖をギュムギュムと握りしめながら、恨めしげに訴えてくる。気丈に振る舞ってはいたけれど、精神的な疲労はとっくにピークを超えていたらしい。


「蒼くん……」

「何?」

「これ……蒼くんのせいなんでしょ? だったら責任、取って」

「えっ、責任?」

 袖を握る手に、さらに力がこもる。

 

「私のエネルギー、蒼くんと仲良くするために使い果たしちゃったんだから」

 背中越しに、とんでもなく可愛い脅迫が届いた。

 顔は見えない。けれど、きっと今、彼女は拗ねたような、それでいて期待に満ちた顔をしている。

 

「だから……補充させて」

「ほ、補充って、何を?」


「そうね、甘いもの。それも、とびっきり甘いやつがいい」

「……甘いもの?」

「糖分。……糖分がないと、私もう一歩も動かないから」

 

「わがままだなあ」

 思わず笑ってしまった。彼女が甘い物好きだったなんて、初耳だ。

「九条さん、スイーツとか好きだったんだ」

 

「普段は、我慢してるの」

「……そうだったんだ。それは知らなかったな」

「被害者には、わがまま言う権利くらい、あるはずよ」

 

 背中で小さく主張する彼女が、あまりにも愛おしい。

 俺は満足げに息を吐くと、彼女を振り返ることなく、力強く頷いた。


「よし、わかった。それなら、とびっきりの処方箋を出すとしようか」

「処方箋? 私に?」

「ああ。これからNine Flowに行こうか。八雲店長に頼んで、俺が君専用のパフェを作ってあげる。……今日、一番頑張った君のために」

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