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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第三章 あなたを追いかけて

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第31話 麗しき策士現る

「えー、急で申し訳ないけど。先生の独断で、席替えをすることにしました」

「えっ、席替え?」

「やったー! チャンス到来!」

「蒼の前後で、隣は九条さんこそ最強! 頼むぜ神様、ななちゃん先生!」

 おい、健太。

 心の声どころか、欲望がだだ漏れだぞ……。

 いいのかそれで。


「あ、待って待って。全員じゃないからね? ぬか喜びさせちゃって悪いけど」

「えーっ……」

「なんだよ、ちぇっ」


 一瞬で沸いた教室の熱気が、急速に冷めていく。

 そんな落胆ムードの中、吉岡先生は俺の隣の席──窓際から二列目の一番後ろに座る女子生徒を見やった。

「三浦さん、本当にごめん。席を一箇所だけ動かしたいの。九条さんと、代わってもらってもいいかな?」

 

「え、私ですか?」

「うん、事情は今から説明するから」

「はい。別にいいですけど……。えと、今からですか?」

「悪いんだけど、今すぐお願いできる?」


  指名された三浦さんが、驚きつつも慌てて荷物をまとめ始める。

 一方、廊下側の一番後ろの席では、九条さんも静かに立ち上がり、手際よく準備を始めていた。

 突然の指名だというのに、驚く様子など微塵もない。

 

 まるで最初から知っていたかのような落ち着き払った態度に、俺はなんとなく気まずくなって、ふらりと視線を泳がせた。

 その先で、ちょうど荷物をまとめていた三浦さんと目が合う。

 その瞳には、さっきの高階さんたちの騒ぎのせいか、それとも席を離れるのが惜しいのか。少しだけ残念そうな色が混じっているように見えた。


 ……いや、さすがにそれは自意識過剰が過ぎる。

 そうに決まっている。席が隣同士だったというだけで、俺たちの間には、挨拶以上の何もなかったのだから。

 急に隠れ優良物件とか何とか、言うから。調子が狂ってしまうよな。


「誰か、二人の荷物の移動手伝ってあげてー」

「は、はい! 先生俺やるっす」

「俺も!」「俺も俺も」


 先生の号令一下、数人の男子が、待ってましたとばかりに手を挙げ席を立つ。その中には当然、健太の姿もあった。

 皆の狙いは一つ。九条さんの荷物だ。

 あまりにも見え透いた、見苦しいほどの親切の押し売り。その争奪戦が始まろうとした、まさにその時。

 

「こらこら。……小園君、君は三浦さんの席が近いんだから、そっちを運びなさい。わかった? 九条さんのは、そうね。前田君お願い」

「え……あ、うっす」

「はいっ!」

 

 選ばれた前田は天にも昇るような笑顔で、一方、出鼻をくじかれた我が友は、あからさまに肩を落として三浦さんの元へ向かう。残酷なまでの明暗。

 おい、健太。そんな顔して運ぶんじゃない。

 三浦さんに失礼だろ。

 

 そうやって、何でも顔に出すからモテないんだ。お前は……。

 あとで小一時間説教だな。


 ──って、ちょっと待って。

 三浦さんが退いて、そこに九条さんが座るということは。

 何か? これから俺の隣は、九条 葵になるということか?

 全然、元通りの日常なんかじゃない! 俺の平穏はどこへ行った!?

 

 脳裏に蘇るのは、今朝の電車内でのシーン。

 俺の不安を見透かしたように、吐息がかかるほどの距離で彼女はこう言った。


『考えていることがあるの。……それが上手くいけば、何も心配しなくても大丈夫だから。ね?』

 あの時、彼女は確かにそう言って微笑んでいた。

 ……やられた。

『考えていること』って、このことだったのかよ。


「はいはい、じゃあ先生の話を聞いてくれるかな~。水無月くんが、見ての通りの大怪我でしょう? 利き手も使えないし、左手も不自由。学校生活で色々不便だろうから、九条さんにサポート係をお願いすることになったの。そういう訳で九条さん、よろしくね」

「はい、先生」

 

 鈴が鳴るような澄んだ声で、彼女が短く答える。

 教室中が「えええっ!?」とどよめく中、吉岡先生はさらに、釘を刺すように言葉を続けた。


「あと、変に陰口叩いたり、噂したりするのは先生好きじゃないから、最初に言っておくわね」

 先生の声色が、少しだけ真剣なものに変わる。

 

「前も言ったわよね、水無月くんの今回の事故、九条さんもその場に居合わせていたの。だけど、これは誰が悪いとか、そういう話じゃないから。むしろ、みんなは水無月くんを称賛するべきね」

 

「称賛、ですか?」

 高階さんがキョトンとして聞き返す。

 先生はニッコリと笑って、俺の方を見た。

「そう。彼はね、飛び出してきた小さな女の子を庇って、身代わりに怪我をしたんだから」

 

「へぇ~……やるじゃない」

 早速、高階さんあたりの感心したような声が聞こえてくる。突き刺さるような、熱っぽい視線と共に。

 

 ──うわあぁぁ! やめてくれ!

 俺は心の中で絶叫し、頭を抱える。

 ただでさえ『隠れ優良物件』だなんて値踏みされ始めていたところに、子供を助けたなんて『光属性』まで追加されたら、どうなる?

 俺の目指す、平穏無事な生活は……これにて完全に終了じゃないか。


 ここで、そんな大勢の女子たちの熱い視線を物理的に断ち切るように、カーストぶっちぎり一位の彼女が、俺の隣に柔らかく舞い降りた。

  

「前田くん、ありがとう」

「い、いや、他にも何かあったらいつでも言ってね。いつでも!」

「うん」

 

 すげえ……。微笑む彼女に、前田が骨抜きにされている。

 俺も、あんな顔をしてたりするのだろうか。気をつけよう。


 まさに完璧。誰にでも優しく、つつやかに。けれど決して懐には踏み込ませない、清廉潔白で鉄壁すぎる高嶺の花。

 それがクラスメイトの知る九条 葵だ。

 俺も、つい最近までそう思っていた。


 俺のすぐ隣、まさに健太の斜め後方で繰り広げられる光景に、彼も目が離せない様子で身を乗り出してくる。

「お、おい蒼、まじで隣に九条さんきたぞ。役得すぎんだろ……」

「あ、ああ……」

「頼むから、俺と変わってくれよ。昼飯一か月奢るぜ、な?」

「は、ははは」

  

 興奮気味の健太に対し、俺は曖昧に頷くことしかできない。

 九条さん。頼むから、大人しくしていてくれ。ただのクラスメイトとして事務的に当り障りなく、そう、鉄壁のままでいてくれれば──


 俺の小さすぎる願いを嘲笑うかのように。

 コトリ、と鞄を置いた彼女が、ふわりと甘い香りを漂わせてこちらを向いた。


「今日からよろしくね、()()()

 そう言って彼女は、そこに満開の笑顔を咲かせてみせた。


 その破壊力たるや。

「「「~~~ッ!?」」」

 刹那、視界の端で何かが崩れ落ちる音がした。それも次々と。

 見れば、窓際にいた俺以外の男子たち全員が、胸や顔を押さえて机に突っ伏しているではないか。どうやら健太までもが。

 悶絶死したらしい。


 軟弱がすぎるぞ、お前たち……。

 こんなもんで死んでたら、あのデザイナーズマンションでの九条さんを見たらどうするんだ。即死じゃ済まないぞ。もはや塵も残らん……。

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