表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第一章 始まりは突然に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/36

第3話 見覚えのある制服

 身を襲う、破壊の衝撃の大きさよ。


 まるで紙切れのように、我が身は宙を舞う。

 叩きつけられるアスファルトの、どうしようもなく冷たい硬さ。全身を襲う、骨が軋み砕けるような鈍い絶叫に、死という文字がはっきりと脳裏へ浮かぶ。

 

 遠のいていく意識の中で、人々の喧騒が、まるで深い水の底にいるようにくぐもって聞こえてくる。

 ああ、でも。

 あの女の子が、変にトラウマにならなければいいけど……。


 薄れゆく視界の端で、あの黒いミニバンの後部座席のスライドドアが、静かに開くのが垣間見えた。そこから滑り出るように現れた、すらりと長い脚。

 見覚えのある制服のスカート。

 それが、俺が見た最後の光景だった。


 深い、深い水の底を漂っているみたいで。

 不思議とちっとも痛くないんだ。

 意識は、浮かんでは沈むことをただ繰り返しているような。時折、水面近くまで浮上すると、断片的な光景と音が、脳を掠めては過ぎ去っていく。


「……バイタル安定しないぞ! 急げ!」

「……先生!  血圧が……!」

「急ぎ、家族に連絡しろ!」

「先生、それが……」

 誰かの、切羽詰まった声。

 目を開けているのか閉じているのかもわからない視界に、白い光が走り抜ける。


「聞こえる!? しっかりして!」

 懸命に呼びかける、知らない女性の声がやかましい。

 ああ、うるさいな。少し、静かにしてくれ。

 俺はただ、眠りたいだけなんだ。頼むよ。そう願ったのを最後に、俺の意識は再び、どこまでも静かな湖底へと沈んでいった。


 次に意識が浮上した時、耳に届く音は妙に不愉快で、規則正しいものに変わっていたことに気づく。

 ピッ、ピッ、ピッ……。

 自分の心臓の音に同期しているかのような、単調な電子音が続く。


 ゆっくりと、鉛のように重い瞼をこじ開けてみる。

 最初に目に飛び込んできたのは、染み一つない、殺風景な白い天井だった。

 ……病院、か。


 どうやら、最悪の事態だけは免れたらしい。

 消毒液の匂いが、その事実を静かに肯定してくれる。

 けれど、すぐに全身が悲鳴を上げた。見ると、右腕が分厚いギプスで固められている。左手にも、小指に添え木が当てられているらしく、動かそうとして、走った鋭い痛みに顔をしかめるしかない。

 息を吸い込むたびに、胸の奥までが鈍く軋んだ。


「車に跳ねられたんだ。こうもなるか……」

  

 少しでも状況を把握しようと、ゆっくりと首を巡らせてみる。

 というか、まともに動かせそうなのは首か、足しかなかったり。

 清潔で、整頓された病室。

 窓の外は、もうすっかり夜の闇に染まっている。だが、何かがおかしい。ここは静かすぎるんだ。

 大部屋特有の、他の患者の咳払いやナースステーションの喧騒が、一切聞こえてこない。そして、この部屋は、不釣り合いなほどに豪華で広かったんだ。

 もしかして特別室……俺が? なんで?


 場違いな疑問が頭に浮かんだ、その時だった。

 ベッドの傍ら、今まで気づかなかった椅子の上で、誰かがこくりこくりと舟を漕いでいる。俺が身じろぎした気配に気づいたのか、その影がびくりと震えて、ゆっくり顔を上げた。


 そこにいたのは、皆が知る『彼女』の姿ではなくて……。

 いつも完璧に整えられている艶やかな黒髪は千々に乱れ、陶器のように白い肌は青ざめている。そして何より、あの宝石のように澄んでいたはずの瞳は、真っ赤に染まっていた。

 涙を流していたことが、一目瞭然だったんだ。


 どうして君が泣く、んだ? しかも、泣き疲れるほどに。

 俺たちって、そういう関係だったっけ?

 強がってはいても、内心で皮肉を言うのが精一杯。

 

「えと、もしかして、九条、さん……?」

 掠れた声で、それを口にするのがやっとの有様だよ。

 俺の声が引き金になってしまったのか、彼女の瞳から、堪えていた雫がぽろりと一筋、零れ落ちてしまう。

 え、なんで?


(そう)、くん……っ!」

 蒼? どうして君が、俺の名前を。しかも下の名で。

 おまけに、その声は妙に震え、罪悪感と安堵がない交ぜになった、悲痛な響きをしているような。

 すると、彼女は椅子から滑り落ちるように床へ膝をつくと、まるで祈るように、懺悔するかのように、震える声で深く深く頭を下げ始める。


「ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……っ!」

 混乱する俺の思考を置き去りにして、彼女の嗚咽だけが、静かすぎる病室にいつまでも響いている。

「……どういう、こと……?」

 やっとのことで絞り出した声に、彼女はようやく泣き濡れた顔を上げた。

 その瞳は、何かを決意したように、真っ直ぐに俺だけを射抜いていて。


「あの車に乗っていたのは、私なの」

 衝撃の言葉を吐いた。

 その一言が、俺の頭の中で散らばっていた記憶のピースを、一つの残酷な絵として完成させる。

 あの、黒いミニバン。

 どこか、見覚えのある出で立ち。

 最後に見た、記憶に残るスカート。そういうことか。


「スタジオで撮影の予定が入っていたから、マネージャーが迎えに来てくれていて……。父も母も、お詫びの言葉を伝えたくて急ぎ駆け付け、遅くまで待っていたのだけど……ああ、本当にごめんなさい」


 矢継ぎ早に紡がれる言葉が、鼓膜を通り過ぎていく。

 つまり、こういうこと?

 俺を轢いたのは、君が所属する芸能事務所(?)の人間で、その車に九条 葵が乗っていたと。

 だから、こんな大げさな個室で。

 だから、彼女はこんなにも目を腫らしていて。

 それで、見たことも無い一面を自分に、見せている……と。


 呆然と事実を飲み込んでいると、彼女は床についた膝を僅かに進めて、懇願するように言葉を続けた。

「私、出来る限り、精一杯、貴方のことを支えるから」


 それを聞いた時、てっきり、罪の重さに耐えかねた女性の、悲痛な許しのように俺の耳には届いていて、自分自身そう理解していたけど。

 それは、半分間違いだった。

 俺は、彼女が本当に言いたかったことの意味を、まだ何も理解してはいなかったのだと知るのは、もう間もなくのこと。


 その夜はどうにか頼んで、とにかく九条さんには帰ってもらった。

 モデルでもある彼女が、夜更けまで男と二人きりでいるべきではないし、帰りに何かあれば、それこそ目も当てられない。責任なんて取れない。

 俺の中の、なけなしの理性がそう判断したから。

 彼女は何度も何かを言いたそうにしていたけど、最後には力なく頷き、深々と頭を下げて病室を去っていった。


 そして、地獄のような朝が訪れる。

 容赦なく差し込む朝日が、俺の意識を現実へと引きずり戻す。それから、運ばれてきた朝食のトレーを見て初めて、自分が置かれた状況の絶望的な本質を理解するに至る。

 ただ、牛乳にストローを刺すことさえ、ままならないなんて。

 そんな、馬鹿な。

 どうやって飲めというんだよ!

見つけて、読み進めてくださってありがとうございます。

皆様の反応が、物語を書き進める上で何よりの励みとなっております。これは本当です。


もし、この物語に少しでも「面白い」「続きが気になる」と感じていただけましたなら、★★★★★やブックマーク、レビューに感想など、足跡を残していただけると嬉しいです。どんなお声でも構いません。本当に嬉しいのです。


引き続きキャラクターたちの魅力を精一杯お届けできるよう頑張りますので、どうぞ応援をよろしくお願い致します。 ──神崎 水花

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
目が覚めた時が地獄なんですよね(経験者) 全身が痛み寝返りすらうてない。わたしが目覚めたのは3週間が過ぎた集中治療室での事でした。そこがどこかもぼんやりしていて、周囲に目を向けても不安しかなくて。 や…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ