表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第一章 始まりは突然に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/36

第11話 繋がりの象徴

 どうやら、お前とは長い付き合いになりそうだ。

 望むと望まざるにかかわらず。

 俺はこの、真紅の筐体の中へ永遠に居座り続けるであろう、黄色い相棒(クマー)に乾いた笑いを浮かべるしかない。

 ……っ、その口元が、ほんの少し緩んでいることに気づいて、慌てて内心で舌打ちする。


 ──浮かれてなどいるものか。こ、これは呆れているだけで。

 そ、そうだ。これでようやく連絡手段が復活したからだ。断じて、この黄色いクマーや、ましてや彼女とお揃いだからなんかじゃ、ない。


 さ、さて、新しいスマホが手に入ったのなら、真っ先に解決しなければならない問題が、まだ残っているよな。

 そう、バイト先への連絡だ。

 無断欠勤が続く状況は、決して褒められたものではない。

 

 新しいスマホのブラウザから店名を入力し電話番号を調べようと、ギプスの先端から突き出た僅かな指で、不慣れに画面をタップしていると、

「水無月くん」

 不意に彼女の声がして、スマホを触る指が自然と止まる。


「君のバイト先、駅前のカフェよね? もう、連絡なら済ませておいたわ」

 一瞬、彼女が何を言っているのか、理解できなかった。

 連絡? 何の?  済ませたとはどういうこと?

「えっと……意味がわからないんだけど」


 驚くほど平坦に。

 そう、あらかじめ用意していたセリフを、そのまま読み上げているかの如く告げる彼女がいる。

「画面が割れたあなたのスマートフォンに、何度も着信があったから。緊急の用事かもしれないでしょう?」


「うん。それで?」

 続きが知りたくて、先を促す。性急と思われても構うものか。


「バイトにずっと来ず、連絡もないから心配していた、と。だから、伝えておいたの。あなたは事故に遭って大怪我したから、しばらくは働けないって」

 俺が、何も答えられずにいると。その沈黙を、彼女はどう受け取ったのだろうか。

 それまで平然としていた彼女の瞳に、初めて、ほんの少しの動揺の色が宿る。


「……その、勝手な、ことだったかしら……?」

 彼女は、そこでようやく、自分の行動が『正しい』かどうかではなくて、俺がそれを『どう感じるか』という問題に、思い至ったらしい。

 恐る恐る、こちらを窺うように、か細い声で彼女は呟いた。


「……ごめんなさい」


 なあ、これはどう返すのが正解なんだ?

 

 人の電話に勝手に出るなと怒るべきか?

 いや、でも、俺が頭を抱えていた問題を、彼女は鮮やかに解決してくれていたのも事実。おまけに電話に出れる状態でも無かった。

 感謝すべきなのか、非難すべきなのか。

 二律背反──あまりにも矛盾した二つの感情が、頭の中で激しい論争を始めている。


 目の前であの九条 葵が不安そうに俺を見つめている。その瞳に少しばかりの不安と罪悪感の色を浮かべて。そんな顔をされて、怒れる奴がいるか?

 そもそも、美人を強く叱責できる奴なんているのだろうか?

 いるなら、連れてきて欲しいよ。

 これは……無理、だろ。

 

 なら、もう話は早い。叱れないなら感謝すればいいだけさ。

「ありがとう。助かったよ」

 どうか、今後の主導権を、完全に彼女に明け渡すことがありませんように。

 そんな俺の、ささやかな祈りが届いたのかは分からない。


 それまで不安そうにこちらを窺っていた九条さんの瞳が、驚いたように、数回ぱちぱちと瞬いた。その瞳に宿っていた罪悪感の色が、まるで雪解け水のように消えていく。


「……よかった」

 ぽつりと、心の底から安堵したような、とても小さな吐息が漏れた。

「どうして?」

「てっきり、怒られるかと思ってたから……」

「いや、まあ……普通は、怒るべきなのかもだけど」

 そう言って頭をかくと、彼女は「ふふっ」と。出会ってから初めて聞くような、柔らかな笑い声を響かせる。


「どういたしまして」

 その笑顔は、反則すぎるだろ。

 ただの、クラスメイトに見せるべき表情じゃない。

 羨望だった美しさが、実は手に届く美貌なのだと知ると、止まれなくなってしまう。その破壊力は、俺の肋骨の痛みを忘れさせるには十分すぎる程に。

 

「それにしても」と、彼女は続ける。

 さっきまでの平坦な声が嘘のように、その声には弾むような抑揚が戻っていた。

「今度は必死になって、私のこと探してくれたのね……ふふ」

「そ、それは、バイトの件があったから、ほら……!」

「はいはい」

 くすくすと、悪戯っぽく笑う九条 葵が可愛い。


 俺はもう、何も言い返さない。

 いいか、『あえて』だからな。そこを間違えないように。

 

 そして、ようやく。俺の思考は目の前にある現実を、まともに認識し始めるのだ。

 病室に入ってきた当初は、地獄の釜が開いたような状況で、彼女の姿をまともに吟味する余裕なんて、微塵もなかったから。

 けれども、こうして穏やかな空気の中で改めて見ると──

 目の前にいる休日の九条 葵は、俺の知っている『クラスメイトの九条さん』とは、全くの別次元の様相だ。


 軽く羽織ったグレーのアウター。タイトな黒のロングスカートが、くびれた腰のラインを嫌でも意識させ、そのまま足元へと流れていく。靴底の厚い、ごつめの黒いショートブーツが、その華奢な足首で猶更映えて格好がいい。

 黒と灰。そのモノトーンな色使いが、彼女のすらりとした手足の長さを、これでもかと引き立てている。


 そして、こっそり視線を上げれば、アウターの下で、制服姿ではあれほど完璧に隠されていた柔らかそうな双丘が、控えめながらも確かな存在感を主張している。


 ……これはやばい。

 教室の隅から遠巻きに眺めていた「芸術品」が、今、生身の、とんでもない美少女として目の前にいるぞ。

 さっきは肋骨の痛みを忘れたけど、今度は別の意味で心臓が止まりそうだよ。


「じゃあ、また明日。退院手続きがあるから、明日は早く来るわね」

「ああ。助かるよ」

 明日はもっと早く来るという言葉を残して、彼女は病室を去っていった。

 頼りなくドアが閉まる。

 一人になった部屋で改めて、さっきまでの出来事を反芻する。九条さんの、あの反則的な私服姿はどうだ。あの悪戯っぽい笑顔。それから、「バカ」という、甘い響きに満ちた声……。


 どれくらい、そうして天井を眺めていたか。

 それから数十分が過ぎるなんて、あっという間だった。


 ブブッ。


 不意に、枕元の真紅のスマートフォンが短く震えた。

 まだ、設定らしい設定も済ませていない、新品のスマートフォン。

 それが通知? 一体誰から?

 ギプスで不自由な指先で、なんとか画面をタップする。そこに表示されていたのは、見慣れたメッセージアプリの通知。


 送り主の名前を見て、俺は今度こそ心臓が止まるかと思ったよ。


 【九条 葵】

 メッセージは、たった一行。


 『探してくれてありがとう』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ