第102話 守り合った先の、誠
「じゃあさ、九条さんにバカだってバレるのはいいわけ? なんだかんだ言って男子全員の憧れでしょ?」
高階さんのある種もっともな問い。
それに対し健太は、ポテトを口に放り込みながら、さも当然だと言わんばかりに頷いてみせた。
「そうだけど、でも九条さんはいいんだよ」
「え、なんで? その差は何なの?」
「はぁ~、分かってねえな。九条さんはな、ぜってー俺のこと好きにならないからいいんだよ!」
なんだ、そりゃ。
健太は清々しいほど堂々と、敗北を前提とした謎理論を展開する。
本人の目の前でよくそんなことが言えるもんだ。これほど理解不能で、かつ強靭なメンタルを俺は他に知らない。
ふと隣を見れば、当の九条さんは、ガトーショコラを運ぼうとしていたフォークをぴたりと止めて困惑していた。
健太のあまりに突き抜けた確信を前に、どう反応していいか測りかねているのだと思う。俺の友人相手に、「ええ、その通りよ」とも「そんなことないわ」とも、答えようがないのだろう。
こんなの、俺ですらどう返していいかわからない。
「最初から可能性がゼロなら、バレたって痛くも痒くもない、違うか?」
「……たはー。アンタ、マジで意味わかんないんだけど」
高階さんは、力なく天を仰いだ。
これには正直俺も、隣の九条さんも驚愕している。なぜなら──健太の理屈を裏返せば、そういうことになるからだ。
「じゃあ何、吉岡先生は可能性があると思ってんの?」
俺たちの言いたいことはそれだ。
二人の喉元まで出かかっていた疑問を、高階さんが完璧に代弁してくれた。
「おう。ゼロとは言えないだろ。万が一、億が一、彗星が地球に直撃するくらいの確率でワンチャンあるかもしれねえだろ」
「いや、ないから!」
高階さんの、食い気味かつ無慈悲な一喝が飛ぶ。
その無駄に熱いエネルギーを少しは勉強に回せ、と呆れる高階さんだったけど、彼女はふと何かを思いついたように、悪戯っぽく視線を鋭くした。
「でもさ、それくらいの確立でいいならよ? 九条さんだって可能性があるとは思わないの?」
「はは」
その誘導尋問に、健太は鼻で笑う。
あろうことか、今まさにガトーショコラを口に含み、静かに咀嚼していた当事者──九条さんの瞳を真っ直ぐに見ながら、天然が生んだとてつもない一撃を放った。
「ないね! だって見たら分かるじゃん。九条さん、どう見ても蒼のこと好きだろ」
「ゲホッ、コホッ! ……っ、ゴホッ!!」
九条さんは激しく咳き込み始める。
飲み込もうとしたショコラが変なところに入ったのか。
カラン、と力なくフォークが皿に落ちた。彼女は両手で口元を押さえながら、喉を震わせ、呼吸すらままならない様子で咳き込んでいる。
可哀そうに。
みるみるうちに、その大きな瞳には涙が溜まっていく。
「大丈夫か!? 九条さん、ほら水」
俺は咄嗟に、隣で丸まっている彼女の背中に手を伸ばした。
ギプスで固まった腕は思うように動かない。それでも不自由な手を彼女の華奢な背中に添え、呼吸を整えるようにゆっくりと上下にさする。
制服越しに伝わってくる、驚くほど高い体温。
掌から伝わる彼女の震えが、徐々に小さくなっていく。
「な、何、何なの突然……何を言っているの、小園くん!?」
ようやく顔を上げた九条さんは、もう耳の先まで真っ赤だった。
それが喉を詰まらせた苦しさのせいなのか、それとも健太に「好きだろ」と断定された羞恥によるものなのかは、もはや判別はつかない。
「九条さん……わりぃ。でもさ、俺は一年の頃から見てたからわかるんだぜ」
健太は少しだけ申し訳なさそうな顔をしながらも、その視線は鋭く俺たちの距離を見抜いていた。
「ほら、今だって。……蒼が背中をさすってても、九条さん、平気だろ?」
「そ、それは……っ」
九条さんの言葉が詰まる。
俺の手は、まだ彼女の背中にある。誰も触れないはずのその場所に、俺の掌は吸い付くように馴染んでいた。
そして彼女もそれを、拒むそぶりもなく受け入れている。
「田島が九条さんの肩に触れようとした時、結構な剣幕で怒ったって噂になってたしな」
あの朝のロータリーでの出来事か。
やはり、噂になっていたんだな。
「それに、ほかの男と楽しそうに話してるのなんて、今まで見たことねーもん。それが答えだろ?」
「……っ」
逃げ場を塞ぐような健太の言葉に、九条さんは反論を飲み込んだ。
彼女は真っ赤な顔を隠すように俯き、俺の手から逃げることもせず、ただじっと手元のグラスを見つめている。
このままでは、静かな肯定になってしまう。
「小園、あんたってホント……デリカシーないんだから。別にそれなら、それでいいじゃん。放っといてあげなよ」
「誰も、ダメとはいってないだろ」
「女子にそういうことを、軽々しく聞くなって言ってんのよ」
「そうか、ごめん……」
この流れは違うよな。
うやむやにする方が、かえって後で尾を引く。茶化すような空気がテーブルを支配する前に、俺は動くべきだった。
俺は彼女の背からゆっくりと手を離し、居住まいを正した。
健太と高階さんの目を、逃げずに真っ直ぐに見つめ返す。
「あのな、二人とも。……勘違いされたら困るから、はっきり言っておくよ」
「……なんだ?」
俺の放つトーンが、冗談の通じない真剣なものに変わったのを感じて、二人の表情から笑みがスッと消えた。
「前も答えたけど。俺たちの間には、本当にまだ何もない。……これは信じてくれ」
これは、概ね事実。
──恋人以上の名無し。それが俺たちだから。
そこからあえて、一番格好のつかない言葉を口にする。
「……俺が勝手に九条さんに憧れて。うん、惹かれているだけ。やっと最近、こうして仲良くしてもらえるようになったところなんだよ」
俺が、一番守らなければならないのは君だ。
そのためなら、形はどうだっていい。
高嶺の花を追いかける、身の程知らずな片想いの道化。そう思われることで皆の平穏が守れるのなら、俺は喜んでその配役を引き受けよう。
「だから、今の健太の話は、笑い話でも言いふらされると困るんだ。彼女はモデルの仕事もしている。不用意な噂は、多方面に迷惑がかかるからな」
俺の言葉に、健太が「なるほどな……」と短く声を漏らした。
ファミレスの喧騒が、俺たちのテーブルだけ切り取られたように静まり返る。
「……そっか。わりぃ。九条さんがちょっとした有名人だってこと、忘れてたわ」
「そうよね。私たちも軽々しく人に話さないから、安心して。……本当に」
二人が納得し、すべてが丸く収まりかけた。その時だった。
「蒼くん。……本当にありがとう。でも、いいの。自分を貶めてまで、私を守らないで」
隣から静かな、けれど凛とした声が鳴った。
いまは決して出してはいけないはずの、俺の名を呼んで。
九条さんは、テーブルの下で俺の太腿に自分の手をそっと添えた。震えるような吐息を一つ漏らし、彼女は俯いていた顔をゆっくりと上げる。
その瞳は泣きそうなほど綺麗で、恐ろしいほど澄んでいた。
「二人とも、黙っててごめんなさい」
ごくり、と。
二人が、同時に唾を呑み込む音が聞こえた。
賑やかだったはずのテーブルは、今や一人の少女が放つ覚悟に支配されている。
「小園くんの言う通りよ。……私は、水無月 蒼くんのことが好き。これは本当。隠しようのない、ううん、隠してはいけない、私の本心」
あえてフルネームで刻まれた、俺の名。
それは、俺が彼女のために用意した「片想いの道化」という逃げ道を、彼女が真っ向から拒絶した瞬間だった。
俺を、偽りの平穏という泥濘に沈めることだけはしない。
あまりにも真っ直ぐな、そして美しい、学院の高嶺の花による堂々たる宣誓。
彼女は一度言葉を切り、悲痛なほどに美しい微笑みを浮かべてみせた。
「でもね、蒼くんが言った通りなの。私にはどうしても……彼と、恋人として歩むことができない、深い事情がある。だから、お願い。今のことは、私たちだけの秘密にしておいてくれないかしら」




