第101話 影の輪舞曲ーロンドー
四人で、軽くメシか……。
正直悪くない。というより、この温かな空気のまま夜を迎えられることに、存外な愉しみを感じている自分がいた。
俺は、隣に座る彼女へ問うように視線を送る。
せっかくの彼女の用意が、気まぐれな外食の提案で無駄になってしまわないか。それは相手がいる者にとって、とても大切な思いやりだと思うから。
けど、それは杞憂だったようで。九条さんはほんの少しだけ目元を緩め、小さく微笑んでくれた。
──大丈夫よ、と。
言葉にせずとも伝わる、俺にしか読み解けない微かな合図が嬉しかったり。
「よし。んじゃ、いくか」
「やったぁ!」
俺の言葉に、高階さんが嬉しそうに声を上げ。健太が、
「よっし、片付けるわ!」
と元気よく立ち上がった。
悲しいほどに使い込まれていない参考書が、乱暴に鞄へと放り込まれていく。九条さんはそれを見て苦笑しながらも、淀みのない動作でホワイトボードを白く戻していく。
俺と高階さんでテーブルの消しゴムのカスを払い、椅子を整えれば、お終い。
ラーニングコモンズを後にした俺たちは、校舎の外へと踏み出す。
そこには初夏の夕暮れ特有の、なかなか夜が降りてこない、琥珀色に滲んだ空がどこまでも広がっていた。
オレンジ色に溶けかかった空の下で、四人の影がアスファルトの上に長く、重なり合うように伸びていく。
なんだかその影さえもが、俺たちの関係を象徴しているようで嬉しくなり。幼い遊びのように、わざと誰かの影を踏んでしまいたくなる。
……君の、葵さんの影を、踏みたくなってしまう。
けれどなあ、さすがに皆の前でそんな真似はできないよな。
急に頭をもたげた子供っぽさが気恥ずかしくなり、俺は少しだけ歩幅をずらして、皆の影の輪からふらりと横に逸れた。
独りになった俺の影が、夕闇に染まり始めた路面にぽつんと浮き上がる。
それは、少しばかり気取った、寂しがり屋の影か。
涼しさを帯びた風を頬に感じながら、ひとり小さく息を吐く。
すると、俺の影のすぐ隣に、自分と同じくらいの長さの影が、するするっと吸い寄せられるように近づいてくる。
影の主を確認するまでもない。
俺の影に、静かに寄り添うもう一つの影。
俺は愛しいその影に目をやり、胸の奥を温めながら、前を歩く二人を呼び止めた。
「ところで、どこにいくんだ?」
「あそこはどう? ほら、表参道寄りの、テラス席に緑がいっぱいあるお洒落なカフェベーカリー!」
「あー、あそこか。確かに雰囲気いいよな」
「九条さんとスイーツ、シェアしたーい」
「わ、私と?」
高階さんの提案に、健太が「うーん」と首を捻ってみせる。
「でもよぉ、いろんなメニューある方がよくね? ファミレスでいいじゃん。俺、結構腹減ったしパンはちょっと……」
結局、俺の不自由な腕と健太の空腹──
その二つの理由が決め手となり、お洒落な提案はあえなく却下。俺たちは近くのファミレスへと落ち着くことになった。
夕食前の少しの混雑、活気のある店内のボックス席。
窓側に俺が座り、その隣に、当然のような顔をして九条さんが腰を下ろす。向かい側には、ハンバーグの到着を今か今かと待ちわびる健太と、手慣れた様子でスマホを操作する高階さんの姿があった。
「あ、今のうちにママに連絡しとこ……よし、送信」
「なんて?」
「ん? 晩御飯いらないって。ついでに勉強頑張ったこともアピールしといたわ」
茶目っ気たっぷりにスマホを振る彼女に、健太が、
「抜け目ねえな……」
と呆れたように笑う。
そんな賑やかなやり取りとほぼ同時に、両腕に何枚もの皿を器用に乗せた店員がやってきた。
「お待たせいたしました。鉄板ハンバーグ山盛りセット、マルゲリータにたっぷりマヨコーンピザでございます」
ガチャン、と小気味よい音を立てて、重厚な鉄板と香ばしいピザが運ばれてくる。それだけでテーブルの空気が一気に放課後のご馳走モードへと塗り替えられた。
「続いて、プリンパフェにガトーショコラ……。そして、こちら焼きたてりんごパイでございます」
次々とテーブルを埋め尽くしていく料理の数々。
特に茶色と黄色の甘い色彩の誘惑が並ぶと。四人掛けのボックス席はいよいよ放課後の楽しいご褒美という様相を呈してくる。
「これだよこれ! 疲れた後は肉に限るよな!」
バチバチと、美味しそうな音を立てるハンバーグに健太ががっつく一方で、高階さんは運ばれてきたプリンパフェにご満悦の様子。
幸せそうに口いっぱいに頬張っている。
そんな横顔を眺めながら、俺はドリンクバーの炭酸で喉の渇きを癒し、熱々のピザへと手を伸ばした。
「九条さん、マルゲリータでいい?」
「あ、でも……」
せめてこれくらいはと、俺は不自由な左手でサーバーを握り、一切れを持ち上げようとする。
けれど、これが。とろりと溶けた熱々のチーズ同士が微妙にくっ付いて、不自由な片手ではうまく切り離せない。
「おっと」
「私がやるわ。水無月くんは座って待ってて?」
危なっかしい俺の手から、彼女は優しくサーバーを受け取った。
鮮やかな手つきでピザを切り分ける九条さん。彼女は最初の一切れを自分の皿に乗せるのではなくて、当然のように俺の皿へと乗せてくれるんだ。
「ありがとう。結局やってもらっちゃって、これじゃ恰好つかないよな」
「ううん。そんなことないわ。怪我してるんだもの、もっと甘えてくれていいのよ」
九条さんはそう言って、ふわりと微笑む。
ふと視線を感じて顔を向けると、ハンバーグを口に運ぼうとしていた健太のフォークが空中で止まっていた。
羨望とも困惑ともつかない表情で。
そんな健太の視線を知ってか知らずか。
九条さんは慣れた手つきでそのまま、今度は湯気を立てる焼きたてりんごパイを一切れ、俺の皿へと移す。
生地から立ち昇る、甘くスパイシーなシナモンの香りが鼻いっぱいに広がる。
昔から、りんごが好きなんだよなあ……。
それは、この年齢になった今も変わらない。
「ありがとう、じゃあ後は」
不自由な腕で無理に皿を掴むのではなく、滑らせるようにして、その大きなアップルパイの皿をテーブルの中央……というより、女子二人の方へと押しやる。
「あれ、蒼。食べないのか? 旨そうじゃん」
「ああ、ちょっと食べたかっただけなんだ。もしよかったら、これ皆で分けてくれよ。健太も、足りなかったら遠慮いらないぞ」
「さんきゅー蒼」
「えっ、いいの!?」
高階さんが、パフェを運ぶスプーンを止めて目を丸くする。
俺は、彼女たちの前に並んだガトーショコラやプリンパフェといった、色とりどりのスイーツに視線を投げた。
「女子って、いろんな種類のものを少しずつ食べるのが好きなんだろ? せっかくの焼きたてだし、よかったらどうぞ」
俺の言葉に、高階さんは、
「さすが、分かってる~!」
と満面の笑みを浮かべた。
隣の九条さんはといえば、一瞬だけ驚いたように俺を見つめた後、すぐにいつもの穏やかな、けれど先ほどより一段と柔らかに目を細めている。
「ふふ。じゃあ高階さん。水無月くんの親切に、甘えさせてもらいましょうか」
「やった! 九条さん、このアイスのところ、半分こね!」
女子二人が一つの皿を囲んで、あーだこーだと言いながらパイを分けあう光景。
彼女がこうして、年相応に楽しそうにしているのを見るのは、悪くない。
……いや、それどころか、何物にも代えがたいほどに、いいものだ。
はは、どこから目線なんだ俺は。
「あ、そういえば一つ聞いていい? 小園」
「ん? なんだよ。いいぜ、勉強以外なら答えられないことなんてねえからな」
健太はフォークを片手に、至極頼もしく胸を張って見せる。
「さっきさ『吉岡先生にバカなのがバレたくない』って必死だったじゃない?」
「ああ。そこは男として譲れない一線だからな」
健太は至極真面目な顔で頷く。
それを見た高階さんが、フォークを置いて意地悪そうな笑みを浮かべる。
「じゃあさ、九条さんにバカだってバレるのはいいわけ? なんだかんだ言って男子の憧れでしょ?」




