祈り
「…………ここ、は……」
そう、夢現といった様子で呟く秀麗な男性。ここが何処なのか、そして自身が今どういう状況なのか、まだ理解が追い付いていないのだろう。それでも――
「――――先生!」
「…………へっ?」
不意に耳元へ届いた大きな声に、いっそう戸惑った様子の芳月先生。……いや、この困惑はむしろ行動に、かな。卒然、壊れんばかりに強く彼を抱き締めた、私の行動に対してかな。
数日前、帰り道のこと。
突如、猛スピードでこちらへ接近してくるのは真っ黒なパーカーを纏った影。その人物の手に握られるは、月に照らされギラリと輝く鋭利な刃物。そして、言わずもがなその刃先は私――より正確には、私の心臓へと向けられていて。
――瞬間、そっと目を閉じた。そう、これで良い。これで、少しは晴らすことが出来る。もちろん、こんなのでは全然足りな……と言うか、当の加害者達に対しては何一つ果たせていないのは無念この上ないけど、それでも――
――――グサッ。
『…………え?』
鈍い音とほぼ同時、呆気に取られたような声を洩らしたのは私……ではなく、犯人。だけど、私も同じような状態で。……だって、その音が響いたのは私の心臓からでなく――
『…………え』
唖然とする私の視界に映るは……腹部ほぼ中央から鮮血を流し倒れる、芳月先生の姿だった。
『……わ、私、そんなつもりじゃ……うあああああああああぁ!!』
すると、ややあって我に返ったのか、呟くようにそう口にするやいなや大声で去っていく犯人。だけど、今は気に掛けてる場合じゃない。何はさて措き、まずは先生を――
そういうわけで、即刻119番へ通報。幸い、ほどなく到着――怪我を具合を確認した救急隊員さんが、すぐさま先生を救急車へ。私も同乗を求められ、躊躇いなく承諾。車内にて簡潔な説明をしつつ、その間ずっと彼の華奢な手をぎゅっと握っていて。どうか……どうか、無事で――そう、ただ祈りを込めて。




