書くこと
「『書くこと』は死者に生存の様式を提示することではあるまいか」
(魔法使いの弟子より 著者:鈴木創士)
書くことは失うこと。失うことに感傷的になってはならない。よくあることなのだし、これ以外のやり方は考えられなかった。そう心に決め込むしかないのだ。空白の文字に敬意を払いつつ。書く前の全能感はどこへ言ったのやら。書いていない間は文字通り何にだってなれた。それがどうだろう。文字が連なるごとにどんどん乖離していく。
いつの間にかプリンがロールキャベツであることに気づく。アルバムは金星の奥深くに埋葬されていた。では、手に持っているこの写真は? 純粋な悪が存在しないのと同じぐらい純粋な概念も存在しない。分厚い電話帳から探し物をしている。ある特徴的な文字の羅列を。でもそれがなんだったか思い出せない。一文字だったか、二文字だったか、人物名だったか、それともただの数字の羅列だったか。目で軽く追ってみる。皆目見当もつかない。木にぶら下がっているサルの頭。赤い尻。赤。何かが引っ掛かっている。あそこに引っ掛かっているはサル? 凧? それとも風船? 頭に濃い霧がかかっているみたいだ。ひょっとして靄がかかっているのはあちらではなくこちら? オットセイが首をブンブンと縦に振っている。頭がどこかに飛んでいってしまいそうなぐらいに。
あ、上に高く重なったつみきを崩してしまった。バラバラに散ったつみきをひとつひとつ拾い集める。そうだった。確かこのようにして。元の形がなんであれ、それに付随するものは失われてしまった。だから愚直に拾い集めることにしたのだ。多くのものを失った。実に多くのものを。拾うたびにこぼれ落ちるだろうし、再び積み上げたところでガタガタときしみ出して逃げ去るだろう。逃げる。逃げては失い、失っては逃げる。その繰り返しだ。退屈なほど単調な。そのうちに飽きてつみきの家を作るかもしれない。納得がいかなくて壊すかもしれない。作っては壊し、壊しては作る。そういう類のものだ。
書くことは乖離と肉薄することであり、ありうる可能性と決別することなのだ。そしてそれは失うことそのものであり、語られなかった全ての軌跡を浮き彫りにするだろう。