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黄金のスクランブル交差点  作者: 美祢林太郎
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7 サンちゃんの死

7 サンちゃんの死


 三夜目、サンちゃんは黙って出かけたまま朝になっても戻ってこなかった。俺がぐっすり寝ついた頃にサンちゃんが出かけるのは、コンビニや食堂のごみ箱から翌日の食料を調達するのが目的で、それが毎日の日課となっていた。サンちゃんは俺を誘わずに俺の食料の分も運んできてくれていた。親切なのか、はたまた自分の縄張りを教えるのが嫌なのか、どちらなんだろう? そんなことが頭の中にチラッと掠めた俺は、親切なサンちゃんに対して申し訳なく思った。俺は性根が腐っているようで、自分のことが悲しくなった。俺はサンちゃんに会って、繊細な感情が芽生えてきたみたいだ。

 次の日の昼近くになって、ホームレスの死体が河原にあった、とホームレスの一人が教えてくれた。俺は胸騒ぎがして、河原に走って行くと、すでにそこには事件の痕跡は何一つ残されていなかった。警察によってすべてが片付けられていたのだ。

 河原でストレッチ運動をしていた若いアベックのうち男の方が、夜中にホームレス狩りにあった男が死んだという話を、相方の女に向かって得意気な顔で話していた。どうしたわけか、俺はその男を殴ってやりたい衝動に駆られたけれど、そう思った時には二人がランニングを再開して走り出したので、その機会を逸してしまった。結局この時は、殺されたホームレスがサンちゃんかどうかはわからなかった。

 俺はサンちゃんのテントに戻って横になった。それから俺はその夜も泊ったが、サンちゃんは帰ってこなかった。なかなか寝付くことができなかったが、それでもいつの間にか寝てしまった。夜中じゅう、激しい雨が降っていた。橋の下なので、雨が直接テントを叩くことはない。

 翌日、俺はテントの外からの声で目が覚めた。俺を呼んでいたようなので、テントから顔を出すとニホンザルのような顔をした小柄な中年警官が腰を屈め、もう一人のゴリラのように恰幅の良い若い警官がその後ろで直立不動で立っていた。俺は寝ている間に世界が「猿の惑星」に変わってしまったのではないかと思って、目を擦った。もちろんそれは錯覚だった。

 屈んだ猿顔の警官が俺に「このテントの住人ですか?」と慇懃に訊いてきたので、「ここはサンちゃんの家で、何日か世話になっています」と俺も丁寧に応じた。すると「ここの住人、サンちゃんこと沢渡亮平さんは、おととい鉄パイプと金属バットを持った3人組の若者に殴り殺されました」と何の感情も込めない言葉で教えてくれた。

 警官が俺の名前を訊いて、サンちゃんとの関係を尋ねたので、正直に答えた。猿顔の警官は俺の話を手帳に逐一メモした。こうして簡単な尋問が終わった。猿顔の警官が帰る間際に、「まだ若者は捕まっていないので、くれぐれも気をつけてください。今晩あたりまた同じ場所に出没するかも知れませんから、決して夜中に一人で出歩かないでください」と言った彼の口元に薄ら笑いが浮かんでいた。俺の前で猿が笑っていた。

 警官が立ち去った後、彼が若干力を込めて言ったように思えた「決して」という言葉が俺の脳裏にこびりついていた。どうして警官は「決して」というところに力を込めたんだろう? 俺に犯行現場に行くように、それとなく促していたのだろうか?

 サンちゃんが死んだ。サンちゃんが何者か、俺は知らない。多分、腕の良い理髪師だったことは間違いないだろう。故郷はどこだろう? 嫁さんはいたのだろうか? 子供はいるのだろうか? サンちゃんの遺骨はいったいどこに行ったのだろう? 聞いておいたら良かったと思うが、聞いたからと言ってどうなるものでもないとも思った。だけど、誰に聞いておけばよかったと思っているのだろう。サンちゃんにか? それとも警官にか? 警官はどこまでサンちゃんのことを調べたんだろう? 警官は別にサンちゃんに興味や関心があるわけではない。それにしてもサンちゃんを殺した奴らはいったい誰なんだ?

 そんなことを考えている途中に、何気なくこのサンちゃんのテントと所持品はいったいこのあとどうなるのだろう、という素朴な疑問が浮かんで来た。俺はまだ一ヶ月以上カスミアパートに住むことができるので、すぐにはこのテントは必要ないが、アパートを出た後ここに住むことができれば大助かりだ。だけど、そんなに都合良く事は運ばない。俺がいなくなったら、すぐに誰かがここに住むだろう。それとも誰かがこのテントを解体して、材料をどこかに持って行って、そこで新しいテントを建てるかもしれない。俺が考えても仕方のないことだ。しかし、サンちゃんが死んだばかりなのに、そんな不埒なことを考える俺は、やっぱり人でなしのように思えてくる。

 俺はテントの中に残されていたカップラーメンとパンを食べて腹を膨らませた。隅っこにはポテトチップの食べかけの袋があったので、湿気ていたが残っていた全部を食べた。塩味が美味しかった。指が脂っぽくなったので、舐めてきれいにした。

 もう一方の隅には、空缶の中に千円札が一枚と百円玉が3枚それに十円玉と五円玉と一円玉がそれぞれ数枚ずつあった。俺は金額を数えて、総額1,372円の現金をポケットの中に裸で入れた。

 俺が他人の金や物に手を付けたのはこれが初めてだ。おふくろがよく「他人の物を盗んではいけない」と言っていた。この教えだけは今日まで忠実に守ってきた。それを今日破ってしまった。もの凄い罪悪感が襲ってきた。捨ててあるものや自動販売機の下に落ちているお金を拾うのとは訳が違う。亡くなった人の物を奪うのだ。俺はこの金を元に戻せば罪悪感から解放されるのはわかっていたが、どうしたわけか俺は初めての罪悪感に軽く酔っていたようだ。

 俺はどうしてかわからなかったが、無性にサンちゃんを殺した奴らを見つけ出して殺したくなった。1,372円は天国のサンちゃんから復讐を請け負った対価だと思うと少し気が楽になった。

 俺はおふくろから「他人を傷つけてはいけない」と教わったことはなかった。俺が傷つけられることはあっても、ひ弱な俺が他人を傷つけようとするなんて、おふくろは夢にも思わなかったことだろう。

 夜になって、俺は好奇心に駆られたのか、はたまたサンちゃんが導いたのか、サンちゃんの殺害現場に出かけて行った。俺が辺りでボーっと佇んでいると、物陰からフルフェイスのヘルメットを被った若者3人が「このクソ野郎」と叫んで走って来て、一斉に鉄パイプや金属バットを振り上げて俺に襲いかかってきた。いや、こいつらは若者にもなっていない、中学生くらいの体も脳も出来上がっていないガキたちだ。そのことが、体型に合わない頭でっかちのヘルメットと、細い腕、彼らが発した甲高い声からすぐに察知できた。

 俺が反射的に身を伏せたと同時に、近くに身を潜めていた昼間の猿顔の警官が「やめろ」と野太い声を上げて登場し、その後方からゴリラ体型の子分が面倒くさそうにモソモソと現れた。猿顔の声を聞いた若者たちは一斉に「ヒヤッ」と裏返った声を上げて、一目散に逃げ出した。検挙するのに絶好の機会だったのに、結局二人の警官は一人も犯人を捕まえることができなかった。

 警官たちは犯人をおびき寄せるための餌として俺を使ったのだ。昼間テントの入口で屈んで俺に尋問した猿顔の警官が「大丈夫ですか」と白々しい言葉を掛けてきたのは、照れ隠し以外の何物でもないように思えた。警官は今回の3人がサンちゃんを襲った犯人かどうかは断定できないが、これからも襲って来るかもしれないので、くれぐれも気をつけるように、と優しく忠告してくれた。現場から去りながら、猿顔の警官はゴリラ体型の警官の頭をどつきながら大声でなじっていた。ゴリラは小さくなっていた。

 俺はテントに戻る間に、どうして犯行現場に手ぶらで行ったんだろう、と深く反省した。俺は武器がなければ、鉄パイプや金属バットを持ったガキたちに対抗できるわけがない。俺は欲求不満のガキたちの生贄として、死ぬまでボコボコに殴られた違いない。手加減を知らないあいつらに殴られて、俺の頭から灰色の脳みそが飛び出したことだろう。

 俺はあいつらの欲求不満のはけ口になんかなりたくない。思い出すと、俺は何もできずに咄嗟に体を屈めたことがふがいなかった。俺は結果としてあいつらに金属バットで殴り殺されたとしても、俺は生きている証として少しでも抵抗するべきだったのだ。俺は誰も傷つけていないし、ましてや一人も殺せてはいない。惨めだ。次回は、武器を持ってあいつらを絶対に殺そう。それまで感情の乏しかった俺に、激しい感情が目覚めてきた。

 次の日の深夜、俺がテントの中で熟睡していると、テントの上に「シャア―」という小便を掛けている音と何人もの高笑いが聞こえてきて、テントが壊され始めた。俺は飛び起きて、潰れたテントからなんとか這い出た。俺の目の前には、昨晩と同様のフルフェイスのヘルメットを被った3人のガキが、鉄パイプと金属バットを持って立っていた。俺は瞬間、殺されることを覚悟した。すると、近所のホームレスが鍋ややかんやからの一斗缶を棒で叩いて、大声で「警察だ、警察だ」と叫んだ。うろたえたガキたちは走って逃げて行き、遠くでバイクを吹かす音が聴こえた。

 テントを潰された俺は、もうここに住むことができなくなったので、公衆トイレでうんこをして、それからトイレの掃除をして、サンちゃんからもらった大きな靴を履いて、闇の中に靴音をパタパタと立てながら、カスミアパートに戻って行った。

 歩きながら、俺はガキどもに復讐することを誓った。寝ている無防備なホームレスを襲うのは、たとえ少年や少女であっても許せない。夢の中で幸せに浸っている人間を何人も侵すことはできない。サンちゃんを殺し俺を襲ったガキたちを突き止めて、八つ裂きにしてやる。


   つづく

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