5 ホームレスの観察
5 ホームレスの観察
アパートを出てホームレスのところに行くにしても、さてどこに行けば彼らに会えるのか、少し不安になった。ホームレスの居そうなところとして、すぐに上野公園が頭に浮かんだが、その印象と情報は10年以上昔の話だ。今はそこにいないかもしれない。しかし、俺の頭に浮かぶのは上野公園しかない。それかと言って、上野駅までの電車賃を持っていないし、金があったとしても電車に乗る勇気が湧いてこない。このところ下痢の症状はないが、あの駅での俺に対する嫌悪感と嘲笑を浮かべた情け容赦のない顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・顔・・・・・・・・・が思い出される。現場に居合わせた以外にSNSを観て、俺のことを知っている奴はこの辺りにいったいどのくらいいるのだろう? 俺はそうしたことを考えると、手のひらに脂汗が滲んで来た。俺はまた電車の中で突発的に下痢をもよおすかもしれない。しかもその場所は、前回の駅と同じだ。駅員たちは「またか」と呆れた顔をするだろう。「意図的じゃあないか」と言い出す駅員もいるかもしれない。覚えている駅員の顔が浮かんできた。やっぱりリスクを冒してまで電車に乗る必要はない。
昔、自転車を買った頃はそれに跨って走り回っていたが、盗まれて以来自転車には乗っていない。俺は自分の自転車が盗まれた代わりに、他人の自転車を盗もうという考えはとんと浮かんでこなかった。正義感に溢れているというわけではないが、子供の頃からからかわれても殴られても、仕返しをしてやろうなどという気持ちは微塵も浮かんでこなかった。俺はよっぽどおっとりした性格なのか、はたまた頭が足りか、感情が希薄なのだろう。自転車が盗まれたことがわかった時も、残念には思ったが、盗まれた物はしかたがないとすぐに諦めた。自転車を再購入する金もないくせに諦めが早過ぎる。感情が淡白にできているのかもしれない。
上野公園までかなりの距離があるが、それでも歩いて行こうと決めて歩き出した。10分もすると心臓がバクバクと唸り出し、息が切れ、それから両足の膝関節が油が切れたようにギスギスと擦れて痛くなった。とまって振り返ると緩い上り坂になっていた。10年近くも引きこもっていたので、思っていた以上に体力がなくなっていることを思い知らされた。それに素足にサンダルを履いて外に出たのもまずかった。サンダルにあたるところが痛くなった。
玄関にはサンダルしかなかった。俺が以前履いていた靴はいったいどこにいったのだろう? バイトには靴を履いて出かけていたはずなのに・・・。バイトに最後に行ったのは何年前のことだろう? ボロ靴はゴミと間違われて、さっさとミドリさんに捨てられてしまったのだろうか? 間違われたというよりも、見てくれは廃品回収業者も引き取らないゴミ同然のものだった。今日どこかのゴミ集積所に適当な靴が捨ててあったら拾ってこよう。贅沢は言わないが、革靴よりも運動靴の方が歩きやすい。ここ一年の生活で、ゴミ漁りといい、俺はすっかりホームレスになる下準備が整っていた。
9月に入ったばかりの太陽が眩しかったので、それを避けるために街路樹の下の日陰の縁石に座って、頭の中で近場のどこかにホームレスがいそうな場所をゆっくりと探してみた。しばらくすると、以前、日本料理屋に通勤していた頃、電車の窓越しに、河川敷にホームレスのテントがあったことを思い出した。あの時見た河川敷まではここから駅一つ分くらいの距離しかないので、あそこまでならサンダルを履いてでも歩いて行けるし、暗くなるまでにはアパートに戻って来ることもできる。ということで、俺は方向転換をして、河川敷の方に向かって歩き始めた。
1時間ばかり歩いて、目的の河川敷に到着した。久々に1時間も歩いたので汗をびっしょりかいて疲れてしまった。河川敷に設置された水道で腹が一杯になるほど水を飲んでから、ベンチに腰を下ろした。辺りにはバドミントンをするアベックやベビーカーをひく若い女性がいた。こんな健康的な所に、はたしてホームレスはいるのだろうか? 健康的かもしれないが、直射日光の当たるベンチは暑いし、目を開けておられない程眩しい。俺はじっとしていられずに、ベンチから腰を上げ、ホームレスを捜すことにした。
河川敷を歩いていると、大きな橋の下に、青いシートと棒と縄と段ボールを使って簡単に組み立てられたホームレスの簡易テントを見つけることができた。ホームレスたちはテントから出て、橋の下で新聞や雑誌を読んだり、火を焚いて湯を沸かしたり、一人でブツブツと呟く者がいた。だが、かれらは群れをなして話し込んでいるわけではない。基本的に銘々が好きなことをしているだけだ。これは俺のライフスタイルに合っているようだ。これならテントでも引きこもることができる。
テントは小さい。人一人をやっと納めることのできる大きさだ。こんな大きさで足を延ばして寝られるだろうか? 丈だけだったら棺桶の方が長いのではなかろうか? だけど、テントが広かったら冬には寒くて寝られないだろう。ホームレスは家の広さを自慢したってしょうがない。手足を伸ばさなくったって、丸まって寝ることができれば十分だ。そう言えば、俺だって一年中アパートの部屋の布団の上で体を丸めて寝ているじゃあないか。寝ているところ以外はただのゴミ捨て場だ。丸まって寝る広ささえあれば俺はどこでもやっていける。俺はホームレスになってもうまくやっていけることがわかると嬉しくなった。
テントは自分の身体のサイズにマッチした大きさだ。ここには虚栄心のひとかけらも見当たらない。だけど、テントの外に置いてある鍋ややかんを見ると、食事のための道具は必需品らしい。俺はアパートの台所に先住者が残していった鍋ややかん、食器類があるから、そうしたものを自分で購入したり拾って来た経験はないから、こうしたものに無頓着だったのだ。当たり前のことだけど、ホームレスになっても食べることから逃れることはできない。残念ながら、人間は霞を食べては生きていけないのだ。
ここで生活するためには、アパートにあるおんぼろの布団をここまで自分で背負って運んでこないといけない。どこかに今よりもましな布団が落ちていそうだが、必要な時には見つからないものだ。当座は今ある自分の布団を使って、新しいのが見つかったら、今の物と交換しよう。
そう言えば、衣服はどうしているのだろう? テントの中に着替えが入っているのだろうか? 日向にロープを張って洗濯物が干してあるところをみると、一応着替えは持っているようだ。着の身着のままで生活できることはなさそうだ。社会との関係を断ち切ったと思えるホームレスにしても、やはり身一つでは生きていけない。社会とは断ちがたいものが存在する。冷たい風がスーッと吹いて来て、なんだか侘しさを感じた。
俺は辺りを見回して、俺にとって生きていくのに最も大事とも言える便所を探した。すぐに少し離れたところにコンクリートでできたきれいな公衆トイレの建物があるのがわかった。やはりここでは今住んでいるカスミアパートのように部屋とトイレが隣接しているわけにはいかないようだ。
そう言えば、ホームレスは小便や大便をどこでしているのだろう? 洗濯物を見ると、俺よりもずっときれい好きなことがわかる。小便はそこらですましているのだろうが、それかと言ってテントの傍でするわけにはいかない。不潔だ。不潔だと病気や死を呼び込んでしまう。俺はいつ死んでもいいと思っているが、無駄に病気や死を自分に近づける必要はない。
小便は公衆トイレまで行かなくても、近場の藪か川に向かってすればいい。だけどうんこの方は、テントから離れてとはいえ、人目の付くようなところで好き勝手にしゃがんでするわけにはいかない。人間には羞恥心やプライドというものがある。この日本で不特定多数とは言わなくても、一人に見られても、白昼堂々と野糞のできるような人間はいないだろう。それができたとしたら、それはまっとうな人間ではない。ホームレスにしても例外ではないはずだ。
葉っぱが当たったり蚊の刺すことを気にしなかったら、あの藪の中だったら人目を気にしないでうんこができるだろう。だけど、それも葉の生い茂った夏場だけだ。冬になったら葉っぱは枯れてしまって、藪は目隠しの役目を果たさなくなる。藪は通年、便所の機能を果たさない。それに夏場だって足元が見えなくて他人のうんこを踏んでしまうことがあるだろう。それとも、藪の中は各人のうんこをする場所が暗黙の裡に決まっているのだろうか? 藪の中に新参者が入り込める余地は残されているのだろうか?
やっぱり、うんこはあの公衆トイレを使っていると考えた方が妥当だろう。だけど、ホームレスは公衆トイレを使っていいのだろうか? それもたまたま使うのではなく、毎日だ。ホームレスとあのきれいそうな公衆トイレは不釣り合いなような気がする。
ここのトイレは水洗トイレだ。さらに贅沢なことには、これまで俺が数度しかおめにかかったことのない温水洗浄便座も付いている。これが気持ちいいんだよな。それにしても、トイレがこんなにきれいなのは、一日に何回も清掃する、市から委託された専属の掃除人がいるからだろう。何なら俺が毎日トイレ掃除をしてもいい。完璧にこなすぞ。もちろん無料だ。だけど、俺が掃除したら、今掃除している人の仕事を奪うことになるかもしれない。だが俺が掃除したからといって、仕事を奪うことにはならないだろう。自分が使った後だけ掃除をしても、専従の人が掃除をする時間になった頃には、誰か他の者によってトイレは汚されているはずだからだ。アパートで俺一人が使っているのとは、訳が違うんだ。なんてったって、誰でもが使う公衆トイレだからな。
橋の下からだと、どれだけ急いでもトイレまで5分はかかる。うんこ用の便器は1つしかない。もしその1つが誰かに使われていて、しかも間が悪いことに俺が下痢をしていたら、俺はどうすればいいんだ? 想像すると眉間に冷や汗が出て来た。カスミアパートは俺一人だったので、誰とも競合することがなく、俺が独占できていた。今さらながら、カスミアパートは俺にとって最良の住み家であると思った。
俺の理想はこの公衆トイレの中に住むことだ。もちろんそれができないことはわかっている。それならば、俺はトイレの傍にテントを張りたい。そうすれば、トイレに近づいてくる人の気配がしたら、俺は一目散にテントから出て、そいつよりも先にトイレの中に入ることができる。俺が考えられるベストな方法はこれだ。だけど、トイレの横にテントを張っている奴は誰もいない。いくらきれいだからと言ったって、公衆トイレから便臭がする日もあるだろう。俺はそのくらいなんぼでも我慢できるけれど、他の奴らは嫌なんだろうな。
待てよ。俺がトイレの横にテントを張るとテントがひときわ目立ってしまう。俺にその気はなくても、俺はトイレをいつも見張っている陰険な監視員のようにうつるかもしれない。すると一般市民がトイレの利用を差し控えるようになるだろう。でも、子供たちの中にはうんちがしたくてたまらない者もいたりする。お母さんは子供をトイレに連れて入っていいものか躊躇うかもしれない。そうするうちに、子供は漏らしてしまう。俺はこんなことは望まない。
公衆トイレの傍にテントを張ると市民からクレームが出て、すぐに退去させられるのがおちだ。もしかすると住民運動が起こって、橋の下にもテントが張れなくなるかもしれない。俺のことをきっかけに、ホームレス排斥運動が展開されるかもしれない。他のホームレスに迷惑をかけるわけにはいかない。
そもそもホームレスがテントを張るのは橋の下、って誰が決めたんだ? 役所と市民とホームレスの間で暗黙の了解があるのだろうか? ホームレスの中にはへそ曲がりがいて、他のところにひと張りくらいあっても不思議ではないのに、他の場所には一つもない。こんなところに薄気味悪い秩序があるのだろうか?
俺もおとなしく橋の下でテントを張るしかない。意地を張って、他の連中と波風を立てたって、住み辛くなるだけだ。しかし、橋の下に新しいテントを張ることがきるほど場所に余裕があっただろうか? 俺はそれを確かめるために、もう一度橋の下に戻ることにした。
つづく