4 下痢再発
4 下痢再発
ある日突然、俺は仕事場で激しい腹痛に見舞われた。俺は慌てて店のトイレに駆け込んだ。俺はしばらくトイレの中で苦しみながら下痢をした。その日、俺は店の人に心配されて、店を早退した。この時の俺は、一晩休めば復調するだろうと、甘く考えていた。俺はカスミアパートの自分の部屋で、自分が食べた物の中から食あたりになるようなものを頭の中で探したが、思い当たるものは何もなかった。水にあたったのだろうか? 働き過ぎだろうか? 何かストレスになることがあったのだろうか? どれも思い当たるものはなかった。
それからの俺は、断続的に下痢に見舞われるようになった。調子の良い日もあったので、部屋で寝ているわけではなかった。出勤して普段通りに仕事をする日が数日続いたかと思うと、予期せずに下腹に不快な痛みが訪れ、俺はトイレに駆け込んだ。俺は段々臆病になり、仕事が手に付かなくなっていった。すっかり忘れていた、子供の頃の下痢が舞い戻ってきたことを、俺は思い知らされることになった。下痢を起こすのに外部の要因なんて何もないのだ。下痢が幸福に浸っている俺を痛めつけに舞い戻ってきただけなのだ。下痢は底意地の悪い悪魔のような奴だ。
店の者は俺を心配し、病院でしっかり診てもらうことを勧めた。俺はカスミアパートの近くの内科クリニックに行って診察してもらい、整腸薬を処方された。その薬をしばらく呑んだが、症状は一向に改善されなかった。俺は店の人や客から紹介された病院を転々とするようになったが、どこの病院でも食あたりで処理された。だけど、同じまかない料理を食べた同僚たちは、誰一人として腹痛になっていなかったので、食あたりとは思えなかった。店の連中は、俺が一人で昼間に変な物を食べているんじゃないかと冗談めかしに言ったが、思い当たることは何もなかった。料理屋としての信用もあるので、俺は店の人にうかつなことは言えなかったので、おとなしかった俺が更に内に籠るようになった。
感情の希薄な俺もさすがに神経質になっていた。俺は、どこで便意を催してもいいように、通勤途中の駅構内のトイレの場所やトイレのあるコンビニや公衆トイレを頭に入れて行動するようになった。電車の中では、窓の外の景色やくだらない漫画週刊誌を読んで、極力便意から気を反らすように努力した。ある医者からは「これはストレスによる神経性のものだから、もっと気持ちを楽に持った方がいい」と忠告された。俺を鬱病患者とみなしているようだ。だが、俺は仕事でストレスを感じたことはない。腹痛そのものがストレスなのだから、「ニワトリが先か、卵が先か」のように、この状況から脱出することは甚だ困難だ。今の俺には、ストレス説は問題を解決するためには何の助けにもならない気休めな説明のように思えた。
俺はある町医者から大学病院を紹介されて、そこで今はすっかり忘れてしまったが、「なんちゃら大腸炎」という、それまで耳にしたことのない病名が付けられた。表情一つ変えない鉄面皮のような医者から、「これは自己免疫疾患の一つです」と、いたって事務的な口調で説明を受けた。俺の足らない頭では免疫がどういうものかわからないが、自分が自分を攻撃する病気だと説明されて、なんとなくわかったような気になった。難病で、今の医学では完全に治ることはないと告げられた。俺は他人から攻撃されてきた上に、どうして自分からも攻撃されなくてはならないんだろう、と少し寂しくなった。薬を処方されて、それを毎日飲むように指示された。
処方された薬が効いたのかどうかわからないが、そうこうするうちに腹痛も治まったようで、一ヶ月ぶりに店に出ることにした。久しぶりの俺は店の者たちから温かく迎えられた。俺の居場所はやっぱりこの店なんだ、とほっとした。するとそれをあざ笑うかのように、その日のうちに激しい腹痛に見舞われた。客の前で腹を抱えて蹲る俺を見て、馴染みの客が「お大事にね」という言葉を残して、そそくさと店を出ていった。この時、これまで同情的だった同僚たちの目が、一瞬にして冷ややかなものに変わったように見えた。最近まで俺を慕っていた後輩たちは、俺と目が合うのを避けているように思えた。俺は店の奥でもう少し休んで腹を落ち着かせたかったのだが、店の人の急き立てるような言葉で俺は早退することにした。
その日、俺は仕事帰りや学校帰りで満杯になった電車に乗っていた。比較的、腹の方は落ち着いていたのだが、あと二つの駅を通過すると最寄りの駅に到着するという段になって、急に激しい便意をもよおしてきた。我慢できないくらい下腹が痛いしゴロゴロと不快だ。これまでの経験から、これは相当やばいことになっていることがすぐにわかった。我慢するのが不可能な水のような下痢症状だ。最強の悪魔が下腹に到来したのだ。
俺はうんちを我慢して脂汗が出てきた。出すまいとして肛門に力を入れるのだが、こんな力は何の役にも立たないことはわかっている。下痢が肛門を開けるようにチロチロと挑発してきて、もはや限界に達してきている。外の景色や吊るし広告を見ても無駄だ。俺は次の駅で降りる決心をした。しかし次の駅までの1分がやけに長い。ひたすら脂汗が出て来る。
駅ごとのトイレのある場所を俺はこのところ勉強して、完全に頭の中に入れている。車両も改札口に一番近いところに乗るように努めている。でも、次の駅だけは改札が2車両分ずれている。今のうちに車両を移動しておくべきだが、俺はもう動く力がない。無駄な動きをしたら、すぐに肛門から流れ出てしまうだろう。
電車がブレーキをかけ、駅に滑り込もうとした。その時、俺はほっとしたのか、スーッと気が緩んでしまった。それと同時に、肛門から腸にあった中身が一瞬にしてすべて流れ出てしまった。俺は痛みや不快感から解放されてほっとした。最強の悪魔は最上の快感をもたらしてくれた。
ほっとしたのも束の間、停車した電車の中に猛烈に不快な便臭が漂った。俺一人のたった一回分のうんちでこんなに臭くなるものなのか。車両そのものがバキュームカーになったようだ。俺の傍にいた女が「キャア」という叫び声を上げた。その声を合図にしたかのように、一斉に俺の周りから人が遠のいていった。込み合った車両の奥へと顔を歪ませながら進み、隣の車両に移っていく者もいたし、別のドアから逃げ出す者もいた。ドアが開いて乗り込もうとした客は臭いにたじろいで、他の車両に走って移動していった。俺が乗った車両は毒ガスが巻き散らかされたようにパニックになっていた。過激派によるテロが起こったような騒ぎだ。駅員がこの車両めがけて全力で走ってくるのが見えた。
俺はがらんどうになったドアの前を飛び出して、ズボンの尻から下痢の滴を垂らしながら改札に向かって必死で走った。尻は濡れて随分気持ち悪かったけれど、腹はすっきりしていて、走るのにそれほど不都合はなかった。俺は小学生の頃よりも随分足が速くなっていることに気づき、嬉しかった。これはおふくろの遺伝子かもしれない。決して余裕があったわけではないが、そんなヘンテコなことを考えていた。
俺とすれ違った人たちは、俺の便臭に顔をしかめて後ずさり、道を開けた。俺は改札を抜けてトイレに駆け込んだ。本当は、俺は全部排泄してしまったのだから、走る必要などなかったはずだった。悠然と歩いても来れたはずだ。それなのにどうしてトイレまで走ったんだろう? そのまま電車に乗ってカスミアパートまで帰ったってよかったはずだ。俺は何を慌てているのだろう? そんなことをトイレの便座に座って考えた。俺が煙草を吸う人間だったら、ここできっと一服していただろうと思った。
俺が入ったトイレのドアの前で、駅員数名が大声を上げて「出て来い」と、ドアを叩きながら騒いでいた。きっと俺の臭いの跡を追って来たんだ。
俺は彼らを無視して、便器の中でパンツとズボンと尻を洗って、尻をトイレットペーパーで拭いて、絞ったパンツとズボンを履いた。だが、それでも俺の体はまだまだ臭った。ズボンに入れていたワイシャツとランニングシャツの裾にもうんちがかかっているのを発見した。俺は服を脱いで、汚れたところだけを洗って再び着た。それでもまだ臭い。服やズボンを石鹸を付けて洗わないと臭いがとれないようだ。それとも体そのものが臭くなっているのだろうか? ここではこれ以上どうしようもできないので、ドアを開けた。眼の前には5人の駅員が血相を変えて立っていた。それから俺は、駅員の部屋に通され、駅員たちに代わる代わるに「大人のくせに」とこっぴどく叱られた。それからしばらくすると手のひらを返したように「腹痛で苦しい事って誰にでもありますよね」と同情され、住所と氏名を書かされて、やっと解放された。俺は一言も発せず、頷いたままだった。
俺のしでかしたことは犯罪にはならないのだろうか? 警察に連れて行かれることはなかったし、警官も来なかった。わざとじゃあなかったし、しおらしくしていたから、許されたのか? もし犯罪だったらどういう罪になるのだろう? 業務妨害ってところかな。車両を汚したから、器物破損に当るのかもしれないな。それにあれだけみんなを騒がせたんだから騒乱罪に当るのかもしれない。どんな刑罰があるのかどうか、高校中退の俺にはわからないけれど、とにかく警察沙汰にならなかったのはよかった。
その日の夜、俺は小学校の悪ガキたちがうんちを漏らして座り込んだ俺に向かって「クソオ、クソオ」と囃し立てている夢を見た。俺が顔を上げると、何百人何千人の子供や大人、老人が俺を囲んで「クソオ」の合唱をしていた。「クソオ君」と優しく呼びかける女の子もいた。子供の俺は眼を瞑って両手で耳を塞いで、騒ぎが治まるのを待っていた。
俺は翌日、もよりの駅のキオスクで色々な新聞を買って、昨日の俺の記事が載っていないかどうかを隅々まで見て確かめたが、どこにも載っていなかった。俺はそれから数日店を休んだら、腹もすっかり落ち着いてきた。
通勤のために電車に乗ると、俺をじろじろと見ている人たちの視線を感じた。自意識過剰なのだろうと思い、俺は電車から降りるまで目を伏せて座席に座っていた。そのうち俺の席の両隣の客が立ち上がっていなくなっていくのがわかった。きっと最寄りの駅に近づいたのだろう。
俺が仕事場に着くと、先輩が「電車の中でうんちをしたんだってな」とにやりと笑って耳元で囁いた。店の者で知らない者は一人もいなかった。一人が、スマホのSNSを見せてくれて、そこには俺が電車の中でうんこを漏らして、車両の中がパニックになっている動画が上っていた。俺の顔がドアップで写っている。再生回数が何百万にも上り、「いいね」が何十万にもなっている。俺は人生で初めて赤面した。後輩が遠くで薄っすらと笑っていた。
その日から俺は電車に乗るのが怖くなって、電車に乗れなくなった。電車に乗ろうとすると、全身からジトーと脂汗が滲んできて、しばらくして血の気が失せて行くのが自分でもわかった。
店に行くことができないので、俺は店をやめた。店からはわずかばかりのお金と、包丁と砥石が宅急便で送られて来た。15年間続いた角刈りの髪型は、この日で幕を閉じた。
電車の中で脱糞した俺のことを世間の人たちはみんな知っているようだ。アパートから外に出たくなかったけど、俺の蓄えもすぐに底をついたので、俺は外に出て働かなければならなかった。でも、飲食業で働くことは無理だ。俺はつい最近まで料理人が天職だと思っていたが、俺の下腹がそれを許さなかった。
俺は土建業や交通誘導員のバイトを探すことにしたが、歩いて行ける範囲に必ずしもバイト先があるわけではない。それかと言って、電車に乗って通勤する勇気も湧いてこない。あの電車に居合わせた連中はもちろんのこと、あの場にいなかった人たちも、SNSで俺のことを知っている。こうなったら居直るしかないけど、さすがに簡単に居直ることができない。それにしても誰がSNSで俺の動画を上げたんだ? すぐに消して欲しいけど、その手立てを知らない。
俺は移動手段として中古の自転車を買った。家の周りの公衆トイレや利用できるスーパーマーケットやコンビニのトイレの所在を確かめていった。近くにトイレがないとおちおち安心して働いていられないからだ。
自転車を購入して、単発的なバイトをしてひと月も経たない頃、コンビニの前に置いていた自転車が盗まれてしまった。こうして俺はどこにも行けなくなり、働く気力も失って、アパートに引きこもるようになった。やっぱり俺は運のない男だ。
一文無しの俺は家賃が払えない。食料は、夜な夜なコンビニやファミレスのごみ箱を漁って手に入れているので、最初の頃こそ抵抗があったけれど、慣れてしまえば何も不自由さを感じない。金が必要な時は、自動販売機の下を漁って小銭を手に入れている。だが、そんな小銭では家賃を払うことはできない。それでも以前は、一晩交通誘導員のバイトをして手に入れた金で家賃を払っていたのだが、今ではその気力も湧いてこない。
この何年も、金もないし電車に乗るのも怖かったので病院には行っていないし、薬も飲んでいない。それにしては、昔のように腹が痛くなったり下痢をしたりすることはなくなった。もしかしたら、捨てられた弁当を食べているので、胃や腸に抵抗力がついて丈夫になったのではないかとも思える。だけど、気を許して電車に乗ったら、悪魔が戻って来て、また漏らしてしまうかもしれない。くわばらくわばらだ。
つづく