1 カスミアパート
1 カスミアパート
アパートに10年も引き籠っている40過ぎの俺の髪と髭は伸び放題になっていて、あちこちで髪同士や髭同士や髪と髭が絡まり合って汚く固まっている。ホームレスでも俺ほど汚い奴はそうはいないだろう。
四畳半一間の部屋のドアにはちゃちな鍵が付いているが、俺はここ何年も鍵を掛けた覚えがない。もはや鍵がどこにあるかさえも忘れてしまった。まかり間違って部屋に泥棒が入ってきたとしても、俺の部屋には盗る物が何一つない。狭い部屋の真ん中には汚い布団をここ何年も敷きっぱなしで、その周りにはカップラーメンや弁当のプラスチック容器やページの折れ曲がった週刊誌や新聞紙が無秩序に散乱している。誰が部屋のドアを開けたとしても、部屋の中に足を踏み入れるのに逡巡し、すぐにドアを閉めて、何も見なかったことにするに違いない。たまたま畳の上に転がっている小銭に目をとめたとしても、決してごみを踏んでまでそれらを拾いに入ろうとは思わないだろう。万が一、何度も俺の汚い足で踏まれ、カップラーメンのこぼれた汁の付着した小銭を拾いに来るような泥棒がいたとしたら、そいつは山奥の誰も参拝しない小さな神社の朽ちかけた賽銭箱を狙うこそ泥以下のクズ野郎だ。まあ、小銭が盗まれたって俺が気づくことはないだろうけど・・・。
こんなおんぼろアパートに泥棒に入ろうなんていう奴がいたら、そいつの気が知れない。ここよりもっとましなアパートや家は周りにはいくらでもあるからだ。このアパートが24時間玄関に鍵がかかっていないからといって、このアパートにだけは侵入するはずがない。蔦の絡まり雑草が好き放題に生い茂っているアパートを見れば、手の付けられない廃墟にしか見えないだろう。万が一、家の中に人の気配を感じたとしても、普通の人だったら、その人影は廃墟に不法に入居している浮浪者だと思うに違いない。そんなところに誰も近づきたくはないはずだ。俺が住んでいる「カスミアパート」の外観はそんなところだ。
ところが、「カスミアパート」の中に入れば、すぐに廃墟ではないことに気づくだろう。アパートの中も時間の経過は外観に比例しているが、廊下にはごみ一つ落ちていなくて、塵や埃も溜まっていない。 隅々まで徹底的に掃除されているのが、入ればすぐにわかるはずだ。きれい好きな大家のミドリさんが偏執狂とも思えるほど、毎日完璧に掃除しているからだ。掃除はミドリさんの唯一の趣味であり、掃除以外にこれといって他にやる事もないようだ。80歳を超えただろう彼女は体を動かしているから、年の割にすこぶる元気だ。
「カスミアパート」はカタカナで書くよりも「霞長屋」と漢字で表記した方が似合っているように思う。木造のアパートは一応二階建てで、四畳半一間の部屋が上下合せて10室ある。俺が入居した20年前は満室で活気があったが、今は大家のミドリさんと俺しか住んでいなくてひっそりとしている。
家賃は入居してから変わらず、月額たった1万円だ。このアパートは下町とはいえ一応東京の23区内にある。都心にこんな安いアパートがあるのかって訊かれることがあるが、それがあるんだよ。俺の勝手な推測だけど、ここは関東大震災直後に建てられた学生用のアパートじゃあないかと踏んでいるんだ。東京大空襲にも燃えずに残ったんだろう。このアパートの周りには現在でも戦後の名残を留めて無秩序に家屋が立ち並び、ここらの道は複雑に入れ組んでいて、どの道幅も一メートルもないので車が侵入することができない。知らない者が一度迷い込んだら脱出するのに難渋するような迷路になっている。路地には、周りの家から出された枯れかかった鉢植えがいくつも無造作に置いてある。ここには車社会になる前の下町の風景が残されているのだ。それかと言って、世代が代わったためもあり、地域住民同士に、昔ながらの深い交流が残っているわけではない。それはミドリさんも同じで、近所の人たちと親しく付き合っているわけではない。
建築基準法に合致していないので、カスミアパートを解体したとしても、このアパートの建っている土地に新しい家屋を建てることはできないらしい。こうした理由で、このアパートは潰れずに残っている。
よくもまあこのアパートが東日本大震災で倒れなかったものだと俺は感心する。そう言えば、東日本大震災の後にミドリさんが「関東大震災の教訓を生かした家づくりをしているから、丈夫にできているんです」と誰かに自慢していたのを小耳にはさんだことがあるが、どこから見てもそう丈夫そうには見えない。実際、あの地震の時は恐ろしいほど揺れた。東日本大震災の時に倒れなかったのは、ただ運が良かったに過ぎないのではなかろうか? それにしてもミドリさんはいったい誰にこの家の由来を聴いたのだろう? ミドリさんは関東大震災が起こった時には、いくらなんでもまだ生まれていなかったはずだ。
俺が20年前にこのアパートに入居して来たのは、前に住んでいた90歳を超えた人が亡くなって、たまたまその部屋が空いたことによるものだ。20年前でもこんな安い物件は他になかった。その頃住んでいたアパートの住人はまるで俺が三億円の宝くじに当ったかのように、目を輝かせて「あんたは運がいい」「あんたは強運の持ち主だ」「あんたにはこれからきっといいことがあるよ」「あんたは良い奥さんが見つかるよ」「子宝に恵まれるよ」「きっと自分の店が持てるよ」「あんたは金持ちになるよ」「あんたは長生きするよ」と、幸先の良い言葉を口々に言ってくれた。俺はそれまで誰からも「運がいい」と言われたことがなかったので、入居した時分は随分気分がよくて、いいところに引っ越してきたものだと嬉しかった。
それまで運なんて考えてみたこともなかったが、彼らの励ましに似た言葉を聞いていると、俺のそれまでの性もない生き方を、運の悪さだけのせいにできるのではないかとさえ思えてきた。これから運が開けてくるかもと期待し、実際しばらくの間は仕事も順調に進んだ。だが結局、俺に運は開けず、引きこもりになってしまった。俺に運があったとしたら、このアパートに入居するのに運のすべてを使い果たしてしまったようだ。
確かに、他の住人はこのアパートに入居して運が開けたのだろう。しばらくするとみんな結婚して、都心の2LDKのマンションや郊外の一戸建てに引っ越して行った。もちろん運は開けるだけでなく閉じたりもするだろうから、その後の彼らの人生がどうなったのかは俺にはわからない。
時代に取り残されたこの老朽化したアパートは、新陳代謝を忘れたかのように、いつしか新しい住人が入ってくることはなくなった。久方ぶりに入居してきた者は、見るからに打ちひしがれた落武者か敗残兵のようで、運が一つも開けていないことは、誰の目にも明らかだった。そうした人たちは、すぐに家賃を滞納して、夜逃げ同然にしてアパートから出て行った。アパートも安いだけが取り柄の時代は終わったようだし、そんな安い家賃さえ払えない人間も増えていったみたいだ。いや、このアパートは飯を食い家賃を払うために働くという、その最低限の意欲さえなくなっている連中が集まる場所になっていたのかもしれない。
俺の部屋は二階の北側の突き当りの部屋だ。部屋を出ると廊下を挟んでガスコンロがのった台所と蛇口が2つある流しがあり、その傍に便所がある。便所は洋式の水洗トイレではなく、昔ながらの和式の汲み取り式だ。トイレというよりも便所と呼ぶ方が適切なことがわかるだろう。
俺がこのアパートに入居してきた時は、今の部屋とは別の、一階の台所や便所から一番遠い南側の部屋だった。入居して2年経つと、二階の台所や便所から数えて3部屋目の部屋が空いたのでそこに移動した。それから3年後に、一階の台所や便所から2部屋目の部屋に移り、更に5年経ってやっと二階の現在の部屋に定着した。ミドリさんは、住人は俺の他に誰もいないのだから、もっと日当たりの良い南側の部屋に移ったらいいんじゃあないかと言ってくれるのだが、俺はこの部屋がベストなのだ。
俺は自分の部屋をここ何年も掃除したことはないが、便所だけは毎日徹底的に掃除している。ミドリさんは俺のそんなところを気にいってくれているらしい。掃除好きな彼女だって俺に気を遣っているのか、二階の便所を掃除することはない。そんな俺だけど、台所や流しは掃除しないので、そこはミドリさんが毎回黙ってやってくれている。時々俺に内緒で、ミドリさんは便所の扉を開けて汚れ具合を点検しているのを俺は知っているが、完璧に掃除されているのを見て、彼女は安心しているようでもあり悔しいようでもあった。
このアパートに風呂はないので、近くにある銭湯に行っていた。行っていた、と過去形になっているのは、俺はしばらく銭湯に行っていないからだ。銭湯が潰れたわけではない。銭湯に入る金がないだけだ。
俺が銭湯に行っていた頃は、ついでに銭湯の脱衣場に設置された洗濯機で衣類の洗濯をしていたが、今は金がないので、アパートの洗面所で体を拭いたり洗濯をするようになっていた。だが、このところ家賃を払っていないのでミドリさんを避けるようになり、できるだけ廊下で長居しなくなった。俺は、たまに夜な夜な近くの公園のトイレの洗面所で体を洗い、衣類を洗濯していた。だが、最近はそれすらもしなくなった。体を動かさないので汗を掻いていないと思うのだが、それでも体はたいそう臭いかもしれない。そう言えば、夏場は汗疹で苦しめられた。
ミドリさんは、このアパートの一階の玄関に入ってすぐの右側の四畳半の部屋に一人で住んでいる。空いているのだから他の部屋も使ったらいいと思うのだが、テレビの他にたいした家財道具もないようで、他の部屋を使っていない。
ミドリさんの親戚や知人だという人にこれまで会ったことがないし、彼女が買い物以外でアパートをあけるのを見たことがない。一晩だってこのアパートをあけたことはないようだ。とは言っても、俺は彼女を始終監視しているわけではないので、俺の気づかないところで外出して、親戚や友人と会っているのかもしれない。
俺はミドリさんと二人だけで話をしたことがないので、彼女の氏素性をまったくと言っていいほど知らない。そう言えば、なんて言う名字なんだろう? 俺がこのアパートに入居して来た頃、住人が「ミドリさん、ミドリさん」と親しく呼ぶから、俺も自然とミドリさんと呼ぶようになった。
つづく