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13 バキュームカー

13 バキュームカー


 ミドリさんと話をしていて、極度の緊張のせいかどうかわからないが、俺は急に便意を催して、便所に走った。ちょっと緩い便が出たが下痢ではなかった。俺はこんな時でも便所の掃除をした。習い性は怖い。

 便所から戻ってみると、ミドリさんが口元にどこか不敵な笑みを浮かべていた。

「あんたが便所に行っている間に、とんでもなく破廉恥でシュールなアイデアが浮かんだわ。私、天才じゃあないかしら。きっと天才よ。こんなに頭が冴えたのは、若い頃にブルックリンでアートしていた時以来よ。褒めてよね、早く褒めてよね」

(何だ、ブルックリンとかアートとか、わけのわからんことを口走りだして。癌が頭に転移して、頭狂ってんじゃないの? 島倉千代子の『からたち日記』を歌っているミドリさんからシュールとかブルックリンとかアートとかの横文字が出て来るなんて、どこかおかしい。でも、相手は病人なんだから、ここは口裏を合わせておこう)

「話を聞いてから褒めますから、いったいどんなアイデアなんですか?」

「渋谷のスクランブル交差点にいる奴らに大量の糞尿をぶちまけてやるのよ」。俺は予期しない言葉に唖然とした。

(若者の街、渋谷と糞尿が結びつかない。ミドリさんは、いったいどこからそんな突拍子もない発想が湧いてきたのだろう・・・。ぶっ飛んでいる。このアイデアを調子よく褒めていいのだろうか? 頭のピンがぶっ飛んだとしか思えない)

「凄い発想ですね」と、俺は腫れ物にでも触るようにミドリさんを褒めた。

「そうでしょう。我ながらイケてるって思ったのよ。あんたが便所に行っているわずかな時間に思いついたのよ。神の啓示かしら」

(俺が便所の行ったのが悪かったのか。便所の掃除なんかせずに早く戻ってくるべきだった。それにしても、神の啓示と糞尿が結びつかない)

「今の人間は、SDGsと言いながら、自分が出した糞尿を毛嫌いしたり見て見ぬふりをしていることに、前々から腹が立っていたのよ。神は人間だけでなく、生ある者すべてに排泄物を出すように命じたのよ。神の意志なのよ」

(神の意志? ミドリさんはクリスチャンなのか? 俺は無神論者だから神の意志なんてどうでもいいことなんだけど。それになんだ、その「エス・ディ・ジーズ」という奴は? 俺にはさっぱりわからない。でも、自己陶酔しているミドリさんに「エス・ディ・ジーズ」は何ですかって訊いて、水を差すわけにはいかない。多分、説明が長くなってしまうはずだ。それに説明を聞いたからと言って、頭の悪い俺には何もわからないだろうし)

「つかぬことを伺いますが、大量の糞尿はどのようにして渋谷まで運ぶんですか?」と俺は冷静を装って具体的なことをミドリさんに尋ねた。老化し病魔に侵されているミドリさんはきっとそんな具体的なことまでは考えていないはずだ。と思っていたら、ミドリさんは間髪入れずに「バキュームカーに決まっているじゃあない」とあっさりと答えた。そんな答えが返って来るとはゆめゆめ思っていなかった俺は、びっくりして卒倒しそうになった。

「バキュームカーを知らないの? うんちや小便を汲み取る車のことよ」

「バキュームカーは知っています。だけどそれ、どこにあるんですか?」

「少し田舎に行けば、そこらじゅうにあるわよ」

「田舎って言っても、ここは東京ですよ」

「東京でも奥多摩まで行けばいくらでもあるって。千葉や埼玉や、ちょっと足を延ばして栃木や茨城の北関東に行けば、辺り一面にバキュームカーが転がっているわよ。田舎ではコンビニの数よりバキュームカーの数の方が多いくらいなんだから」

(ミドリさんは、そんな光景を見たことがあるのだろうか? 疑わしい。かなり誇張が入っているようだ)

「その田舎にあるバキュームカーをいったいどうするんですか。借りてくるんですか」

「バカね。田舎者がいくらお人よしだからと言ったって、貸してくれるわけがないじゃない。貸したら明日からの汲み取りはいったいどうするのよ。黙って盗んでくるの。ああ、私ってバカね。持ち主に断って盗んでくる泥棒なんて聞いたことがないわよね。とにかく、盗んでくるの。

 バキュームカーを盗もうなんて考える人は、日本広しと言えどどこにもいないだろうから、相手は油断しているわよ。パチンコ屋の駐車場の裏手に行けば、窓を開けっぱなしで、鍵も付けっぱなしのバキュームカーが何台も並んでいるわよ。盗もうと思えば誰でも簡単に盗めるわよ」

(万が一、パチンコ屋の駐車場にそんな車が停まっていても、俺はバキュームカー泥棒で警察に捕まりたくはない。俺が話の途中で便所に立ったばかりに、こんな話になってしまった。俺とウンチはどこまでいってもそりが合わないようだ)

「都合よくバキュームカーを盗めたとして、その後、どうするんですか」

「決まってるじゃない、渋谷のスクランブル交差点に突入して、ホースで糞尿を辺り一面にぶちまけるのよ。排泄物をしっかりとみんなの元に返してあげるのよ。私たちの実力行使で、SDGsの本質に迫るのよ。

 我々の行動が世界の環境運動家に衝撃を与えて、うんこのまき散らし運動が世界中の活動家の間で流行するかもしれないわよ。モナリザにペンキを掛けている時代に終止符を打つのよ。人間に自分の排泄物を返してやるのよ」

(だからその「エス・ディ・ジーズ」って、何なのよ。話についていけないんですけど。そもそも俺は環境問題なんてどうでもいいんですけど。あのおとなしかったミドリさんは、癌によって完全に壊れてしまったのだろうか? 癌は脳まで転移して暴走しまくっているのだろうか? 発想がぶっ飛んでいる)

「それで、バキュームカーは誰が運転するんですか? ミドリさんですか?」

(俺は少し頭にきていたので、口調が投げやりになっていたかもしれない。許して、ミドリさん)

「私は運転できないわよ。運転は首謀者のあんたがするに決まってんじゃない」

「一応、俺が首謀者ってことでいいんですね」

「いいわよ。いいに決まってるじゃない。手柄は若い者の物よ。横取りなんかしないわ」

「それじゃあ、ミドリさんは何なんですか?」

「相棒よ。いや、パートナーね。こちらの方が現代的でいいんじゃない。すると、首謀者ではつり合いがとれないわね。ボスってどう?」

「ボスってがらじゃあないですけど」

「そのうち、柄になっていくわよ。それで何を話していたんだっけ。あんたが性もないことに拘るから忘れたじゃない」

「どうでもいいですけど、俺、運転免許証を持ってないですよ」。この言葉でミドリさんの計画に終止符が打たれると確信した。だが、それは甘かった。

「バキュームカー運転するのに、運転免許なんて必要ないわよ。バキュームカーが駐車違反したって、スピード違反したって、信号無視したって、あおり運転したって、警察は大目に見てくれるわよ。バキュームカーの運転手に「運転免許証を見せてください」、という警官がどこにいると思うの? いたら私のところに連れてきなさいよ。コンコンと説教してあげるから。バキュームカーは治外法権なの。そもそも、汲み取り業者を牢屋にいれたら、警察が糞尿処理を代わって請け負ってくれるって言うの? そんな警官がいたら私のところに連れてきなさいよ」

(警官を説教しちゃあいけないでしょう)

「そりゃあ、よっぽどのことがない限り、バキュームカーの運転手に運転免許証を見せろという警察はいないでしょうけど、とにかく俺は車の運転したことありませんから、バキュームカーを盗んでも、俺は運転できませんから」。俺はミドリさんにバシッと言ってきかせてやった、つもりだった。

「遊園地のゴーカートと同じよ。遊園地のゴーカートなら子供の頃に運転したことがあるでしょ」

「ありません」

「いったいどういう育ち方をしたのよ。親の教育が悪いわよ」

「貧乏だったもので、遊園地に行ったことがありません」

「なんでもかんでも貧乏のせいにするんじゃないわよ。でも、親のせいにした私も悪かったわね。今さら過去のことをほじくり返しても仕方なかったわね。あんたのせいじゃないしね。ごめんなさい」

(素直に謝られて、俺は恐縮してしまった)

「いえ、いえ、いいんです」と言うと、間髪入れずミドリさんから「よくないわよ」という言葉が帰ってきた。俺は俯いて黙るしかなかった。

「興奮してごめんなさい。あんたが運転できないって言うなら、仕方ないから運転手雇うことにしようか?」

「心当たりはあるんですか?」

「ないわよ。ずっとアパートにいるんだもの。あんたはどうなのよ?」

「俺だって、ずっとアパートにいて、知り合いなんていないですよ」

「それなら、インターネットで運転手を雇おうか? テレビのワイドショーを観ていたら、最近は殺人もインターネットで引き受けてくれるそうだから、運転手なんて簡単よ」

ミドリさんがポケットからスマホを取り出した。ミドリさんはスマホを使っていたんだ。

「ちょっと待ってください。どこの馬の骨かわからない奴を一味に加えるのは止めませんか。ここは信頼できるミドリさんと俺の二人で実行した方がいいと思うんですけど」

(「信頼」という言葉にミドリさんは予想外に敏感に反応したようだった。ミドリさんの表情が緩んだ。それにしても、糞尿をまき散らすのは殺人とは違うし、いったいなんて呼んだらいいんだろう。イベントか? 事件か? 何か判然としない)

「もうバキュームカー計画は止めにしませんか?」。俺はなんとかしてミドリさんにこの荒唐無稽な計画を諦めさせたかった。

「何言ってるのよ。みすみす私のこの優雅な計画を放棄しろと言うの。それはできない相談ね。絶対にできないわ。それにみんなにうんちを使って復讐するなんて、あんたにぴったりの方法じゃあない。出刃包丁を使うよりか、ずっと王道を行っているわよ」

俺はピクリと反応した。

「どうしてうんちが俺にぴったりなんですか」。俺は恐る恐る訊いてみた。

「あんた、電車でうんちを漏らしたでしょ。私もその場にいたのよ」

ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


    つづく

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