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黄金のスクランブル交差点  作者: 美祢林太郎
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10 体力強化

10 体力強化


 無差別大量殺人をするために、俺は体力をつけることにした。箒を振り回すだけの、以前のような中途半端で生易しいものではない。決行日までに残された一ヶ月半という期間は、体力強化するのに十分な時間ではないかもしれないが、それでも毎日頑張れば可能だと思った。

 俺はひ弱だとか持久力がないと言い訳をしている場合ではない。そんな言い訳をしていたら、無差別大量殺人なんかできっこない。体力がついてから犯行に及ぼうなんて甘っちょろいことを考えていたら、無差別大量殺人はいつ実行できるかわかったものじゃあない。結局、実行されずに簡易テントの中で一生ボーっと生きていくのがおちだ。俺の一生は自分の意志で始めたわけではないが、終わりだけは自分の意志で作り出そう。苦しんで来た下腹が俺にそう命じている。

 俺は犯行のためには脚力を鍛えることが一番大切だと思った。俺を取り押さえようとする警官や正義感に溢れた奴らから素早く逃げて、より多くのクソガキたちを殺さなければならない。転びそうになった体勢を元に戻せる脚力が必要だ。ただ足が速ければ良いってもんじゃあない。

 足が弱っているからといって、以前のように散歩から始めるような悠長なことをしている時間はない。俺はサンちゃんの靴を履いて、夜中の歩道を全力で走った。俺は10メートルも走っていないのに息が切れ足がガクガクになった。俺は両ひざに手をのせて、ハーハーと激しく息をした。昔の俺だったら、この一回で諦めていたが、今回は違う。クソガキに蹴られた腹が疼き出し、俺に走れと命じた。俺はまた走り出した。

 今度は7メートルで停まりそうだったが、俺は前よりも1メートルでも長い距離を走ろうと頑張った。立ち止まって呼吸を整えていると、「初日から飛ばしたら疲労を残して長続きはしないから、今日はこの辺で止めて置け」、というもう一人の俺の甘いささやきが聴こえて来た。俺はそのささやきを振り切って、次の電信柱まで走ることにした。もう一人の俺が「練習で死んだら、本番に行き着けないだろう」、ともっともなことを囁いた。俺は俺の言葉を聞かないようにした。俺はインターバルを取りながら2時間くらい走った。そして足を引きずるようにしてアパートに帰った。

 案の定、翌日は足がパンパンに張って歩くことさえおぼつかなかった。それでもなんとか便所に行ったが、しゃがむことができなかったので、壁を持って中腰でうんちをした。もう一人の俺が「言わんこっちゃない。せめて今日は一日休め」と言ったのを、俺は無視して、その日も翌日も深夜になって足を引きずりながら走った。

 本格的にトレーニングを始めて困ったことがあった。サンちゃんからもらった靴が大きくて、まともに走れないのだ。これでは運動の効率が悪い。これだけは早急に何とか対処しなければならない。そこで、俺は靴が落ちていないかとゴミ集積所を探して回ったが、子供の靴や女もののハイヒールは簡単に見つけることができたが、俺に合う運動靴を見つけることはできなかった。仕方がないので靴を買うことにして、まず現金を手に入れと考えた。近所の自動販売機を巡回して、自販機の下に落ちている金を探して回った。幸先よく五百円玉を拾って、その後百円玉と五十円玉を合せて全部で800円を拾うことができた。そこで俺はリサイクルショップに行き、色々履いてみて自分の足に合う中古の運動靴を650円で購入した。これで俺は充実したトレーニングを再開することができる。残った150円でコーラを買って飲んだ。

 包丁を振るい続けるためや、捕まえようとする警察の手を振りほどくために、腕力が必要だということにも気づいた。俺は布団の上で腕立て伏せを始めた。一回目、わずかに膝を曲げて、腕がプルプルと振るえて体を支えることができなくなって、ぱたんと潰れた。結局この日は一回もできなかったけれど、俺は諦めずに一日に何度も腕立て伏せにチャレンジした。汗が布団の上に滴り落ちて行った。

 腕を鍛えるために、夜になったら俺はアパートの外に出て、路地に置いてあった適当な重さの植木鉢を物色して、両手で持ち上げた。やっと持ち上げることのできる菊の植えられた植木鉢の大きさは随分小さかった。それでも今はこれがやっとだ。これですら持ち上げるためには、腕力だけでは腹筋も使うことがわかった。

 鉢を持って腕が上がらなくなった俺は、アパートに戻って、布団の上に仰向けに寝て、上体を起こす腹筋運動を始めた。首に力が入るが上体を完全に持ち上げることができなかった。それでもやめるわけにはいかない。俺は首筋に血管を浮かび上がらせながら腹筋もどきを10回した。

 子供の頃はもちろんのこと、勤めていた頃もひ弱だと思っていたが、食器や重い魚を出し入れして、その頃は人並みに力があったということがわかった。この一ヶ月半でなんとかしてその頃のレベルに戻さなければならない。引きこもりの10年を一ヶ月半で戻すことができるのだろうか? 疑問に思うな。俺は想像を絶する残忍な無差別大量殺人を実行しようとしているんだ。殺される人のためにも、俺は常軌を逸した努力をしなければならない。

 俺の全身はもはやガタガタだ。それでも、俺は腕立て伏せと腹筋、それにヒンズースクワットをそれぞれ50回した。いずれも中途半端なもどきだ。そして、俺は路地に出て植木鉢を50回リフトし、歩道の電信柱間のダッシュを50回繰り返した。体が痛かろうが、足が動かなかろうが、俺は意地でやり続けた。トレーニングを始めて10日が経った頃、不思議と全身の痛みがどこかへ消えて行った。あの蹴られた腹の痛みもだ。

 俺は犯行時に平静であるためには、精神を鍛えなければならないと思ったが、精神をどうして鍛えたらいいかわからなかったし、精神を鍛えるのは長い年月がかかると思ったので、今できることといったら心肺機能を強化することではないか考えた。今さら座禅をして瞑想したってどうなるものでもないだろう。肉体的な強靭さが精神的な余裕をよぶはずだ。俺は短距離走のインターバルトレーニングと同時に、1時間の長距離走を課すことにした。

 半月も経つと、体を鍛え終わった後は爽快な気分になっていた。体を鍛えることほど、努力した成果が如実に現れるものはない。おそらくこれは初心者だけの特権なのだろうけど。

 俺は深夜までトレーニングをして、昼頃に起きていたが、犯行を行うために朝型に切り替えることにした。だって、犯行時刻を正午に決めていたからだ。なぜだか俺は真昼の正午に殺人をしたいと思った。お天道様には真上から俺の行いを見届けて欲しいと思ったのだ。正午に渋谷のスクランブル交差点で計画を実行するためには、おそくともこのアパートを1時間前には出なくてはいけないし、朝うんこをしたり便所を掃除したり顔を洗ったりすることを考えたら、8時には目覚めていたい。当日は、何年振りかで布団を畳んで、部屋の部屋の掃除もしておこう。何と言っても、便所の掃除はこれまで以上に完璧にしておかなければならない。ミドリさんとも最後の挨拶をしなければならないだろう。色々とやることがあるけど、8時に起きれば大丈夫だろう。部屋の掃除をするんだったら、久しぶりに風呂にも入りたい。7時に起きて銭湯につかることにしよう。

 食事は、あいも変わらず夜になってコンビニのごみ箱で調達していた。俺はハードなトレーニングをしていたので、以前の倍の量の弁当を食べるようになったが、倍の弁当を集めるのにそんなに苦労はなかった。

 気力体力が漲り、下痢を起こす気配はなかった。さすがにゴミの中には温かい味噌汁やご飯はなかったけれど、それでも結構新鮮で良いものが揃っている。食べても大丈夫そうなまだ新鮮な魚介類もあったが、俺は生の刺身や魚介類だけは手を出さない。新鮮そうに見えても生ものだけは気をつけなければならない。それにしても、世の中、不景気だ不景気だと言っても、飽食の時代に変わりはない。

 ゴミは不潔だろうって? ごみ袋の中にゴキブリが混ざっていたって気にならない。あいつらは食堂にもたくさんいる生き物だ。だけど、カラスが食い散らかしたゴミ袋はもう駄目だ。すっかり汚いゴミになっている。みんなゴミを出す時はしっかりと口を閉じて、丁寧に網を被せておいて欲しい。カラスもやっかいだが、食料確保で俺の一番のライバルは野良猫だ。こいつらが手を付けたら、その後は食べる気が起こらない。健康に一番やばいのはネズミだ。どんな病気を運んでくるかわかったものではない。ネズミが住めないように住人はいつも町を清潔に掃除して欲しい。だけど、住人から見れば、俺だってゴキブリやカラスやネコやネズミと同じようなものかも知れないな。

 飲み物はアパートの水道の蛇口から出る水ですませている。水道もガスも電気も止められているわけではないので、水道の水をガスで沸かせば温かい物だって飲めるのだが、家賃を払っていないのでガスを使うのは気が引ける。

 俺の身体はこうした飲食に慣れてきたようで、不思議と腹を下すことはなかった。それにしても俺はどうしてサンちゃんのテントで腹を下したのだろう? 同じものを食べたサンちゃんは腹を壊さなかったのだから、腐った物が入っていたとは思えない。まさか俺の方がサンちゃんよりもお腹がデリケートにできているのだろうか? 俺は幸せな気分に浸ると自然と腸が弱ってくるのだろうか? 嫉妬深いもう一人の俺は俺が幸せになってくると俺にちょっかいを出してきて、苛めたくなるのだろうか? 自己免疫疾患というのはこういうことなんだろうか? それにしても、あまりに自虐的じゃないか。俺は自分の幸せを少しは願ってもいいんじゃあないか?

 サンちゃんからもらってこう言うのもなんだけど、今着ている俺の服はあまりにもみすぼらしい。当然のことだけど、いくら水で洗ってもぼろい服が新しくなったりはしない。洗濯する度に薄くなって、首のあたりからちぎれていっている。

 俺は惨めな衣服で捕まるのはごめんだ。俺の人生はあまりに惨めだったのだから、最後は人並みでありたい。これは決して贅沢じゃあないよな。別に生に未練があるわけじゃあないけどな・・・。

 殺人を実行する日までにお金を手に入れて、俺はリサイクルショップで服やズボンを買うことにしよう。リサイクルショップとは言え、服やズボンや靴下をそろえれば、それなりの金がかかるだろう。渋谷までの電車賃だけを手に入れればそれで事足りるという話ではなさそうだ。でもまあ、全部の物をそろえたとしたって、すべて中古品だから、一万円もあれば足りるだろう。一万円くらいだったら交通誘導員のバイトを一晩すれば手に入れることができる。次回はドジを踏まないように、とりあえず今は着実に体力をつけることに集中しよう。もう靴はあるんだから。

 リサイクルショップのことを考えていたら、頭の中でたまたま帽子に目がとまった。俺はいくつかの帽子を被ったが、Dのマークの入った青色の野球帽を一番気に入ったので、それを買うことにする。帽子を被るなんていつ以来だろう。おそらく中学校に通っていた時以来だ。似合っているだろうか? 俺が犯行を犯した時に、野球帽が俺の顔を隠すだろうか? 野球帽のひさしは少し丸めた方がかっこいいかもしれないな。そんなことを妄想するほど、俺はこのところ機嫌がいいのだ。

 包丁を丸裸で持ち歩くことはできない。新聞で巻いた包丁を入れる袋も必要だ。スーパーのレジ袋というのではいくら何でも芸がない。ショルダーバッグにしよう。意外と金がかかる。もしかすると軍資金は一万円では足りなくなるかもしれない。いざとなれば、もう一晩交通誘導員のバイトをすればいいだろう。二晩連続のバイトだって耐えられる体力になっているに違いない。

 金欲しさに急いでバイトをして金を手に入れてしまったら、コーラやポテトチップやアイスクリームを買って、手元に電車賃すらも残らないかもしれない。俺はコーラに目がないからな。ごみ箱の中に、コーラが落ちていればいいんだけど、落ちていたためしはない。栓が開けられて少しだけ残ったコーラの缶が落ちていることはままあるけど、そんな気の抜けたコーラなんかコーラじゃあない。それにコーラはやっぱり冷えていなくっちゃあコーラじゃあない。夏じゃあ生ぬるくて飲めたものじゃあないし、冬はいくら冷えていても、寒くて飲む気がおこらない。ここでコーラの話をしても仕方ないんだけど。

 俺は毎晩こんなとりとめもないことを考えながら、疲労困憊して、いつしか眠りについていた。


        つづく

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