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黄金のスクランブル交差点  作者: 美祢林太郎
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9 殺人計画

9 殺人計画


 アパートへの帰り道、ボーっとしていた俺はすれ違いの人間とこつんと肩が当たった。相手は「おっさん、どこを見て歩いてんだ」とすごんで、俺はいきなり顔を一発殴られ仰向けに転んだ。ちらっと見ると、首筋にドラゴンかトカゲの刺青をしたガキの顔があった。殴った男の傍にはきつね目の口が歪んだ底意地の悪そうなガキがいて、その傍にけばくて軽薄を絵に描いたような女が二人いた。俺を殴ったクソガキが倒れた俺の腹を尖った革靴の先で力いっぱい蹴った。いくらなんでもそれはやり過ぎだろう。

 俺は蹴られた刺激で、下痢の前兆がなかったのに、尻から水のようなうんちが流れ出た。すぐに辺り一面にくさい臭いが立ち込めた。俺たちの周囲で傍観者を決め込んでいた人たちは一斉に顔をしかめて後ずさった。けばい女その1が「このおっさん、おとなのくせして糞を垂れ流したよ。くさ」とわざとらしく大声を上げた。

 けばい女その2が「こいつ、SNSに載っていた、電車の中で漏らしたど変態じゃねえ」と語尾を上げ、周りの人間の顔を見た。それに促されたかのように、周囲の人間は各々スマホを取り出して、急いで俺を検索した。いち早くSNSで俺の顔を確認したけばい女その1がけばい女その2にスマホの画面を見せ、その2が「やっぱりそうだ」と勝ち誇ったような声を上げた。路上に倒れて薄目を開けている俺にも、周りから嘲笑が漏れているのがわかった。こいつらみんなクソガキたちと同罪だ。

 倒れていた俺の顔にキツネ目のガキが唾を吐いて、「このクソ男。くさえから、この世から消えてしまえ」と毒づいて、他の3人も同意した。それから4人で無意味にはしゃぎながらその場を後にしていった。俺は、口元に血を滲ませ、ズボンがうんちで汚れていた。俺は顔に付着した唾を手のひらで拭いた。蹴られた腹がやけに痛かった。

 俺は鉄パイプを持って立ち上がり走って行って、振り向いた4人のクソガキの頭をぼこぼこに殴って元のかたちがわからなくなるくらい破壊してやろうと思ったが、頭がふらついてすぐに立ち上がることができなかったし、そもそも俺の手に鉄パイプはなかったし、辺りを見回してもそれはどこにも見当たらなかった。クソガキたちは角を曲がったのか、見えなくなっていた。俺はパンツとズボンがうんちで汚れたまま立ち上がり、腹を押さえて歩き出した。俺の前の人間は鼻を摘まんで顔を歪ませ、不必要なほど大きく道を開けた。

 惨めというのはこういうことだと痛感した。歩きながら、俺はクソガキやけばい女やSNSで俺を見ていた観衆を全員まとめて殺すんだと誓った。

 俺はアパートの自室の中で、クソガキ無差別大量殺人計画を立てることにした。まだこのアパートを出るのにひと月半の猶予がある。これだけ時間があれば準備するのも十分だ。今度は不特定多数を相手にするのだから、相手が俺の目の前からいなくなったりすることはない。

 誰を殺すか? ガキなら誰でもいい。無差別大量殺人は動かない。そこらのどこにでもいるクソガキたちが相手だ。サンちゃんは全く面識のないガキたちに殺され、俺も見ず知らずのガキたちに襲われた。サンちゃんを殺して警察に捕まった奴らは中学生だから、マスコミに名前を公開されることがない。だけど、インターネットでは同じ学校の奴らが犯人の名前や顔や住所を面白半分で公開しているかもしれない。スマホを持っていない俺には確かめようもないことだが、知ったからと言って、あいつらは少年院に送られるだろうから、今さら俺がどうこうできるわけがない。俺もあいつらと同じように見ず知らずの人間を殺してやろう。ガキなら誰でもいいが、できるだけチャラい奴らの方が張り合いがあるっていうものだ。路上で粋がって大声を上げている奴らがいい。だけど、選んでいる余裕なんてない。誰でもいいんだ。

 動機は? 昔テレビで観た刑事ドラマでは、殺人犯はいつも動機が訊かれる。動機なんて偉そうなものは何もない。「サンちゃんの復讐か?」「自分が襲われた復讐か?」と訊かれれば、「そうだ」と答えるだけだ。「世間への恨みか」と訊かれれば、それも「そうだ」と答えよう。「アパートを追い出されて自暴自棄になったのか」と問われれば、これも「そうだ」。「憂さ晴らしか」、そうかもしれない。動機は他人に決めてもらって一向に構わない。多分、どれも不正解ではないが、どれも正解であるようには思えない。世界は「YES」と同じ数だけ「NO」で溢れている。そして、YESとNOの間に、無限のグレーゾーンが漂っているんだ。そのグレーゾーンにある者を勝手に誰かがYESとNOに仕分けしている。彼らにとってグレーゾーンは不気味なのだ。

 俺には動機を考えるほどの知恵はない。そんなことを考えるよりも、殺害方法を考えた方がよっぽど生産的だ。いつどこで殺人をするんだ。闇討ちだけは止めよう。サンちゃんを襲った奴らのように夜に襲うのは卑怯者のやることだ。白昼堂々と、公衆の面前で殺人を決行しよう。事をなしたならば、そこで俺は腹を切るか、首を切って自刃しよう。切腹なんて、まな板の上で大きなマグロの腹を掻っ捌いたことを考えれば、そんなに難しいことではない。思いっきり出刃包丁の先端を腹に突き刺せばいいだけだ。躊躇しなければ、包丁は一瞬にして腹の奥深くに入っていく。それを横に引くだけだ。俺の包丁はよく切れる。

 思いっきり腹に包丁の先端を突き刺したら内臓を傷つけてしまう。内臓を傷つけると、身体全体が臭くなる。特に腸を傷つけたらうんちの臭いが身体に充満してしまう。大量出血しても肉がまずくなる。だけど、血を出したり、内臓を切らなければ死ぬことはできない。この際だから、料理人のようなことは言ってはいられない。俺の心臓を一突きだ。

 万が一、自刃する前にその場で警官に取り押さえられたらどうしよう? こんなことを心配したってしょうがない。捕縛される惨めさも覚悟の上だ。俺の人生は、殺人によって幕を閉じるのだ。おふくろは殺すなとは言わなかった。

 殺人場所をどこにしよう。アパートの近く? それではあまりに生活の匂いがする。俺の周りを知っている奴の顔が取り囲むかもしれない。俺はそんな奴らと目と目があったら、一瞬でしらふに戻ってしまうかもしれない。殺人の場面でしらふに戻りたくはない。そんなこと最低じゃあないか・・・。

 若者が集まる秋葉原ではどうだろう? 誰かがすでにやったような記憶がある。一世一代の仕事に、二番煎じは恥ずかしい。満員電車の中? これも誰か先にやった奴がいただろう。それに俺にとって電車は鬼門だ。以前のように電車の中で下痢をしたらどうするんだ。絶望? 悲劇? いや、喜劇じゃあないか。たとえ今回運よく下痢をしなかったとしても、きっと以前俺が電車の中で下痢したことが、ワイドショーで取り上げられることだろう。クソまみれの話が蒸し返されるのはまっぴらごめんだ。

 若者がたくさん集まる場所、それはどこだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


「渋谷のスクランブル交差点」


 実行する日はアパートを出る最後の日、10月31日。ああ、そう言えば、その日はハロウィンだ。渋谷のスクランブル交差点には軽薄なクソガキがたくさん集まってくる。昔あの辺りで働いていたから、土地勘はある。うってつけだ。俺は渋谷のスクランブル交差点の中心で無差別殺人を実行するんだ。そう考えると、俺は興奮して、全身に鳥肌が立ってくるのがわかった。

 身元が分かるような物は身に付けておかないようにしよう。身元がわかる物と言ったって、俺は車の免許証を持っていなければ、健康保険証もない。もちろんクレジットカードもない。俺はないもの尽くしだ。いや、調理師免許があった。どこにいったのだろう。俺にとっては一番大切なものなのに、どこにいったかわからなくなった。俺は部屋の中を捜してみたが、どこにも見当たらなかった。

 少し冷静になってみると、大量殺人する時に調理師免許が必要なわけがないことに気づいた。こんな時に調理師免許を捜していたなんて、俺は少し頭がパニクッているのだろうか? 頭が壊れたら殺人なんてできない。いや、こうしたことを考えているのだから、まだ正常なはずだ。

 ないと言ったら、俺は渋谷に行くための電車賃を持ち合わせていない。サンちゃんのテントから拾ってきた1,372円は、すぐに自販機でコーラを買い、コンビニで弁当やプリンやアイスクリームやポテトチップを買って全部なくなってしまった。残った一円玉は部屋の中に捨てたので、どこかに転がっているかもしれないが、一円玉は電車賃の足しにはならない。金がなければ人殺しもできないということか。やっぱり電車賃のかからない近場ですますか? いやだ。俺の顔を知っている人たちの中で殺人をするのは絶対に嫌だ。

 このところ腹の調子もいいし、一世一代のことだから、何が何でもここは電車に乗って渋谷に出かけよう。晴れの舞台は渋谷のスクランブル交差点だ。それを外すわけにはいかない。

 軍資金を得るために、包丁を持ってコンビニに強盗に入って、カウンターから金を奪おうか? でも、そんなことをしたら防犯カメラに写って、すぐに捕まってしまう。それじゃあ、無差別殺人にまで行き着かない。つまらないことで俺は警察に捕まりたくない。猿顔とゴリラ体型の警官に尋問されるのだけはいやだ。

 小銭目当てに強盗をして捕まるほど情けないことはない。俺の目的は金目当てじゃあない。ここは何かバイトをして軍資金を貯めるしかない。たいした金は必要ないんだから、交通誘導員のバイトを一度か二度すれば足りるだろう。

 サンちゃんが散髪をしてくれたおかげで、見かけ上さっぱりした俺はすぐに交通誘導員のバイトにありつけた。俺はしばらく運動をしていなかったので、立ったままの交通誘導員の仕事がきつくて、赤旗と青旗を振っていると手足が痛くなって一時間も持たずに座り込んでしまい、その日のうちに首になった。当然一銭も給料はもらえなかったし、くれとも言えなかった。今のままのなさけない体では、到底無差別殺人にまで行き着くことができない。


   つづく

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