お願いと依頼
十九時を過ぎた路地は人通りも少ない。暗がりをひとり歩くラドルに音もなく近づく影がひとつ。
「サルサ。新しい仕事か?」
「やっぱりバレちゃいました? まだまだ修行不足ですね。ラドルさんに気付かれずに近づけるようになりたいもんです」
暗がりから出てきた男は顔を隠すように深めに被っていた帽子を上げた。
「だったらそんな目立つ服装やめたらどうだ」
一般的な目で見てルックスの良いニコやかな表情の男。ラドルよりも長身で細身のその男が寄ってくる。
サルサと呼ばれた男は布で巻かれた短刀をふたつ、腰のベルトにぶら下げているだけだ。派手な服装というわけではない。ラドルの言う目立つ服装というのは【隠密】というには向かないという意味だ。
「ラドルさんみたいにフード被ってる方が逆に目立つことが多いんですよ。溶け込まないと」
「それで、新しい仕事があるのか?」
「ありますとも。だから一緒に帰りましょ。話はそのあとで」
「聞いてやるから手土産に食い物を買ってきてくれ。事情により文無しで明日の朝飯もない」
「あれ? ラドルさん贅沢しないからしこたま貯め込んでたんじゃ」
「全部使った」
「全部? ですか……」
「その話もあとでしてやる」
ラドルはそこまで言って足を進めた。
「了解しました。では手土産持ってうかがいます」
商業都市アーキンドムの東の住宅地。その奥の小さな分譲住宅地にラドルは住んでいた。
ここは住居兼『なんでも屋』の事務所的な場所である。いちおう看板は出しているが、そうそう大きな依頼はないどころか依頼自体がない。多くは近所のおじさんおばさんのお使い的な仕事だった。だが、ラドルは贅沢な生活が望みではないので、日銭が稼げればそれでよかった。
ときおり入る大きな依頼と言えば……サルサが持ち込む比較的難易度の高い緊急依頼だ。
コンコンとノックされた扉の先に立つサルサ。彼は紙包みをふたつ持って立っていた。
「手土産を持って来ましたよ」
「おう」
見た目ではサルサは二十台半ばで、明らかにラドルよりも年上に見える。しかし、ふたりの関係は逆であった。
サルサを椅子に座らせキッチンで沸かしていたお湯でお茶をたて、テーブルにふたつ置いた。
「どうもです。では仕事の話に入る前にこれをどうぞ」
ふたつの包みのひとつをラドルに渡す。
「明日の朝食のパンです。それと、もうひとつ」
サルサは内ポケットから小さな紙包みを取り出した。
「軽いな」
ラドルは袋を開けて中を覗いた。そして眉をしかめる。
「なんだよこれは?」
袋から取り出したのは小さな水晶を使ったアクセサリー。
「どこかの国の土産か? 気持ちはうれしいがオレの趣味じゃないぞ」
サルサはニヒヒと笑っている。
「確かに土産物ではあるんだけど、あなたを喜ばせるための物ではありません。それはこの国デッケナーと平和協定を結んでいる隣国のレフティーンで今大流行しているんです」
「つまり土産ってことじゃないか」
ラドルは冷ややかな目でサルサを見ている。
「いや、土産物として売ってますけどこれは土産として買ってきたんじゃありません。実はね、それを持っていると運気が上がるというありがたい物で、ラドルさんに試してもらおうと思って」
「それってつまりオレに土産を持ってきたってことなんじゃないのか?」
微妙に食い違たふたりの会話はなかなかかみ合わない。
「ラドルさんがそれを土産だと思ってるから話が見えてこないんですよ。それが土産だということは忘れて下さい」
「わかったよ」
少し呆れ気味の声で答えたラドルは、アクセサリーをテーブルに置いた。
「で、このアクセサリーがなんだっていうんだ? まさか呪いの類だって言いたいのか?」
「いや、まったくその逆です。ホントにそれを持っていると運気が上がるんです」
「それがホントなら良いことじゃないか」
そういった運気を上昇させる魔道具は他にも存在する。基本的には加護のある自然物を加工した物や、強力な魔力を持った魔獣や聖獣の一部。そして過去の英雄や聖人の遺骸や遺品といった聖遺物まで様々だ。得られる恩恵は微々たるものだが、やはり魔道具による運気の差異は感じられるという。
「良いことですよ。でもね、気になって買ってみたんですけどオイラがここに来るまでには特になにもありませんでした」
「そりゃそうだろ。たかが運気を上げる魔道具ひとつを一日、二日身に付けたくらいで劇的に変わるもんかよ」
なんだそんなことか、といった口振りでその話しを締めようとするのだが、サルサはアクセサリーをラドルに差し出した。
「ホントにこれは物凄く運気が上がるはずなんです。街で効いた噂によると、クジに当るわ、金は拾うわ、高所から落ちても無傷だわ、通り魔に襲われても助かるわと、そんな話で溢れていました。そこから人気に火がついて、それはもうバンバカ売れまくりです」
「で?」
ラドルは頬杖を突いてこの話の結末の予想をしながら彼の話を聞いていた。
「この商品はまだ他国には全然浸透していません。なので、オイラが一足先に商売に乗り出そうと思いましてね」
「うんうん」
「職人による手作りのためにそれほど大量に量産はできないらしいので、他の者に先んじようと商品を買い占めたんです」
ラドルはなんとなく話が見えてきていた。
「大量に買い込んでレフティーンからデッケナーに帰ってきたわけですが、大量に持っていたのにも関わらず、さっぱり幸運が訪れないんです。それを自宅に置いてそいつをポケットに忍ばせてラドルさんに会いに来たんですけど、やっぱりなにもありませんでした」
「おまえはどんだけこいつの運気上昇に期待してるんだ」
ラドルはやれやれと呆れるばかりだった。
「あ、でもひとつだけ良いことがありました!」
「ほう、どんなことだ?」
「さっきラドルさんに頼まれて朝食のパンを買いに行ったときに、店主がひとつ落としちゃったんです。だから、その落ちたパンはタダでもらえました」
「げっ、まさかそのパンをこれに入れてねぇだろうな?!」
ラドルはパンの袋をのぞきこむ。
「ご心配なく。そのパンはもうオイラの腹の中です」
「食ったのかよ?!」
「食うでしょ!」
「食わねぇよ」
「今日の売れ残りの詰め合わせですけど、普通に美味かったですよ」
サルサは自分が持つ紙袋からパンを取り出してかぶりついた。
「話を戻しますね」
「やっぱり終わりじゃないのか」
「このアクセサリーをラドルさんにも試しに使ってもらおうと思いまして」
「オレは実験台ってことか。で、報酬は? ただでこんなことには付き合わないぜ」
「お金取るんですかぁ? オイラとラドルさんの仲じゃないですか」
渋そうな顔をするサルサにラドルは言った。
「そう、オレとおまえの仲だからだ。この十年間オレたちはそういう仲だったと思うけど」
「そうでしたね。オイラが駆け出しの情報屋だったときから融通が利かず、だけど軽んじたりしないで対等に相手にしてくれてましたもんね。見捨てずにいてくれていたからこそ、今のオイラがいるんですから。感謝してます」
ふたりは十年来の付き合いだ。知り合った切っかけは、孤児だったサルサがラドルの事務所にコソ泥に入って捕まったことだった。
「成長したでしょ? お陰様でオイラは立派な情報屋として、あなたの役に立てるように成りました。逆にラドルさんは変わりませんね。いったい今いくつなんですか?」
十年経っても変わらないラドルに今さら驚かないまでも、年齢は気になっていた。
「オレの歳なんてどうでもいいだろ」
「どうでもいいことなら教えてくれてもいいじゃないですか。いつもそうやってはぐらかす」
「オレも正確な年齢はわからねぇんだよ。十歳くらいから修練に明け暮れて、おまえに会うまで百年近くだ。だいたいそんなもんだ」
「そんなに長生きしてるんですか? 御見それしました。さすがは魔族ですね」
「魔族と人族の混血だ。そんなことより早く要件を済ませてくれ」
自分のことをあまり話したくないラドルはサルサに催促する。
「要件はつまりこの幸運を呼ぶ魔道具が本物かどうか身に付けて体験して欲しいのです。もし偽物だったら返品して文句付けて損害賠償を請求してやります!」
「わかった。なら報酬は一日で二百エドルン。返品する事態になったら完了報酬が五千エドルンで損害賠償が通ったらその五パーセントだ」
「わかりました。それでいいです」
「交渉成立だ。書類はおまえが用意しろよ。今夜から明日までの分はサービスしてやる」
「そんなサービスしてくれるなんて珍しい。もしかしてこれは魔道具の力?」
「アホ、今おまえはそいつを身に付けてねぇだろ」
ラドルのモットーは『関係は対等、扱いは平等、仕事は公正』だった。それが今夜から明日の朝までをサービスすると言ったことにサルサは驚いていた。
「今日はある奴に晩飯をたらふく奢ってもらったんだ。だからその分を返さないと気持ち悪い。おまえに返してやるからサルサがまた誰かに返せ。そうすれば回り回ってそのうちあいつに返るだろうから」
「そういうもんですかねぇ?」
「そういうもんだ。でもホントは今日の昼間にあいつの命を助けてるからな。だから返す必要はないんだけど、そうなると恩の押し売りになっちまう」
サルサは口を開けてラドルをみている。
「なんだよ」
「いえ、ラドルさんて一見ガサツで身勝手な青年に見えますけど、義理堅くて几帳面で面倒見が良くて優しいですよね」
「誉め言葉はありがたく受け取っておく。だからと言ってこれ以上はまけてやらねぇぞ」
「値切ってませんよ」
「さぁ、話は以上だな。オレは寝るからおまえはもう帰れ」
「え? なに言ってるんですか! 仕事の話をしに来たんですよ」
「はぁ? 今したじゃねぇか」
サルサはおでこに手を当てて空をあおいだ。
「今のはオイラからのお願いです。これから話すことが仕事の依頼ですよ。最初に言ったじゃないですか、仕事の話の前にこれをどうぞって」
『これ』とはつまり朝食のパンとアクセサリーのことだ。
「では仕事の話に入ります」