強さの片鱗
壁に叩きつけられて床に落ちたシメオンがゆらっと立ちあがった。鼻血を拭い首をコキコキと鳴らした彼は笑って言う。
「痛かったよ。フォウに匹敵する力に驚いた。彼女の血の味の美味しさを感じなかったら意識が飛んでいたかも」
「そうか。なら次は意識だけじゃなくて、その命も消し飛ばしてやるよ」
ラドルにしては珍しく命を奪うという言葉を突きつけたことに、サルサは違和感を覚える。ラドルは軽々しくそういう言葉は使わない。使わないのは相手を殺そうという意思がないからだ。逆を言えばそのつもりがあるほどの感情を抱いた。抱くほどの相手ということなのだ。
フォウの血を吸う行為に激昂したラドルは全力ではないにしろ手加減するでもなくシメオンを殴った。だが、それでもシメオンは立ちあがってきたことが、「逃げろ」と言ったフォウの言葉の意味を明確にしている。
フォウが『ラドルより強い』と自称するとおり彼女は高次元の強さを持っている。厳密にどちらが上かは断定できないが、彼女がラドルに勝ったことがあるのは真実だった。その彼女がこれほどやられたうえに、シメオンがピンピンしているというのだからシメオンが強いことは間違いない。
ラドルはフォウを抱えてサルサのところに連れていき、彼女を託した。
「下がってろ」
その言葉を受けたサルサは、混乱している皆に下がるように告げる。
「舞台の外へ」
舞台の下には女神の特級勇者もいる。ラドルと戦って負傷しているとはいえども、ドゥナ以外に彼らと戦う力はもうない。だが、彼らもまたドゥナたちと戦う理由を失っていた。
扉は女神によって閉ざされた。部屋の感じから物理的にだけではなく呪力的にもだろうと皆は感じている。事実、半端な力では脱出は不可能であった。
誰も動かない今、風のないこの密室でかがり火が激しくゆらめくのは、なにかしらの目には見えない力が働いているからだ。見えないその力の源は対峙するふたりの魔族。
女神が舞台の端に移動したタイミングでふたりは動いた。
小さく息を吐く音が重なり幾度か拳が交錯する。その中で打撃音は三つあったが、どちらがどう被弾したかまで見えたのはドゥナとサトルとフォウだけだ。
すれ違いの攻防から一定距離でふたりが向かい合うと一番近くのかがり火がひっくり返った。
「やるね。その力は怒りの爆発力か?」
先ほど拭った鼻から再び出血するシメオンだったがラドルは腹部を片手で押さえていた。
「おまえは魔王の四天王なんだろ? なぜ女神の肩を持っている」
この問いは、この場にいる全員が思っていたこと。その後の展開によって失念していた疑問をラドルが口にすると、シメオンは女神の方を向いて「どうする?」と言った視線を送った。
その瞬間ラドルの左のローキックがシメオンの太ももを襲い、続けて勢いに乗ったラッシュがシメオンを強襲する。
ラドルの強さを目の当たりにした者たちは、このまま一気に決着するだろうと予想したが、彼を良く知るサルサと強者の部類に入るドゥナとサトル、そしてシメオンと戦ったフォウは違った。
身を丸めるシメオンのガードのあいだをぬって、ラドルの攻撃が腹に突き刺さる。しかし、優勢に戦いを進めていたラドルはそのラッシュを止めて大きく距離を取った。
「君、酷いな。質問しておいてそんな不意打ちするなんて」
ガードを固める両腕の隙間からそう言ったシメオンの声には焦りや恐怖を感じない。
手加減などしているように見えないラドルの猛打。それを数発受けても倒れないことが信じられないドゥナとサトルたち。予想していた通りだと思うフォウ。だが、サルサだけは『ラドルさんがあんなことするなんて』と、他の者とはまったく違う感想を抱いていた。それは、ラドルがシメオンの不意を突くという行動に対してだ。
相手の不意を突く。それは戦いにおいて卑怯とは言い切れない。互いの力の比べ合いだったり、名誉ある戦いだったりと、その戦いの意図によっては非難されることはある。しかし、この戦いにおいては生存を懸けた命のやり取りであるのだから、隙を見せたシメオンのミスだ。
だとしても、ラドルがそういった行動を好ましく思わない者だとサルサは知っている。そのラドルが自分の質問によって見せた相手の隙を突いた。その意味を考えてサルサは震えたのだ。
シメオンはゆっくりと背中の黒々とした翼を広げて十センチほどふわりと浮き上がる。その翼をひと羽ばたきさせ、シメオンの体はグンと押し出されてラドルへ肉薄。その速度を乗せて振り抜いた右足がラドルの頭部を襲い、両腕でがっちりとガードした彼を一メートルほどふらつかせた。
「ふむ」
シメオンはもう一度翼を振って後ろに下がり、さきほどのラドルの質問の答えを口にした。
「俺はイザベラさんにスカウトされたんだ。魔王シグナの動向を探るために」
「女神が魔族をスカウトして魔王軍に潜入させたってのか?」
「その通りだよ召喚型異世界人君」
シメオンはセイジに向かって答えた。その回答が妙に引っかかり眉根を寄せるセイジを見てシメオンは続けてこう言った。
「俺も異世界人なんだ」
その発言を受けてラドルは拳を強く握り込んだ。




