ヒエラルキー
両の拳で地面を叩き飛びかかったデンジラは、ラドルの頭部ほどの拳で殴りつけた。
「ぐぅっ」
両腕を盾に受け止めたラドルに反対側からもう一発殴ったことで、デンジラの猛攻が始まる。
体格差があるためガードのあとに反撃にいけないラドルを滅多打ちにするデンジラの表情は、快楽に溺れる緩んだ表情だ。なおも殴り続けるラドルの後ろには血しぶきが舞い、両腕も鬱血して変色し始めている。
そこから数秒後にデンジラの表情が険しくなったのは、殴り続けるデンジラのほうが後退しているからだ。
攻撃を受けるラドルは前へ前へと出ることで、打撃のポイントをずらしダメージを軽減させていた。
「ギギッ」
焦ったデンジラの大振りの攻撃を、ラドルは斜めに踏み込みかわしつつ、腹部へ拳を捩じ込んだ。
体を覆う魔力が弾けて腹部が波打ち衝撃が伝わると、体をくの字に折ったデンジラは大きく後ろに跳び下がった。
「トウヤって小僧を倒したとき並みの力だったんだが一発じゃ無理か」
腹を押さえて膝が崩れかけたように見えたデンジラは、そのままの姿勢で地面を蹴りラドルに頭突きした。その頭突きに対してラドルは腰を落とて踏ん張り、頭で受け止め跳ね返す。
「そんなもんか後輩。おまえのストレスを全部受け止めてやるから全力で来い」
「ヒィィィィィィフッフッヒィィィィ」
威嚇か挑発か、それとも歓喜なのか。デンジラは歯をむき出して飛び跳ねる。
ラドルは一歩も引くことなく、デンジラの巨体に対して芯に残る攻撃を一撃ずつ返していく。だが、それ以上にラドルのダメージは大きい。
「なかなかタフな奴だぜ」
自分の手数に倍する攻撃をその身に受けていながら真っ向から立ち向かうラドルが言う言葉ではない。だがラドルはこういった戦い方をあえてしていた。
夜王デンジラ。真っ黒な体毛によって闇夜に溶けこむその姿から晦の夜王とも呼ばれる。
『晦』とは月の光がまったく見えない頃のことを指す言葉だ。
光を吸収し反射の少ない体毛がデンジラを闇と同化させてしまう。魔法の類は使えないが、その身体能力はこのサイズの魔獣としては圧倒的だった。
幸いだったのは戦いの場が平地だったこと。森林地帯というさらに深い闇とデンジラの運動能力を発揮できる環境ならば、この戦いはさらに悪戦だっただろう。
地形的優位性のないデンジラだが、準魔王級以上の力は伊達ではない。事実、夜王デンジラが押しており、胸を貸すような言葉で語るラドルのほうが劣勢だ。しかし、この戦いで精神的に優位なのはラドルである。
「だんだん慣れてきたぜ」
こういった言葉に乗っかるように正面から堂々と打ち合うラドルはいつしかデンジラのように闇に同化していた。それは見間違いではないのだが、確認する者はこの場にはデンジラしかいない。ただ、その現象によって準魔王級の強さであろうデンジラと渡り合っているのは間違いない。
ラドルは退くことを頑なに拒み、後ろで踏ん張っていた右足で深く踏み込むと、縮めた体の肩を巨大な拳がかすめる。
デンジラの深いふところに入り込んだラドルは、大地を踏み割らんほどの震脚と共にクロスさせていた両腕を広げて、カウンターで右肘を打ち込む。下がった顎に対してほぼ真上に正拳を突き上げ、デンジラのこめかみを渾身の後ろ飛び回し蹴りで横薙ぎに蹴り払った。
「あまり時間はかけられねぇ。手早く終わらせる」
ラドルの状態と現在までの戦況ではそんなセリフを吐く余裕はない。サルサを前に口には出さないが、リンカという異世界の少女の危機が迫っていることに彼は焦りを感じているため、戦いとは別にかなり追いつめられているのだった。
リスク度外視で真っ向勝負を強いている理由のひとつがそれである。
「ふっふー!」
鼻息荒く眉を立てながら興奮するデンジラとラドルが互いに走って詰め寄った。
バカデカいハンマーのように振り下ろされる両腕を横にかわし脇腹へ回し蹴り。続けて左正拳からの下段蹴り。ラドルは巨大な野生の猿と肉弾格闘戦を続けていた。
力と速さは並ではないデンジラに対して格闘という技術を使った戦い方で肉弾戦を挑むラドル。その戦いの中でデンジラの野生の感覚と高くはない知能が察する。自分に恐怖を感じさせる者がいることと、森林というテリトリーの外では不利なのだということを。
嵐禅の夜王レイドリヤ。 それが先代夜王の名だ。
妖精族の彼は強大な魔力と多数の魔法を操る夜王であったが、あるとき深淵の魔力に触れて闇に落ちたことで魔王として世界に君臨すると公言した。
魔導探求の目的で辺境の地に作った迷宮を出ようとしたのをラドルに止められた結果、激戦の末にラドルに倒されたのが十年前。
そのとき、嵐禅の夜王を倒すために押し寄せた三国同盟討伐団がラドルを見て夜王と勘違いしてしまい、それ以来ラドルは夜王として数えられることとなる。ただ、そのときのラドルと普段のラドルは容姿が随分違うため、街に住んでいても気付かれることはない。
「デンジラ。おまえが夜王と呼ばれるのはまだ早い。レイドリアが健在だったらおまえは本能に従って森の隅で震えていただろうよ」
その言葉が伝わったのかわからないが、デンジラは「シャーッ!」と威嚇して地面を削り取るように腕を振るってラドルを張り飛ばした。
しかし、魔力の光と音が弾けたその場には、全身を使って受け止めたラドルがほとんど動かずに踏ん張っていた。そのことに驚いたデンジラは反対の腕を同じように振り回す。
大岩をも砕かん張り手を再び受け止めたラドルは、混乱して身を固めたデンジラに向かって、これでもかと言わんばかりに大きく拳を振りかぶった。
「歯っ、喰いしばれ!」
その一撃にデンジラを覆う魔力の守りは消失。肉体を強化する闘気を撃ち抜いて、ラドルの拳がデンジラの頬を殴りつけた。
平原の草を根から削り転がっていく黒い巨体。そのデンジラに対してさらに追撃する。
「滅撃……、デッドバーン・ファイヤーバード」
ラドルの魔法闘技が形象した炎の鳥が、彼の背から燃え上がり飛び立った。その炎がレフティーンに向かって走る馬車を照らしたことで、その戦いが決着し、勝者がどちらなのかをサルサは悟る。
月の光が隠れた闇に立つ森の支配者、晦の夜王に向かって飛翔したのは、死すら生ぬるいと魂をも焼き尽くす業火の鳥だ。その威力は仕置きを超えた結果を招くことは間違いない。
地面に突き刺さった業火の鳥は垂直に炎を立ち上げてデンジラを包む。
「嵐禅の夜王の魔法はもっと凄まじかったぜ」
そう言って右手を振ると業火は瞬く間に消え去り、そこには溶けた地面に囲まれたデンジラが座っていた。
魔力に浸った燃えにくい黒い体毛もいくらか焦げてはいたが、直撃しなかったためにデンジラにたいしたダメージはない。
「おまえは森の王だろ? その領域でどう生きようがオレは干渉しない。まだ人族の領域に手を出してないからこれ以上の仕置きはしないでおいてやる。だが……」
そのあとは言葉に出さず空気が凍るような視線で警告した。
ラドルが退くことを頑なに拒み、真っ向から殴り合ったもうひとつの理由は、デンジラに完全敗北を感じさせ、撤退させるためだった。
その狙いどおり、肉弾戦でも勝てないうえ、強大な魔法闘技を見せつけられたデンジラは、ゆっくりと後退りすると向きを変えて森に逃げ帰っていく。
「これでしばらくは森から出ようとは思わねぇかな」
デンジラは調子に乗って攻めまくり、一歩も退かないラドルの態度と己の体を刻む痛みに怯み、そこから感じる恐怖によって冷静さを失っていた。だからラドルがどれほどのダメージを負っているのか気が付かなかったのだ。
「あの小僧がデンジラに挑むようなことがなくて良かったぜ」
彼は自分がぶちのめしたトウヤを案じる言葉を発したあと、仰向けに倒れてしまう。
「こりゃぁちょっと休息が必要だ……。サルサ頼むぞ」
ラドルはそのダメージによって意識を失った。




