夜王
日は沈み、雲間からわずかに星の光がのぞく夜。今は闇の眷属が動き出す時間。
多くの行商や旅行者が行きかうことで自然とできた道も、闇夜ともなれば大自然の中に溶け込んで偽りの安心感さえも消し去る。
馬車に灯る光は『道』という根拠のない安心感を照らす反面、闇にうごめく者たちにその存在を知らせてしまうが、その光なしに闇夜を走ることができないこともまた事実。
その闇夜の中をレフティーンへ向けて馬車を走らせるサルサは後悔していた。
「だ、だから嫌だったんです!」
人族の生活圏内を出た者は外界の摂理に取り込まれることは已むなし。結果、多くの脅威が馬車を囲み、追従し、剥きだした牙と爪によって、その者の餌食になるのが世の常なのだが……。今サルサが走らせる馬車を襲うのはたったの一頭だけだった。
「サルサ、もっと早く走らせろ!」
その獣を走って追いかけながら叫ぶ声は強い言霊を秘め、サルサの心を揺さぶる。
サルサはその言霊に従って必死になって馬に鞭を入れている。いや、言霊などなくても命を燃やす思いで鞭を入れているのだろう。
なぜなら、今まさにその命がついえようとしているのだから。
「ラドルさん、なんとかしてください! オイラは獣類との戦いは専門外なんですから」
馬車を追いかけるのは体長二・五メートルほどの魔獣。闇に溶けこむような黒い毛を生やしたジェノスサゴルという巨大な猿だ。
獰猛で気まぐれな性格をしており、こいつは強すぎるが故に群から外れた個体。いつしか夜王と称される者の中の一頭に上げられ、デンジラという名で呼ばれている。
俊敏性と跳躍力に優れており器用に手足を使って木々を渡り進むのだが、今はだだっ広い平原をひた走って馬車を追っていた。その夜王デンジラをラドルは追いかけている。
「おまえが近くにいたら攻撃ができねぇ」
デンジラは空へ向かって跳び上がり、上空から馬車を目掛けて襲いかかった。
「いい加減にしやがれ!」
空中で回避ができないデンジラの顔面をラドルは横から蹴り抜いた。
デンジラは地面に叩き付けられゴロゴロと転がると少し深めの草むらに突っ込んで止まり、その隙にサルサは速度を落とさず目的地の王都レフティーンに向けて走り去った。
「やっと止まったか猿。急ぎの要件があるときにおまえに遭遇するとはついてないな」
半狂乱の表情でサルサの乗る馬車を追っていたデンジラだったが、今度は一変してラドルに狙いを定めた。
ほぼ光のない暗闇で対峙するラドルとデンジラ。狩りの邪魔をされたデンジラは自分に蹴りを入れた者に対して静かに力を高めていた。
「夜王デンジラ。そう呼ばれるようになったのは五年くらい前からだったな。この辺りに夜王と呼ばれる者はひとりだけだったんだが、そいつはずっと出てこないことで入れ替わるようにおまえが夜王となった」
デンジラは両手を地面に付いてより低く構えを取る。
「夜王と呼ばれた者はひとりを除いて人族の環境にほとんど出てこない。だがおまえは少しずつその範囲を広げている。そろそろ領域オーバーだぜ」
ラドルも身を屈めて引いた拳に力を溜めた。
「この世界の者でおまえに手を出す奴なんていない。だが、この世界にはこの世界の者じゃない大バカ野郎がいるからな。人族に強い敵意を持ったのはそいつらのせいなんだろ?」
異常な力とスキルに過信し調子に乗った異世界人の中には、さらなる強者を相手にドヤるため、夜王に挑戦する者もいた。
多くの、いやほぼ全ての挑戦者は夜王によって撃退され、命からがら逃げ帰ることになる。そんな大バカ者の中で、不運な者や最後まで抗う勇敢と無謀の区別がつかぬ愚か者は命を落とす羽目になった。
基本的に魔獣は、魔族・獣人・妖精といった人族が亜人と呼ぶ者は襲わない。野獣も生きるための必要最低限しか殺されない。
さきほどラドルに目もくれず人族であるサルサを追ったのはそういった理由なのだが、今はラドルだけしかいない。そのラドルは人族と魔族の混血である。さらに彼が敵意を持って目の前にいることで、ようやくデンジラはラドルを意識に入れた。
サルサの数百メートル後方でふたりが力を圧縮させる。その力を爆発させる瞬間が迫っていることを彼は感じ、心底恐れながらもその戦いが見れないことを悔やんでいた。
「最低でも準魔王級の力を持つと言われる夜王が相手か」
後ろを振り向いて背筋をゾクリとさせたあと、サルサはこう言葉を続けた。
「夜王同士の戦いなんて普通なら一生に一度だって見れるもんじゃないよなぁ」
数秒後、力の衝突によって起こった波動がサルサに届き、戦いの火蓋が切られたことを知らせる。




