世界を揺るがす力を得た少年
正午を過ぎて少し日が傾き始めた街道を一台の馬車がゆっくり走っている。
この街道は漁業と貿易が盛んな港町と商業都市を結んでおり、この国デッケナー王国の流通の要のため道幅は広く、きれいに舗装されている。
御者は露出の多い鎧を着た体格の良い少女。手綱を握る手は少女とは思えない厚みのある皮膚をしており、見た目の格好通りの闘士だとすれば、そうおうの修練を刻んだ証だろう。
その後ろの荷台に冒険者と思われる三人の男女の姿があり、ふたりの少女とひとりの少年は御者の少女を交えて小話をして笑っていた。
少年は無気力のように見える緩んだ表情をしており、白い肌と細い骨格筋はおよそ冒険者のそれとは言えない。漂う雰囲気は世の中を知らない若輩者と受け取れる。
比較的治安の良い国の街道とは言え、深い森の中に敷かれてこの道は安全とは言えない。まだ幼げな少年少女の四人だけで通るにはいささか危険だ。それをする彼らは世間知らずか身の程知らずか。
暖かな日差しの恵みを大地に分け与える太陽が、少しだけ傾き始めた時間。少年は進む道の先に不穏な気配を感じて笑った。
「まぁた僕の出番かな?」
愉悦による笑みを見た少女たちもまた、それに釣られるように口元をほころばす。
「ねぇ、かっ飛ばしてよ。面白いことが待ってそうだ」
「面白いこと? それもいいけど今日は早く帰って四人でゆっくり過ごす時間を作ってくれる約束だったじゃない」
そう言いつつも彼の言葉に従って手綱を握るその腕が振られる。それに応えて荷馬車を引く馬が速歩から駈足へと移行した。
「だからさっさと終わらせるために急ぐんだよ」
古めかしい荷馬車はギシギシと車体を軋ませて速度を上げる。
「でも、あんたの出番があるかな?」
「うーん、どうかなぁ? 君たちが手に負えないほどなら僕も少しは楽しめると思うんだけど。この辺りには獣人王ほどの奴はいないと思うから」
「いかなる悪もあなたの前では無に等しい。ですが見過ごせば歪みを生むかもしれません」
「僕の道を塞ぐなら蹴散らすさ。だって僕は最強の魔道士だもん」
彼が自分なりに格好よく決めたとき、速度の乗った馬車の車輪軸が折れて豪快に横転した。
「あ痛たたたた……。盗賊たちから拝借した馬車だったけど、ボロボロすぎだな」
「新しいの買ってよ。あたしらくらいのパーティーに似つかわしい豪華なやつをさ」
興奮する馬をなだめながら、御者の少女がおねだりする。
「馬車は明日買うにしても、町まで歩いて帰らないといけませんよ」
「しかたないね。でもこの先で起きている騒動で誰かが乗せてくれるかもしれないよ。とりあえず行ってみよう」
そういって歩きだす彼に、三人の少女は付いていく。
冒険者の風格のかけらもない彼の名はトウヤ。ひと月程前にこの世界にやってきたばかりの異世界人だ。
そんな彼らがいる街道の一キロメートルほど先で事件が起こった。
十日ほど前から冒険者として活動を始めたラドルは、港町で荷を積んだ荷馬車の護衛依頼を受け、四台の大型馬車の中にの一台に乗り込んでいた。
雇われた護衛は十六人で、これは一般的な荷馬車護衛依頼の三~四倍の人数。これは最近の治安の悪さを表しており、現在その荷馬車は獣人たちに囲まれていた。
この森の向こうの山に集落を構える獣人族のワンゲルウルフは平均で身の丈二メートル。強靭な肉体の大半を体毛が覆い、大きめの手足と発達した犬歯以外は人族と大きく変わらない。素足ではあるが着衣を着る文化と人語を話す点は人族と共通する知性ある種族。
そいつらだけでも十分脅威だが、問題は彼らが従える野獣ツーエイクルガおよそ十頭だ。
「いくらヤルキーさんでもこの数じゃ」
「たしかにな。三匹くらいなら相討ちでどうにかなりそうだが、十頭はさすがにお手上げだ」
この護衛たちを取り仕切るのは、冒険者ギルドの運営にたずさわるAランクのヤルキー=アルネル。ギルドでも一目置かれる実力者の彼にも手に負えないと判断し、すぐに信号弾を打ち上げて近くの関所へ応援を要請した。
筒の下部にある紐を引っ張ると、ポンッという音を発して打ち上がった信号弾は、組まれた術式に従い赤い閃光を発して空を漂う。
「関所の援軍が来るまで約十分。こいつら相手に持ちこたえられるかな……」
ヤルキーの懸念は、これほどの野獣がワンゲルウルフたちと徒党を組んでいること。考え難いこの状況を成立させる最悪の事態として、ツーエイクルガを使役できるほどの強さを持つ特別な獣人がいる可能性だ。
「おい、行商を連れて逃げろ。死人がひとり、ふたりですむ状況じゃないぞ」
ヤルキーの後ろからくぐもった声で忠告したラドルに、彼は振り返らずに言い返した。
「依頼を受ける条件を覚えてないのか?」
ラドルに言われるまでもなく、逃げることが最善だとヤルキーはわかっている。しかし、どんなことがあっても積み荷は守るという契約が、その選択肢を除外させるのだ。
(やはり契約は破れないか)
ラドルは契約を重んじるヤルキーに対して好感を持つ反面、命を大事にしないことに苛立ちを感じてしまう。ラドルは仕方ないという思いを込めた舌打ちをしてその場を走り去った。だが、それを咎める者がいないのは、彼が羽織るフードケープに隠蔽の効果があるからだ。
「ヤルキーさんどうする?」
にじり寄る獣人と野獣を見て、他の冒険者や傭兵たちが指示を仰ぐ。
「契約は契約だ。お前らもその覚悟で依頼を受けたんだろ?」
その言葉に半数の者は覚悟を決め、半数の者は後悔した。
「やるぞっ!」
自分も含めヤルキーが、かけ声によって気合を入れたときだ。
街道の向こうで爆発が起き、火の手が上がった。その状況に野獣が吠え、ワンゲルウルフたちがざわめく。
「援軍か? それにしては早過ぎる」
早過ぎるだけでなく強過ぎた。竜巻が起こり大地が震える。そこから感じる魔力がヤルキーの体を震わせた。
獣人と野獣の群が道を挟んで左右に分かれると、その先から四人の冒険者が現れた。
「すいませ~ん。獣人と野獣の方々。僕らは港町に帰るんで道を空けてもらえますか?」
この圧倒的力量の獣人と野獣を相手に、緊張感のない声でそう言い放つのは、年端もいかぬ少年だ。ヤルキーは見覚え無いがその容姿などから売り出し中の冒険者だとすぐに理解する。リーダーの少年と三人の少女という異色のパーティー編成で話題となっているからだ。
「確か名は……トウヤだったか?」
ヤルキーは冒険者ギルドの運営にたずさわっているのだが、ここ一ヶ月ほど要人の護衛依頼で近隣諸国を回っていたために、まだ面識がなかった。
トウヤはその一ヶ月でこの森を超えた山に居城を構えた獣人王を討ち取った魔法使い。
「膨大な魔力は最下級魔法でさえ上級魔法に匹敵し、無尽蔵と言われた魔力とスタミナによってあくびしながら敵を殲滅する。眉唾だと思ったが、こりゃぁ本当なのかもしれんな」
ヤルキーは風の噂でトウヤが異世界人ではないかという話を耳にしていた。
闘志を持たない目、緩んだ口、鍛えているとは思えない細身な体。およそ戦いをする者には見えないのだが、ヤルキーは今この場にいる者の中で一番警戒していた。
人族よりも強い野生を持つ獣人と野獣たちも、トウヤの異様さを感じている。ゆるっとした姿と言葉とは裏腹に、漲る魔力はその場にいるすべての者を黙らせた。
「もしかして、その馬車を襲ってるの? そうか、仕事中に悪いことしたね。そのまま続けてもらってもいいんだけど、そこの商人さんが助けて欲しそうに僕を見てるんだよな」
行商たちは無言で首を縦に振る。
「僕たちの馬車の車輪が壊れちゃって、仕方なく歩いてるんだ。急いで帰らないと日が暮れて、野獣やら獣人やらに襲われちゃうからさ」
今まさにその野獣をのして獣人の群に恐怖を与えている者のセリフではない。幼い顔の幼い瞳の奥から、幼い心が持つ子どもじみた残虐性が溢れていた。
「乗せていく、港まで乗せていく。食べ物もあるしお礼もする。だから頼む!」
行商の主がそう言うと、トウヤは「やれやれ」と言って少女たちの顔を見た。
「とっとと片付けちゃいましょう」
「トウヤの出番はないわね」
「私たちに任せてください」
一見軽装備の少女たち。裸同然のビキニアーマーを着ている者までいる。
その少女が大剣を軽々と振り回して敵陣に向かって行くと、二本の短刀を持つ少女は俊敏な動きで群に飛び込み、次々にワンゲルウルフを斬り裂いた。
スタッフを持つおとなしそうな少女は白魔術師。前線で闘うふたりを守りと癒しによって支えている。
こんな年端もいかない少女が高い戦闘能力を持っているのには理由があった。それは、トウヤが仲間と認めている者にも、異世界人が授けられたスキルの恩恵をある程度受けられるからだ。そのため、成長速度は上がり、実際の能力以上の力を発揮することができている。これは、物語のヒロイン補正と言うべきモノだろう。
遊び半分気まぐれ半分のトウヤの言動には威圧とは違う残虐性が感じられ、その異様性に耐え切れず一歩一歩と後退していく獣の群。トウヤは大いなる覚悟を持ってこの行為に及んだワンゲルウルフたちを笑いながら押し返した。
「あれ? 積み荷はいらないの?」
とぼけた声と溢れる魔力でトウヤがそう言うと、獣の群の後方から何者かが近づいてきた。その異様な闘気と魔力を感じて獣の群は足を止める。
「あ、やる気になったのかな?」
あははははは、と軽く笑う彼のもとに少女たちが戻ってきた。
目では捉えられない空気の歪み。それは、近づけば跪いてしまいそうな圧がある。トウヤよりも鋭さを感じさせる質の力は、恐怖ではなく上に立つ者の威厳ある強さだった。
「こいつはまたとんだ化け物が現れたもんだ」
そこに現れたのは化け物級の獣人。勝敗の天秤は悪い方に傾くかもしれない相手の登場なのだが、トウヤはニコニコと笑っている。